Welcome

古本屋日誌

2018-11-15 14:28:00

今朝は冬らしからぬ晴天でかなりぬくい。

「相棒」シリーズは17クール目となり水谷豊と反町隆史のコンビも板についてきた。最新話は16年前、高校生だった頃物理の実験で塩酸と硫酸を取り違えたために爆発が起こり生徒がひとり死んだのが発端になっている話です。

16年経って実験に立ち会っていて今は天文学者になっている男の元へ「薬品を取り違えたのはお前だ!」という手紙が舞い込み、男はおびえて、恐喝者に金を渡すが、お決まりの「いつまでも脅されるくらいならいっそ殺してしまおう!」と殺害を企てるというお話でした。

実験で塩酸と硫酸を取り違えることはあるでしょうが、人が死んでるわけですから、誰がまちごうたのかは直後に徹底的に捜査されるわけだから、こんな展開は荒唐無稽でバカバカしいわけですが、このシリーズはバカバカしいネタがたくさんあるので、笑えるし許されると思う。

今回の分でも天文学者の男は恐喝者を殺した(本当は殺してないのですが)直後に「なんてことしてもうたんや!!」と絶望して自殺を決意します。殺した本当に直後なんで、10秒くらいしかたってません、笑ってしまいます。前非を悔いどうやって自殺しようかあれこれ考え、まずフグのテトロドドキシンをあおって死のうかと思い、ボードにテトロドドキシンの化学式を書きます。化学式、要りますかね、さっさと飲んだらええだけですよね。

いや、これはいかんと思たのか、今度は投身自殺を思い立ち、ドドキシンの式の横に人体が落下するときの速度やら地上に激突するときの衝撃などを計算した微積の方程式を書きなぐります。バカバカしい限りで、そんなもん高いところからさっさと飛び降りたら誰でも死ねますから、計算など必要ありませんよ。

杉下右京はそれらの計算や化学式の書かれたボードをみて高さが28メートルのビルから身を投げると予想して冠城亘をその高さのビルやら鉄道の跨線橋やらに派遣して自殺を未然に防ごうとするんですが、まあこの話もボケまくりでツッコミ不在と考えることもできますからその意味では山上たつひこの影響下にありますね。


2018-11-14 15:12:00

今朝は薄曇りで次第に冬空の様相を呈してきてます。これをよしとするか憂鬱だとするかは気の持ちようです。

以前勤めていた会社は建築関係で、社長は創業者で初めは正社員で入ったんですが、あまりにも忙しいので嫌気がさしてさっさと辞めることにして社長に伝えると、即座に「今はえろうこまるねん、助ける思て、今年一年はバイトでもかまへんよって続けてやってもらわれへんやろかな」と言うのでまあええかなと思いました。またその仕事はなかなか面白いので一年といわずしばらくはやりたいと思ってもいました。するとその表情をすかさず社長は読み取って「あのな、今年一年でもええし、少なくとも今年はな」と言い直したのには、さすがに人の上に立つ人は俺とはちごて、こういう機敏なことができるんやなと思いました。私なんか人の顔色を読むことなんか考えたこともありませんからね。

しかし老いは誰にも降りかかるもので、次第に反応が鈍るようになり随分前に広島カープが優勝した時に、社長が「広島の街はえらい景気ええで、もうかってたまらんゆう感じやわ、新しいビルもぎょうさん立っとるしなあ、犬が客よんどるスナックもあってよかったわ」とかいうのですかさず「社長、あれですな広島では優勝以来昼のランチオーダーしたら自動的にビール付いてくるゆうこってすなあ、えらい景気よろしなあ。」とゆうてみたら「そうなんや」とかいうので「ウソウソウソ、そんなことおまっかいな」と混ぜっ返してもそれには何の反応もなく「大阪はあかんなあ、さびれてきて、繁盛を東京とか神戸に持っていかれとるわ」ですからね。

山上たつひこの「かんにんどすえ」はとにかくボケとツッコミの構図を破壊しようという漫画で大家のとうさんが実家で何メートルもある巨大な亀を檻に入れて飼育しているとか、その亀がとうさんを愛しているとかわけのわからないボケが満載で、一切ツッコミは入りません。最後はとうさんは男と新幹線に乗って駆け落ちするんですが、怒り狂ったペットの亀が超巨大化してガメラのようになり、口から火を吐いて京都の街を焼き払います。果てはとうさんの乗る新幹線を持ち上げて叩きつけようとしますが、ここでも「ちょう待ちぃーな、それはあんたはんの愛するとうさんでっせ、やめんかいな」ては野暮な話は一切出ず、持ち上げられた新幹線の中で2人は焼け落ちる街並みを眺めて「きれーおすなあ」で幕となります。


2018-11-13 16:48:00
今朝も晴天で過ごしやすい。
「ゴルゴ13」の総集編、雑誌サイズが今月でるはずで、昨日の朝巣本の交差点にあるかなり大きなセブンイレブンに、配送の帰りに寄ってみたがなし。仕事で高槻に出向いて駅の中の「ダイハン」という本屋で、ここは漫画雑誌はかなり種類が豊富なんだが見当たらず、券売機横の小さなコンビニ風の販売店も漫画や雑誌を置いているのだが、ここもなし。今度は駅近くのローソンに行ってみたらちゃんと置いてあった。
今回はゴルゴが銃のメンテナンスを引退した職人を口説き落として頼む話があり、ベストフィットする銃にするために嫌がるゴルゴの手や腕を計測するのだが、完成直後に職人は不審火に巻き込まれて命を落とす、ただ完成品は身を呈して炎から守り、ゴルゴは代金を「葬式代にしてくれ」と看護婦に手渡して終わる。
なんか利用するだけ利用して殺害したのではと勘ぐりたくなりますが、主人公の周りがどんどん不幸になるのはこういうドラマのお約束、「遠山のきんさん」でも手下の女はいいように使われてました。名取裕子もその1人である日金さんから手を引かれて盆屋に誘われます、つまりはラブホテルですね、名取は「えー嬉しいけどね、なんか脈絡もないし、どないなってんなやろ、でもここを逃したらもう抱いてもらわれへんかもしれん」てな感じでしばらく悩んで意を決して入るんですが、もちろん濡れ場はなく、単にそこで打ち合わせするだけ。名取裕子かわいそー。その後名取は悪者に殺されてしまう展開でまあ気の毒としか言いようがない。
ただこの中でゴルゴは「俺にとって仕事はすべてじゃあない、すべてが仕事だ」と語っているのは面白い。

2018-11-12 12:06:00

今朝は予報通りの曇り空で空だけは、冬のスタイルですが、気温は高く11月の感じはありません。

ドラマの「コンフィデンスマン」に出ていた小手伸也が今放送中の「SUIT」にも敏腕弁護士役で織田裕二と事あるごとにいがみ合う存在感のある役を演じていて素晴らしい。コンフィデンスマンでは医者になりすまして病院長を重病であるかのように言いくるめて騙して3億取って手術をするというのがあって、小手伸也はあの体でドクター役となり、手術中に血を見て気を失い患者の血管を傷つけてパニックを引き起こす。これはこれで良かったがやはり長澤まさみが医師免許もあらばこそ「私失敗しない気がする」とか「大事なのは医師免許なんかじゃなくてスキルよ」とか叫んでどんどん切っていくところが面白かった。ただ「スキルよ」は当たり前すぎてトーンダウンしてしまうから、もっと笑わして欲しかった。

先日京都のある出版社にお邪魔してお話を伺うことがあり、この会社は京大の文学部や経済学部の先生の著書や学部の紀要を始め、かつて時代を風靡した学者の著作集や全集を出していて、従って大学の先生との取引も活発なために古本を引き取ってくれとの依頼もいくらもあるという。こういう先生は単行本の単著をきちんと出したい意欲が高いので、ご自身がお持ちのそういう硬い本はしっかり値付けしてこうて欲しいというものの、岩波文庫や講談社学術文庫、ちくま文庫やらは「雑書」扱いで、「かめへんさかい、全部もっていんでや」とタダで分けてくれるという。

なるほどこれはこれで立派な見識ですね、そういうプライドなしにいい業績なんか生まれるわけがない。

 

 


2018-11-11 10:34:00

今朝もええ天気でやや寒い。猫は今日も外に出ましてが、このところ車やバイクが通りかかるとおそれをなして戻ってくるようになったのは喜ばしい。

夏目伸六が昭和38年1月の雑誌「あまカラ」に「三合徳利」と題して父漱石が「それから」に三合徳利というのを登場させていて岩波から全集が出るときにいちごうや二合はあるねんけど三合のは聞いたことがないと❓付きで校正刷りが回って来たという話を書いている。

それはそれとして話は岩波書店の創業者岩波茂雄のことになって、元々古本屋を経営していたのだが、出版もやることにして漱石の元を訪ねて「なんとかうちとこで、本を出さして欲しい」と口八丁で口説き落としその上で「では先生の本を出す費用を貸してください」と頼んだという。

岩波書店は現在も新しい漱石全集を特に以前の全集と代わり映えもしないのに延々と刊行中で、よほど儲かるんだろうな。茂雄は古本屋時代は店に詰めていて「すまんけど、この本ちょう汚いし負けてくれませんか?」と値切る客には「わしのつけた値段が気にくわなんだら帰ってんか‼︎」と追い出していたという。古本はその当時客とのやりとりで値段を決めていたそうだから、まるで決まった値段があるかのように振る舞う茂雄は不思議な存在だったのではないか。

私の高校生時代にも岩波書店は「漱石全集」と「鴎外選集」、ともに新書スタイルの箱入りを刊行中でした。担任の津田という国語の教師はえらい漱石びいきで我々に「こうて読んでみたらええで、たとえ読まなんでもおいとったら、何かの拍子に読むこともあるやろしな」と言って岩波の回し者のような話をしていた。まあこれが本をどんどんこうてまう人間の思考スタイルなんです、いつか読むこともあるやろとか、ひょっとして手に入らへんのとちゃうかです。

積ん読の本は間違いなく読むことはないし、現在流通している本で手に入らないようなものなどありません。それにしても全集を読む人てようわからないんです。ほとんどがゴミのような小説ばかりなのに何をありがたがっているのか不思議です、漱石は普通に読んでも文章は下手くそだし女の描き方はデタラメだし反面教師として読んでいるのかと思います。

 


1 2 3 4 5 6