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古本屋日誌
本と美味いコーヒーは合う。
老後のひまで、所在ないひと時、せわしない中にポッカリ空いた隙間時間、友人と待ち合わせまでのひと時、どれをとってもベストマッチだ。
とりわけ、老後のありあまる時間、小金もあるとなれば、美味いコーヒーとケーキを楽しみたいものだ。
しかしたいていの喫茶店は「ホット」「炭焼きコーヒー」「アメリカン」「レーコー」程度のメニューしかない。
たしかに、いろんな種類の豆を並べてあって、味を楽しめそうな店もあるにはあるが、実際にオーダーしてみたら全然美味しくないのだ。
生豆は焙煎するとすぐに生気を失い、香りも消失し、酸化もして傷んできてしまうからだ。
いくらたくさんの豆を置いているといっても、客の大半は「ホットおくれんか」とか「アメリカン頼むわ」なので、ブレンド以外の豆は宝の持ち腐れで、すぐ傷んでしまう。
最近そのあたりを打開しようとするサテンが現れた。
高槻、天六、西宮に店を構える「焙煎工房 タイムリー」だ。
ここのメニューは2種類しかなくて「ホット」と「おすすめコーヒー」だ。(レーコーはある)
注目すべきは「おすすめコーヒー」で店内に所狭しと並んでいる世界各地のいろんな豆のうちの一つが味わえるのだ。
値段は390円で、俺は初めてコーヒーにも明らかに味の違いがあることを実感した。
これは実は重要なことだ。
ウィスキーはラガヴーリン、アードベック、ボウモア、白州や山崎など美味い銘柄はいくらもあるが、10万以上する高級品を頂いても、もっと安いウィスキーとの違いが俺にはよくわからない。
「両方とも美味いなあ」で終わってしまう。
これは味覚が鈍感であるためなのだろうが、せっかく高い酒を飲んでもそのありがたみが感じられないのは残念だ。
その点コーヒーは一杯が400円程度で、味の違いを十分に感じられるわけだから、実に楽しい。
古本屋でもっとも肝要なのは、もちろん仕入れだ。
いい本があればとにかく手元におきたいものだ。
うちが扱う本はそんなに高価なものではないから、資金繰りに難儀するようなことは起こらない。
しかし古文書や作家の直筆ものなんかを扱う古本屋では事情は違う。
例えば来月開催の『四天王寺古本まつり』の目録には次のようなものが載っている。
明治45年から収集された高山植物の標本が100万、「東京名所寿語六」という錦絵が55万などとなっている。
こういうものは仕入れ値も張る。
いいものが突然現れて、なんとしても入手したいが手元に金がないということが起こってしまう。
ではどうするのかというと、もちろんサラ金などからカネを引っ張ることになる。
ところが値のはる品物はいつ売れるかわからないものだ。
何かの拍子に立て続けに高額商品が売れることもある。
しかし逆に待てど暮らせど一冊も売れないこともしばしばあるのだ。
もちろんサラ金は支払いなど待ってくれないから、当面金を用意しなければならない。
じゃあどうするのかといえば、古本市にどんどん参加するのだ。
例えば下鴨の古本祭り、谷町の古書会館での月いちの即売会などにどんどん出る。
もちろん高額なものは売れないから、適当な文庫本や単行本を持っていく。
サラ金には「あれや、今度の古本市でな、ようさん売れるよってな、おまはんらはな、会場まで金、回収に来たらよろしやん」てなことを言っておく。
ややこしい連中が古本市に連日やってきて金を奪い取っていくことになるのだが、これは心がタフでないと到底つとまらない。
先日亡くなった佐野眞一の代表作とされている『東電OL殺人事件』はブックオフを何軒か覗いてもないなあ。
赤い新潮文庫で、以前はよく見かけたのだがどうしたのだろうか。
売れないので店の方でつぶしに回したか、訃報を受けてみんなが買いに走ったのか、よくはわからない。
昨日、佐野眞一が75で亡くなった。「東電OL殺人事件」や「だれが本を殺すのか」など面白い切り口でいろんなジャンルの本を書いていた。
訃報を受けて「東電OL殺人事件」や「巨怪伝」「阿片王」などは人気を集めているのだが、同じ評論家の立花隆の時は軒並み高騰したのと比べると、値段は穏やかだ。
でも「東電OL殺人事件」よりも「東電OL症候群」の方が絶対面白い本なのに何故なのか、「症候群」には全くプレミアムはついてない。
代表作とされて、宣伝されている作品とあまり知られていない作品との差なんだろうけど、もったいないことだ。
地下鉄谷町線の千林大宮駅の近く、1号線沿いにあった「尚文堂書店」が閉店した。
店主はもう80がらみで、そういう日が遠からず来るだろうとは思っていた。
店は間口は二間ほどで、店頭には平台にたくさんの時代小説を廉価で並べていた。老人が多い千林には当然のラインアップだ。
入ってすぐ右側の棚には歌集、詩集俳句の本、その奥には歴史書、哲学書。真ん中の本棚には片側には講談社学術文庫、ちくま文庫と新書が並び、もう片側は大量の時代小説が並んでいた。
店主の座っている結界のところには辞書や大阪の本。
そして左側の本棚には占い、オカルト、歴史、考古学、画集が並び本棚から突き出した平台にはカバーなしの大量の岩波文庫が積んであった。
近くには大阪工業大学があって、千林大宮駅は、朝夕大勢の学生で賑わっていた。しかし理系の学生は時代小説や歴史書は読まない。
尚文堂の顧客の大半は近所の老人だった。
阪大の石橋キャンパス近くの太田書店や、京大本部前にある吉岡書店のように理系の学生相手に教科書を売ることはなく、地元民に密着した商売に徹していた。
年齢を重ねると、重たい本を取り扱うのは骨だし、車の運転も反射神経の衰えだおぼつかなくなる。
店主は、店頭で客が持ち込んだ本を買い付ける他に、谷町四丁目にある大阪古書会館に出向き、市に出る本も買い付けていた。
さてその重たい本の運搬はどうするんだろう?と思っていたら、「本はな、赤帽さんに頼んでここまで持ってきてもらうんや」とのことだった。
なるほど1号線沿いで店の前にバンを横付けできるロケーションだし、赤帽も嫌がらなかったのだろう。
自分で運転して店まで運び込むのに比べて、確かにコストはかかる。
しかしそれコミで経営していくことは十分できるんだということがわかって、頼もしかった。
数年前から「FLOWERS」で連載されている絹田村子のマンガ『数字であそぼ』が単行本で8巻になった。
主人公は首尾よく、京都大学理学部(漫画では吉田大学になっているが)に入ったのだが、講義についていけず、2年留年して悶々としている落ちこぼれのバカだ。
その原因は数学を暗記のように捉えて、数式や法則の意味を考えることなしに過ごしてきたことにあるという設定だ。
2年間無為の生活を下宿で送り、その間親にはだんまりを決め込んで、仕送りはちゃっかりもらっていた。
2年後ようやく「これではいかん」と友達づくりに精を出し、なんとか講義にも出るようになった。
しかし相変わらず、講義の内容は全く理解できず、虚しく板書を写すだけの日々で、衝撃を受ける。
ようやくできた友人は、すいすい理解しているように見えるので、「これは何かわかりやすい参考書や勉強法があるのだろう」と勘繰って尾行して突き止めようとする。
しかしあるものはパチスロにハマっており、あるものはひたすら下宿で寝ており、あるものは神社で巫女のバイトに励んでいる。
意を決して彼らに勉強の極意を、尋ねてみると「それは何をしている時でも頭の隅に今日やった数学の講義内容を思い浮かべて考えていることだ」と言われてまたショックを受けるのだ。
主人公は愚直にそのアドバイスを実践し、食堂でお盆に料理を乗せて先まで運ぼうとしている時も、数学に思いを馳せていて、必然的にお盆を覆して料理を床にぶちまけることになる。
実際の京大の落ちこぼれはこの漫画のような、明るく、それなりに自己を客観視できる視点などは持っていない。
しかしそれでは作品に出来ない。(出来ないことはないが少なくとも『FLOWERS』では連載できないな)