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古本屋日誌
去年平凡社から出た『東京の生活史』は東京在住のたくさんの凡人から、これまでの人生を聞き取った大部の書物だ。
一般庶民にスポットライトを当てる試みは、かなり前だが猪瀬直樹が『日本凡人伝』でやっていたし、近くは、上原隆の「友がみた我よりえらく見える日は』などのシリーズがあって、どれも心打たれる。
しかしそれらは例外で、偉人伝やタレントの回顧録なんかはいくらでも出版されるのに、大衆に焦点を当てた本はほとんどない。
朝日新聞にはかなり前からタレントや俳優の回顧録が連載されている。
樹木希林の回があって、シナリオライターの向田邦子が毎回締め切りギリギリにならないと原稿を上げてこないことや、向田の書くおんなが、いかにも作り物めいてくだらないので、本人に直言した話などがあった。
しかしわれわれ大衆の世界ではその程度のことは話題にもならない。
業者が納期に間に合わないといってくることは、よくあることだし、それを上手いこと切り抜けるためにあれこれ、ない知恵を絞るし、納品された製品に瑕疵があることもままある。
その辺りのやりとりは樹木希林程度の、貧相な人生経験では、想像もできないややこしいものだよなあ。
つまりタレントや芸人の人生などいくら読んでも退屈で、変化にとぼしく、つまらないのだ。
『東京の生活史』には親が離婚して母親に引き取られて6歳まで一緒に暮らしていたが、母親が精神に変調をきたしたために、施設に引き取られて18までそこで過ごした男の話が詳細に書いてある。
わずか6つで、親から引き離されて相部屋の集団生活に放り込まれて、中学生からいじめをうける話は想像を絶する。
しかしその中でもとりわけ驚かされるのは、父親の死に関する話だ。
施設にいる時も時折連絡があった父親が中二の時に、不意に亡くなってしまう。
その辛い体験から主人公は、俺は何としても普通のサラリーマンになってきちんとした生活を送らないといけないと思う。
今までは先生の言うことも適当に聞き流していたから成績もものすごく悪く、進学も危ぶまれる状態だった。
でもそれではいけない。
一度教師の話をきちんと聞いてそれなりに努力してみよう。
それでもみんなと同じ成績が取れなければ、「俺はバカだ」ということだから、また別の道を考えよう、と決意するのだ。
これはわれわれ老人にも学ぶ点がある。
つまり死んでしまうことで、若い連中の人生に示唆や影響を与えることができるのだ。
もちろん、出来たら死ぬ前の方がいいんだけどね。
長い老後にふさわしいエンタメをどう提供するかは、古本屋のみならず社会全体の課題だ。
その試みのひとつが喫茶店だ。
これまでの喫茶店はオーダーを受けて厨房で調理をして、お客さんに提供するもので、店員とあれこれ話すことはあっても、基本的にお客さんが思い思いくつろぐ場所だ。
しかしリタイアしてからは、たくさん時間があるし、経済的にもそこそこ余裕がある人もたくさんいる。
ではそういう老人向けの喫茶ビジネスも展開されているだろうと考えられる。
神戸の元町商店街にある喫茶店「くりまつ」はその一つだ。
ここはJR元町駅から商店街に入ったすぐのところにある店で、一階でモンブランのお土産を売るほか、2階で豪華なモンブランが食べられる喫茶店をやっている。
階段を上がると小暗い店内には右手に5つのカウンター席と手前に5人程度座れる個室、カウンター席の横に4人がけのテーブル席がある。
腰掛けるとウエイトレスが現れて巻物風のメニューを手渡してくれる。
松のモンブランは2600円で、丹波栗を使用し、ほかに赤砂糖をバーナーで炙ったものや、ウエハス、松葉に模したチョコ、金箔が付いている。
竹のモンブランは2300円で、同じく丹波栗を使い、抹茶を混ぜたクリームで、他にも無花果や生クリーム、松葉のチョコなどが付いている。
面白いのはその料理が厨房で仕上げられて運ばれてくるのではないことなのだ。
ウエイトレスが目の前に大皿を置き、手押しの機械を操作して丹波栗から細く滴るクリームを作ってくれる。
飲み物もセットでついていて、いろんな種類の茶葉の説明をしてくれるし、小さな便に入った茶葉の香りをためしに嗅いでみることもできる。
ウエイトレスはお茶を入れる時、器用に急須を30センチくらいも持ち上げて、ちょうど『相棒』で杉下右京が高いところからコップに紅茶を滴らせるように、淹れてくれる。
当然「それて、あれなん、美味しなんの❓』と誰でも聞いてみるよなあ。
『そう聞いてます』
『誰から❓やっぱり研修みたいなんすんの❓』といろいろ話が始まって暇つぶしをすることができる。
このところ世間を騒がせている統一教会、原理研の連中だが、何を今さらとあきれるしかない。
俺は1980年に大阪府立天王寺高校を卒業しているが、この高校の近くに原理研のアジトがあった。
北門から出て天王寺駅に続く下り坂をほんの数分行くと、右手に二階建ての小さな丸いタイルで覆われた、間口が3間くらいある古い建物があって、オルグ活動をしていた。
最初は「聖書に興味はないのか❓」と路上で、声をかけできたので、あまりにも暇だったからついていくと、このアジトの中でジュースやらパンやらクッキーやらいろいろ食わせてくれるので、おかしな連中だと思った。
おまけにオルグから帰ってくる若い連中がホームに入ってくるや否や大声で「こんにちは❗️」とキラキラした顔で話しかけてくるので、ますます胡散臭い。
でも高校時代はすることもなく、あまりにも暇なので、夏休みに言われるがまま、このホームの2階でマンツーマンの統一原理の講義を受けた。
新約聖書はだいぶ前から読んでいたし、旧約もおおよそは知っていたから、退屈な話だった。
ところが講義のポイントはイエスの生涯を辿ることにはない。
「今の世の中はいろいろひどいことが起こっていますよね、それには根本的な原因があるのです」というわけだ。
俺は今もそうだが、高校時代も世の中がひどいとは思ったことがない。
でもまあそういう考えがあることは理解できるので、期待して「根本的な原因」を聞いてみた。
「それはですね、姦淫なんです!犯してはいけないことを、われわれはやってしまっているのです」というから驚くしかなかった。
その当時の高校生は性的なことに触れるのをひたすら避けようとする連中と、逆に姦淫に励みたいとその手のことばかり考えているバカに別れていた。
俺はもちろん後者だったから、「こいつバカじゃないのか」と思った。
昨日の晩、エリザベス女王の葬式がテレビで中継されていた。
しかし君主制なんか、どこがいいのか、俺には全くわからないな。
王様とか天皇とかいっても、所詮は人間で、単なるばあさんやじいさんにすぎない。
それをありがたがって何をしようというのかな。
尊い人間なんかいるわけがないだろう。
それなのに王様や天皇をいただくというのは、それは完全な差別であって、民主主義の平等概念を否定するものだ。
徳川時代は大名やサムライがのさばって、その下に庶民がいて、さらにエタ、非人という差別が横行する社会だった。
それが明治維新で一応、四民平等となり、天皇のもとではみな等しく赤子だとされて、天皇制はこれまでの差別を否定する力を発揮する場面があった。
しかしそれはえらい昔の話で、今の天皇制にそんな力なんかない。
それどころか、人間は平等なんだという当たり前の原理原則を真っ向から否定する反動でしかない。
今日は台風が九州から近畿に近づくとということで、三連休なんだが京都は人出が少ない。
京阪電車は18時ごろから運転本数を減らし、21時ごろには全ての列車の運行を止めるという。阪急電車は今のところ計画運休はしないようだ。
安全面の配慮もあるし、客が少ないというのもあるだろうし、仕方のない措置だな。
「ブックオフ」も「フランチャイズの店は知らんけど、西日本の直営店は午後3時で営業終わりにしますわ」とのことだった。
私はいつも通り京都のお客さんのところに買取に出向いた。
今日は川端今出川東入ルにある「臨川書店』の話になった。
「あの臨川書店がな、時々やってるバーゲンセールて、昔はいろんな古本屋がやっとったんやで、おまはん知っとるか❓」
「いろんな本屋が、とは知らしまへなんだ。
ただ上六の『天地書房』は毎月初めの月曜日の朝からウブものを出すと予告してましたから、その日になると人だかりになってるのは知ってました」
「大阪の古本屋でも、結構やっとったんや。ワゴンをな、歩道に並べたりしてな、人がたかっとったら、『何かおもろいことあんのちゃうか』思て人がまたようさん集まってきたんや。」
「でもな、時々アホが出てきよるんや。
歩道からワゴンを見てたらええのに、人が集って見られへんゆうて、車道に降りて逆方向から本を熱心に見ようとするんや。
そんなことしてたら、バイクにはねられよったり、自転車とぶっかったりと、ほんまにアホは、どないしょうもないわ」
「そら、笑けますなあ。
あれでしょ、バイクにはねられて怪我してんのに、『それどこやない❗️ええ本買うんや❗️』てほうてまたワゴンのとこ来よりまっしゃろ」
「そうなんや、そうなんや、頭から血ぃ出しもって本の話をぶつぶつしてるんやさかい、笑うしかない」