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古本屋日誌
「道」のつく地名は関西に多い。
大阪の我孫子道、京都の神宮道、神戸の六甲道、春日野道などいくらでもある。
これらは基本的には有名な社寺や山岳につけられているのだ。
我孫子道は我孫子観音への参詣路のいみだし、神宮道は平安神宮、六甲道は六甲山だ。(春日野道はよくわからない、春日野という名所旧跡があるのだろうか❓)
「道」のつくところからさらに名所旧跡に接近していくと、今度は「口」のつく地名になる。
六甲道からしばらく坂を登っていくと、「六甲口」が出てくるのだ。
大阪には「守口」がある。
もちろんこれは「森口」であることは間違いない。じゃぁ、森道はあるのか?という話だが、それはなくて「南森町」「北森町」(北森町も以前はあったのだ)となる。
何年も生きていたらすぐにわかることなんだが、人間は全く平等にはできていない。
要領よく、そつなくこなせる人もいるが、何度やってもしくじる人や、失敗から学ぶことが出来ず同じ失敗を繰り返す人がいくらでもいる。
何人かの部下が出来て、指導したり、業務を割り振る差配をしなければならなくなる時がある。
当たり前だが、出来の悪い部下や後輩、先輩が必ずいるのだ。
会議で決めた締め切りを守らない、それどころかそもそも割り振られた仕事をやってないとか、提出してきたものがデタラメで到底人前に出せないものだったりするのだ。
こういった時、仕事を割り振った管理職はどう対処するのか。
無能な部下を叱咤激励してやらす
締め切りがあるので自分でやってしまう
面倒なので放り出してしまう
無能な部下を配置した上の責任を追及する
などが考えられる。
現実的には放り出すことはしないだろう。
やむなく自分が引き受けて仕事はこなすが、それだけではストレスが溜まるだけだ。
バカを配置した上の責任は重大なんだから、引っ捕まえて罵倒してやらなければならないと思う。
しかしなかなか出来ないものなのだ。
こういう話をするのは日能研関西のことだ。この会社は中学受験の進学塾だ。
過労死した算数課のリーダー(つまりは課長だ)の酒井も、課員のいい加減な仕事には悩んでいた。
講習会に使う教材作成の締め切りを守らない、模擬試験作成を割り当てられているのに締め切りまでに作ってこない、出してきたテストの出来が悪い、てなことがよくあったのだ。
酒井はその出来の悪い算数課の部下を嫌っていた。
俺はその辺の事情が、当時よくわかっておらず、彼が毛嫌いしていた職員を宴会に連れてきてしまい、酒井からひどく怒られたことがあった。(そりゃまあ、当たり前だよな)
でも、長年生きてきたら普通の仕事ですら、こなせない人がいることは何度も目にしてきたはずだ。
そもそも酒井は京都大学の農学部の出身で、長らく熊野寮にいた。
そこでは自治会の書記長を務めたこともあったのだ。
学生運動の世界でも当たり前だが、やるべきことをしない、デタラメなことしか出来ない怠惰な人がいくらでもいる。
指導する書記長ならば、その都度決断を迫られたはずなのだ。
彼はどう対処してきたのか気になるのだ。
血気盛んな学生なわけだから、そんな立派な対応はできないだろう。
ちゃんとしないやつを捕まえて、叱るとか暴力的に説教するとか、まあそんなもんだろう。
それが学生なら当たり前の対応だと思う。
でもね、叱っても意味はないし、どついたりしても疲れるだけというのはだんだんわかってくる。
それで出来ない人はその部署から外す、別の任務にすることになる。
それが出来る地位や部署にいればストレスは少なかろうが、中間管理職なら、人事権はないに等しいから、ストレスフルになるだろう。
先週の金曜から日曜日まで、阪急千里線の南千里駅前で、小規模な古本市が開催、珍しいので行ってみた。
京都のシルヴァン書房、大阪のロビンの古本屋、稲野書店、汎書店、兵庫のみつづみ書房などが参加していた。
ロビンの古本屋は河内長野だと思うのだが、千里まで本を運ぶのは大変だろう。
どうせなら、出来るだけたくさん本を運び入れて売り上げを確保しておきたいと思うところだが、今回の古本市はどの古本屋も大した量を持ち込んでいない。
それはさておき、会場は駅のすぐ横にある広場で、広々としていて、爽快だ。
それに素晴らしいのはコーヒーのキッチンカーが出張してきていることだ。
広場を囲む縁石や石積みが随所に作ってあるので、腰掛けてこうてきた本を楽しみながら、美味いコーヒーを味わえるのだ。コーヒーのメニューにはウィンナーコーヒーのオリジナル版で、マヨネーズを乗せたものが400円で出ていた。
「少し甘めのマヨネーズで、うちのオリジナルなんですわ」とのことだ。
ケーキやサンドイッチはキッチンカーは扱っていないが、広場のすぐに横にはセブンイレブンやミスドが並んでいるので、簡単に調達出来る。
日能研関西は中学受験の進学塾だが、過去少なくとも2回過労死事件が発生している。
初めのは2000年の1月に当時算数課のリーダー(課長にあたる)だった酒井がくも膜下出血で38で亡くなったものだ。
彼はわかっているだけでも亡くなる前53日にわたって休んでいないのだから驚かされる。
とりわけ不思議なのが宴会のことだ。
1999年の12月23日、日能研関西では灘を受験する予定の生徒を集めて岡本校で「合同授業」が実施されていて、酒井もそれに参加していた。
この日の勤務開始は午前9時15分で、関西本部に出勤、その後岡本校に移動して灘の合同授業(2時間半)をした。
その後洗濯のため帰宅した。さらに19時前に岡本校に来て、社長をはじめ他担当者と食事したのだ(平たく言えば宴会ですな)宴会の終了は午後9時半。
洗濯するいとますらない状態てバカげているよなあ。
それはさておき、この日の夕方、酒井に電話をかけて「会社の宴会なんか出るのはやめて、こっちでみんなで飲むから来ない❓」と誘ってみたのだ。
返事は「それもいいんだが、東先生から、上に宴会には出なくていいですよねと言って欲しいわ」とのことだった。
俺はすぐ横にいた東先生(彼は当時は会社では酒井の上司だった)に「あんたから上に出やんでええやろてゆうて欲しいゆうてるで」と取り次いだ。
2人はしばらく話をしていたが、もちろんそんなことを取り次いで話すということにはならず、酒井は会社の宴会に出たのだ。
これをどう考えるのか。
もう20年以上経っている。
これまでは(そんな、会社のくだらない宴会などに出るて、バカじゃないのか)とか(出ないというのを自分で言わず、上司に取り次いで欲しいとかいうのは、俺には想像もできない愚かな発言だ)と思っていた。
ところが、ここの会社の宴会に参加した時のことを思い出してみたら、別の考えに思い至った。
まず社長が長々と話をしている、まあこれはどうでもいいとして、その後丸テーブルに付いて和やかに歓談とはならないのだ。
次回行われる会議の日程の連絡をしたり、授業で気になった生徒の話や、その対応策などをみんな話題にしているのだ。
なんのことはない、仕事の延長だ。
だから、酒井が、俺の誘った飲み会などには出ず、会社のそれに行ったのにはそれなりの理由があったということだ。
小学生を指導する上では、国語、算数、理科、社会の各教科の円熟したチームプレーが欠かせない。宴会の場であっても、それを利用して担当者が一堂に会して情報交換するのは大切なことだろう。
その宴会に出ないというのは必要な仕事を休むとということになるから、自分口からは言いづらいということだったのだろう。
ネットが普及し、通販が一般的になるまでは、本は店を構えて売るものだった。
高校時代、阿倍野の斎場から南海平野線に沿うてだらだら下り、阿倍野区役所や天王寺高校に至る道には数件の古本屋があった。
歩道に面して間口の広い店舗で、棚という棚にはぎっしり埃まみれの本が詰め込まれているほか、通路にも雑誌がうず高く平積みしてあった。
1970年代から80年代にかけてはいくらでも古本が集まり(店までお客さんが持ってきてくれる)、またよく売れたのだ。
しかしたくさん出版されている本の大半はくだらないものであって、中身が優れているとか、装丁がよいとかで売れているわけではなかった。
本や映画、テレビくらいしか娯楽がなかったので、面白くなくてもやむなく本を買うという時代の流れがあったのだ。
その上げ底やメッキが剥がれて、本は売れにくくなり、店舗を構えているメリットが疑われ出したのだ。
リーマンなら月給だから、月の収入は計算できるが、自営業の場合、全く読めない。
とりわけ店舗を構えていると毎月取られる固定費のことが、常に頭をもたげてきて、心休まらない。
連れの印刷会社の社長は「支払いが切羽詰まって、どないもこないもならん時な、強盗でも、たたきでもなんでもしたろか❗️て本気で思うもんや」という。
この人は結局会社を畳んで、今は予備校で現代文を教えている。
顔色も明るくなりよかったと思う。
真面目な人は自分で抱え込んで、見境なくなってしまう。
うちの場合は通販なので家賃もかからず(Amazonの固定費は月に5000円くらいだし、このホームページは千円だ)倉庫もないから、売れ行きが思わしくなくても、気に病むことはなさそうだ。それにもかかわらず、俺は売り上げが少ないと気になる。
「いい本を仕入れられてないから、客にそっぼむかれたかな」
「納品書はめんどくさいし、無駄だから入れてない、これが嫌がられているのかな」とか検証のしょうもないことをあれこれ考えてしまう。