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古本屋日誌
日能研関西は中学受験の進学塾だが、過去少なくとも2回過労死事件が発生している。
初めのは2000年の1月に当時算数課のリーダー(課長にあたる)だった酒井がくも膜下出血で38で亡くなったものだ。
彼はわかっているだけでも亡くなる前53日にわたって休んでいないのだから驚かされる。
とりわけ不思議なのが宴会のことだ。
1999年の12月23日、日能研関西では灘を受験する予定の生徒を集めて岡本校で「合同授業」が実施されていて、酒井もそれに参加していた。
この日の勤務開始は午前9時15分で、関西本部に出勤、その後岡本校に移動して灘の合同授業(2時間半)をした。
その後洗濯のため帰宅した。さらに19時前に岡本校に来て、社長をはじめ他担当者と食事したのだ(平たく言えば宴会ですな)宴会の終了は午後9時半。
洗濯するいとますらない状態てバカげているよなあ。
それはさておき、この日の夕方、酒井に電話をかけて「会社の宴会なんか出るのはやめて、こっちでみんなで飲むから来ない❓」と誘ってみたのだ。
返事は「それもいいんだが、東先生から、上に宴会には出なくていいですよねと言って欲しいわ」とのことだった。
俺はすぐ横にいた東先生(彼は当時は会社では酒井の上司だった)に「あんたから上に出やんでええやろてゆうて欲しいゆうてるで」と取り次いだ。
2人はしばらく話をしていたが、もちろんそんなことを取り次いで話すということにはならず、酒井は会社の宴会に出たのだ。
これをどう考えるのか。
もう20年以上経っている。
これまでは(そんな、会社のくだらない宴会などに出るて、バカじゃないのか)とか(出ないというのを自分で言わず、上司に取り次いで欲しいとかいうのは、俺には想像もできない愚かな発言だ)と思っていた。
ところが、ここの会社の宴会に参加した時のことを思い出してみたら、別の考えに思い至った。
まず社長が長々と話をしている、まあこれはどうでもいいとして、その後丸テーブルに付いて和やかに歓談とはならないのだ。
次回行われる会議の日程の連絡をしたり、授業で気になった生徒の話や、その対応策などをみんな話題にしているのだ。
なんのことはない、仕事の延長だ。
だから、酒井が、俺の誘った飲み会などには出ず、会社のそれに行ったのにはそれなりの理由があったということだ。
小学生を指導する上では、国語、算数、理科、社会の各教科の円熟したチームプレーが欠かせない。宴会の場であっても、それを利用して担当者が一堂に会して情報交換するのは大切なことだろう。
その宴会に出ないというのは必要な仕事を休むとということになるから、自分口からは言いづらいということだったのだろう。