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古本屋日誌
今日は嫁と京都駅近くの水族館に行ってみた。
オオサンショウウオやケープペンギン、クラゲがメイン展示で、2200円かかるけれどなかなかよかった。
人気のイルカショーなんだが、どうしても密になってしまうので当面やらないとのことだ。
ショーの行われるスタジアムには入ることができて、何頭かのイルカが水面から顔を出すところなんかは見ることができる。
春の日差しの中、親子連れやカップルで賑わっていて喜ばしいことだ。
また公園の出入り口付近ではイルカショーに反対するNGOが柵にパネルや写真を貼り付け、チラシを配布して情宣に励んでいた。
俺もチラシをもらったんだが、大地などで行われているイルカの追い込み漁は残酷だとある。
食用にならない小さいイルカは殺してしまい、その血で湾内は真っ赤に染まる。
イルカショーをさせられているイルカは本来は生きた魚を食べる生き物なのに無理やり死んだ魚を食べさせられている。
また本来海で自由に、1日に65キロ程度泳ぐ生き物なのに、狭いプールで飼い殺しにされているのは問題だという主張だ。
海外では養豚場を環境保護団体が襲って、小屋の鍵を爆破して豚を野に放つ環境テロや、捕鯨に反対して、捕鯨船にまとわりついて妨害行為をする団体があることはよく知られている。
またビーガンという肉も魚も食べない食生活を行う人たちがたくさんいることも知られている。
こういうのはイデオロギーであるから、普通の人と話をしてもなかなか噛み合わない。
ただ水族館にはイルカのほかに、ペンギンやオオサンショウウオやイワシの群れやタイ、クラゲ、オコゼその他いろんな魚がいる。
その中で特にイルカにだけ焦点を絞って問題にするのはちょっと面白い。
彼らにはクジラやイルカは人間に近い、あるいは人間以上の存在と考えられるのだ。
沖縄では癒し系のマリーンレジャーとしてイルカと泳ぐというのが昔からある。
また悩みを抱えた人が、海に入り、並走するイルカにお伺いを立てると、イルカが人間の悩みを察して正しい答えをアドバイスしてくれるという、オカルトじみたマリーンレジャーまである。
本当にイルカに人間とコンタクトできる能力があるかどうかや、人間以上に知能があるかとか、知能があれば人間と対等なのかなどという実証不可能な問題を孕んでいる。
したがって議論には馴染まないわけだ。
航思社から岡崎次郎の『マルクスに凭れて六十年』が出た。
1983年に青土社から出た本の増補版で、古書価は高騰していて2万くらいしていた本だ。
それが増補もあり、解説や脚注も付いて4000円弱で読めるのだからありがたいことだ。
岡崎は『資本論』の翻訳などで知られたマルクス主義の研究家で、岩波文庫から向坂逸郎と共著で何冊も翻訳が出ている。
その岡崎が自らの半生を自嘲気味に描いたのが本書だ。
北海道の出で、東大の経済学部を卒業したはものの、1937年の人民戦線事件で逮捕、勾留{まる1年に及んだ)、その後渡満して満鉄調査部勤務となる。調査部では上と反りが合わず、閑職に追いやられる。
なかなか波乱の人生で、今のわれわれの薄っぺらい歩みとは雲泥の差がある。(もちろん、薄っぺらい人生の方が楽だし、平和であることは言うまでもない)
岡崎は地道にドイツ語の原書の翻訳に励ます学究肌も持ち合わせてはいたが、基本的には遊び人で、麻雀、囲碁、将棋をはじめ飲む、打つ、買うの三拍子とも揃うような状態だった。
一高時代は寮に入っていたのだが、もちろん相部屋であり、大半はさして学問に興味を持っていない学生であるから、毎夜毎夜宴会やら、将棋やら、夜遊びに余念がなく、到底集中して勉強に励める環境ではなかった。
岡崎のえらいところは、普通なら惰性で遊びに流れてしまうところを、踏みとどまり、一高の定期試験や翻訳の仕事がある際は「身体を壊した」と言い訳して寮を出て静かな環境に移って、勉学に励んだ点だ。
彼が堕落し切らなかった要因は他にもある。
学生時代から出版社から翻訳の仕事が来ていて、その締め切りはどうしても守らないといけない状態にあり、それが生活にリズムを与えて、夜遊びに一定の足枷となったことだ。
このあたりは、マスコミや出版社が櫛比する東京の素晴らしいところで、大の大人から「あんさん❗️頼んまっせ、この原稿落としてもうたら、わし腹切らんなんさかいな、あんじょうしたってや」と言われたらさすがに腹をくくらな仕方ないでしょう。
大阪や京都はそれがないから、遊び人体質の学生は止めどなくなってしまう。
歯止めといえば、いくらでもある予備校や塾の求人で、学生時代から教壇に立ってしまう。
これはたしかに生活に張りをあたえるのだが、そのまま就職してしまうことが多い。
先日辺野古での座り込み闘争に参加している人たちが出している雑誌『うみかじ』1号、2号を入手した。
米軍基地の新設を阻もうと工事現場前に3000日以上座り込み、抗議活動をしているのはよく知られている。
この雑誌は沖縄県県民がそこに参加して、感じたことを詩や散文、日記に綴ったものだ。
大東亜戦争で、米軍が行った蛮行、沖縄の住民に加えた殺戮行為、戦後の強制的な土地収容と占領、基地被害、暴力沙汰を考えれば、基地の新設など許されないとの考えは理解できる。
もちろん辺野古の海を埋め立てるわけだから、珊瑚礁の破壊、魚介類へのダメージも問題だ。
その一方でロシアのような頭のいかれた国家が近隣に存在して、侵略戦争を続行している現実がある。
北朝鮮はICBMやSLBMまで保持していて、ミサイルの発射を繰り返してもいる。
また中国も天安門事件で無辜の大衆を戦車で虐殺し、少数民族への迫害、あからさまな人権侵害を続けている。
そんな中で我が国が集団自衛権に加えて敵基地攻撃能力の保持を考えるのも無理からぬところで、これも理解できる。
そもそも民主主義の根幹は市民による自力の国防であり、それなしには国家はありえないというのは政治学のイロハでもある。
また戦後の我が国はアメリカから多大な援助を受けて復興した。
アメリカが行った朝鮮戦争では特需景気で大儲けさせていただいた。
現在も私などはAmazonのお世話になっているわけだから、アメリカ様には足を向けて寝られない義理もある。
その上で、俺としては反米ではないんだけれど、いつまでもアメリカ様におすがりするのもどうかと考える。
基地の新設は必要ないと思いたいし、アメリカ様に頼るくらいなら自衛隊や国軍にその役割を担ってほしいと思う。
上原隆が双葉社文庫で『ひそかに胸にやどる悔いあり』を出した。
上原はボブグリーン風のルポライターで、その辺の大衆の何気ない日常や大変な遍歴を明るい文体で綴ってゆく。
いわゆる有名人や著名人の自伝などまったく面白くない。どれもこれも、ワンパターンで、若い頃苦労したけど、今はこうなりましたというだけの話だ。
有名人はストーリーテラーとしてはなんの才能もない。
ものの価値もわからない取り巻きやバカにおだてられているだけで見苦しい。
その点、凡人の山あり谷ありの人生はわれわれの想像を絶するもので、内容も深いし、考えさせられるし、心打たれる。
その魅力的な大衆の人生と日常に、しっかり根を下ろしたルポを書いたのは猪瀬直樹が有名だ。
『日本凡人伝」シリーズは今読んでも実に面白い。
ただ猪瀬の取り上げた凡人は、まだまだ凡人と一括りにできないような才能の持ち主だった。
稲作で反あたり収穫量が日本一になってマスコミにも取り上げられて、田圃の畦道に見学者がスズナリになるオヤジとか、東大の生協の地下で長年時計の修理に勤しんでいるベテランの職人などが取り上げてあるからだ。
その点、上原が取り上げる凡人は、紛うことなき平凡な人たちだ。
書店員の中年男性で、同じ職場の女と相思相愛となって、デートも重ねて、ある時女が自宅に泊まることになった。
ところが男の方はキスをしたり、裸で抱き合うだけで終わってしまう。そういう経験がなかったのだ。
女の方は期待していたのに裏切られたような、物足りなさを感じたわけだ。
普通なら失敗に懲りて、風俗残業に出向いて教えてもらうとか、本を読んで勉強するとかするだろうよ。
ところが凡人だから、何もしない。
つぎのおうちデートでも、そのつぎのデートでも単に抱き合うだけなのだ。
もちろん女にあっさりふられて関係は終わるのだが、男の方は女々しくいつまでも電話をして着拒にされてしまう。
あげく「なんでこうなってしまったのか、あんなに話も合って楽しかったのに」と上原相手にして愚痴るんだから、笑わせるぜ。
失敗から学ぶことができない人はたくさんいる。
逆に一度の失敗でもしっかり原因を分析して、つぎはやり遂げる連中もいる。
そして両者が競争したら、後者がかならず勝ってしまう。これは能力差が元々あるわけだから、競争させるのは本来は不当なことなんだが、今のところあんまり問題にはなっていない。
何事においても人を動かすには費用がかかる。
古本屋の業務でもたくさんの本が並んでいる棚から、お客さんがオーダーした本を探し出して、住所をプリントアウトし、梱包し、必要な書類も用意して郵便局まで運び込むのは相当な時間がかかる。
郵便局の業務でも客がオーダーした現金書留の処理、振り込みの処理など職員1人が30秒くらいは手を取られるわけだ。
人の手を煩わすのではなく、ATMで送金処理をしたら、人件費もかからないから格安となるのは当然だ。
しかし、不思議なことに未だにたくさんの人が郵便局の窓口で送金処理をしてもらっているのだ。
職員が親切に「お客さん、この送金ですけどね、現金使わはらへん方がお得ですよ。」
「いや、よろしいです」
「さよですか、ほんでね、ATMでしやはった方が手数料もかからへんさかい、おとくでっせー。ここでやったら合計手数料が315円いりますけどね」
ゆうてやっても
「いや、構いません、お願いします」ゆうわけだ。
平日の昼下がり、特定郵便局は閑散としていて、ATMコーナーも誰もいない。すぐに送金できる状態だ。
職員はちらっとATMコーナーに目を向けて客に伝えようともしていた。
それでも反応はなし。
この客は若い女なんだが、送金するのは4万くらいに過ぎない。
それに無駄な手数料を315円も払おうというのだから謎だ。(もちろん大きなお世話なんだけどね)
老人がめんどくさいというのは、わからなくもないが、若い連中もやはり一定数その中に含まれているのが不思議で仕方がない。
お金がありあまっているのか、機械音痴が過ぎるのか、職員が処理するところを見るのが好きなのか、まるでわからない。
結局バカから金を巻き上げているシステムだと俺には思える。