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古本屋日誌
中学受験の進学塾である日能研関西に勤務していた酒井(担当は算数)は、2000年1月に過労死してしまった。
この会社ではその当時レコーダーでの勤務管理が行われておらず、正確な勤務時間はよくわからない。
ただ死んでから、同僚が記憶を辿ったり、保護者会の資料を探してきたりして復元したところによれば、くも膜下出血を発症するまでの53日間、全く休みを取っていなかった。
これでは体調も崩れるだろうし、また精神的にもストレスが溜まりそうだ。普通なら有休を取るとか、ズル休みするとか、医者にかかるとかするものだ。
ところが休まず、医者に診せることもなかったのは実に不思議だ。
進学塾だから、難関中学を目指す生徒のためにするべきことがいろいろあるし、また職掌は算数課の課長だったから、課員の統率、業務分担で頭を悩ませることもあっただろう。
それにしても、所詮は仕事だ。
金が要るからやっているだけではないか。
石ノ森章太郎の「HOTEL』は客のいう訳の分からない要求をホテルマン達が見事にこなしていって、めでたしめでたしとなる作品だが、バカバカしい。
そんなサービスが受けられるのは、一泊何十万も支払ったからだろう。対価に見合うサービスというだけの話。
でも進学塾の給料はそんなに高いものだろうかね。
そこで酒井の給料を調べてみたら、年に3回あるボーナスを入れて年収は780万くらいだ。年齢は37で、社歴3年8ヶ月、課長職。
これを、どう考えるか。
それなりの金額だし、地位もそれなりだからこだわりたいという想いがあったのかもしれない。
でも大した金額ではないよな。
自分の能力はだんだんわかってくるものだ。ほかの会社に移っても十分やっていけそうだとか、中学受験はまだ需要がある産業なんだから、焦ることは何もないとか、一寸考えればわかりそうなものだ。
では、何故彼はそう考えなかったのかなあ。
『本の雑誌』3月号に10ページにもわたって「本の売り方」なるマンガが載っている。
古本屋の話ではなく、新刊書店の話題だ。
毎日毎日次から次へと発行される大量の本を、本屋の限られたスペースにいかに並べていくかという話だった。
新刊は発行から三か月以内であれば、売れなければ出版社に返品できる。
つまり仕入れに金がかからないわけだ。売れたら儲けになるし、ダメでも返品できるのだ。
しかし、その後は「この本は売れるに違いない。まだ置いておこう」「新たに仕入れよう」と決めたら、その分は基本的にすぐ代金を支払わないといけないのだ。
売れもしない本を抱え込んだりしたら大変だから、本屋の店員はその力量を問われることになるわけだ。
来月、本屋大賞の発表がある。
受賞作はそれなりに売れるから、平積みスペースを広く取って、客の目を引くようにしないといけない。
しかし、どうしたことか村上春樹の新刊が大賞発表の翌日刊行となる。
こちらもかなり売り上げが期待できる。しかし平積みできるスペースは限られる。
とりあえず本屋大賞の受賞作を平積みスペース全部をつかって並べる。
そして、めんどくさいけど、その翌日、大挙してやってくる村上春樹の本は、前日のスペースを半分削って置き直す。
新刊書店はこのように「いかにして売るか」が大きな問題になってくる。
古本屋、それも通販だけの場合は基本的にどう売るかは問題にならない。
どう仕入れるかが問題で、売る方はなんとかなるからだ。
中学受験の進学塾である日能研関西ではこれまでに少なくとも2回過労死事件が発生してしまった。
俺はこの塾に長らく勤務しているので思うところもある。
死んでしまった連中のこともよく知っている。
特に初めの過労死事件は2000年の1月に起きたから、もう20年以上経っているわけだ。
これまでは神戸地裁での裁判で、やむを得ずこれに触れることはあっても、個人的には避けて通ってきた。
だって何をしても、死んだ人は帰っては来ないからつまらない。
しかしさすがにこれだけ年月が過ぎてみたら、書き残しておいてあげないといけないこともあることに気がついた。
まずずっと気になっていることなんだが、体調が悪くなってからの経緯だ。
誰しも体調を崩すこともあるし、それが尋常ではないとなれば、医者に行く。
ヤブ医者も多いから、誤診されて納得できないこともあるが、そうなれば別の医者にかかるだろう。
ところが過労死してしまった酒井は医者にかかった形跡がない。
毎年会社で行われる健康診断では高血圧が指摘されていたことはわかっている。上が170くらいあるのだ。
本人にも「それ、あかんのんちゃうん。」と聞いてみたが
「父親も一緒で、血圧が高かった。でも別になんともなかったよ」と相手にはしてもらえなかった。
忙しくて、少しくらいの体調不良なんかにはかまっていられないということなんだろうか。
タブロイド版の『日刊ゲンダイ』には今はどうか知らないが、1999年当時はリーマンが医者にあれこれ相談するコーナーがあった。
ある時そこにはこんなような相談が載っていた。
「週に残業が20時間くらい、いつもあって、疲れが取れません。夜も床についても、なかなか寝られなくて困っています。どうしたらいいでしょうか❓」
医者がどう答えていたのかは覚えていない。
しかし酒井はその記事を指差して「これは働き過ぎ。身体が悪くなるのは当たり前だな。休んだらいいのにね」と何を当たり前のことを相談してるんだ、バカだよなあと笑いながら話しかけてきた。
まったくその通りだ。
働き過ぎたらからだを傷めてしまう。
当たり前のことは、ちゃんと彼は理解していたし、休みもせずに医者に「どうしたらいいでしょうか」と相談しているリーマンの非常識さを笑ったのだ。
航思社から出た、岡崎次郎の『マルクスに凭れて六十年』は極めて良質のエンターテインメントだ。
北海道から出てきて、放蕩を尽くしながら、なんとか東大の経済学部を出て、翻訳の仕事を始めた。
岩波文庫の「資本論」なんだが、先輩の向坂逸郎との共訳となったのに、実際は全て岡崎が作業をやる羽目になった。
それにもかかわらず、印税は折半。
1937年の人民戦線事件に連座したことになり逮捕され、1年に亘り投獄される。
戦後は九州大学に色を得たが馴染めず、四年で退職して、今度は法政大学に勤務するが、おりから新左翼運動の胎動期で、嫌気がさしてまた辞めてしまう。
その後翻訳で生活を立て直し、大月書店から新しい資本論を出すが、これが向坂の怒りを買ってしまう。
「俺に断りもなくほかの出版社から『資本論』を出すとは信義にもとる」と向坂は激怒するのだが、もちろんいわれのないいちゃもんだ。
しかし岡崎は「向坂さんが無礼を詫びるというのなら、今後は岩波文庫の『資本論』の印税は全てお譲りする」と弱気になって受けてしまうのだ。
もう言い古されたことだが、激動の時代に生きた彼らのノンフィクションの凄みには、我々、平和で穏やかな時代に生きるものは、太刀打ち出来はしない。
それにしても、岡崎は1984年、80にして忽然と姿を消してしまい、未だに消息はつかめない。
おそらく嫁と一緒に自殺したのだろう。
この本にもそれを仄めかす記述がある。
何か目的があって生きるのなら問題はないが、「なにもやりたいこともないのに、ただ息をしているためにいやいやながら仕事をする、ということほど詰まらないことはない。ただ徒らに老害を撒き散らすだけである」
確かにそうかもしれないけれどね、だからと言って自殺せんならんとはならないだろう。
大江健三郎が亡くなった。
88だから仕方がないのだが、我が国の純文学界に君臨した巨人の死は残念に思える。
天才にありがちな、不思議なアンバランス感が大江にもあった。
作品の世界ではあれほど圧倒的で、先駆的なそして不道徳な内容を描き込んだ人物が、政治の世界では極めて真っ当で、しかも的外れな発言を一貫して繰り返した。
彼の中ではそれは一貫性のある行動なんだろうけど、われわれ一般人には極めて不思議に感じられた。
(ただし、ノーベル賞を受賞した後、文化勲章を「私はそもそ天皇制なるものを認めない、そんな国から貰いたくない」として拒否したのは大したものだと思ったけどな)
新潮社から出た「個人的な体験」は1965年の刊行なんだよなあ。頭に障害のある長男が生まれた時の父親のエゴイスティックで、情けない言動をこれでもか、これでもかと粘着質な文体で描いた。
昭和40年、そんな大昔に、わが子の死を望み、それを医者にも公言して、自堕落な生活にふけるなどという不道徳な人間の姿をよくまあ書けるもんだよなあ。