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古本屋日誌
例の呉座勇一が朝日新書で『動乱の日本戦国史』を出した。
呉座は『応仁の乱』などで知られる中世史の研究家で、井上章一の日文研に勤務していたが、同僚の研究員への中傷をSNSに投稿したかどで、免職となり、現在係争中だ。
この本は桶狭間や三方原、川中島、大坂の陣など戦国の主要な戦いの研究を辿り、従来の理解がかなり変更を余儀なくされていることをコンパクトにまとめたものだ。
大坂夏の陣では、大阪方は戦争慣れしているベテランの侍が多かったのに対し、徳川方は各大名の寄せ集めであったし、世代交代していて、経験不足だったという。
そのため功を焦って、てんでに突撃を繰り返して大損害を出したりしていた。(真田丸のこと)
また窮地に陥ると、周りが裏切るのではないかと疑心暗鬼に陥り、足並みが乱れるのだという。
実際夏の陣の最後の天王寺口の戦いでは、和歌山の浅野が裏切ったとの情報が東軍の諸将に伝わり、動揺が広がる。
そこをついて真田が家康の本陣に突撃することとなった。
家康の本陣は切り崩されて、三方原以来初めてその馬印も倒されてしまったいう。
しかしそれでも真田が家康を打ち取れなかった原因について、呉座は大野治長が秀頼の出馬を促すために城に戻ったためだという。
戦場には秀頼の馬印が掲げてあったが、これを残して治長が城に戻ったため、さては真田、大野は敗れたのかと西軍に動揺が広がってしまったからだというわけだ。
ということは夏の陣の最終曲面においても、西軍の諸将や兵卒は勝てる見込みが十分あると思っていたことになるよなあ。
それはなぜなんだろうか。
どう考えても東軍に勝てるようには思えないんだけどね。
秀頼は開戦に先立って、天王寺口を始め、防衛拠点各所に激励のため出向いている。つまり、彼の人心掌握術が発揮されたということなのか❓
それともやはり真田や大野の実力に裏付けられた説得力が将兵の心に響いたのだろうか❓