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古本屋日誌
今朝は寒さもゆるみ起きやすかったです。夜前も猫じゃらしで遊びましたが、それは棒の先端に糸状のものが付いていてさらに最先端には蝶の形をしたセロファンがあって動かすと音がでます。つまりは鳥をイメージしたものなんですが、床から離して空中を動かしているときは見ているだけでジャンプしたり、背伸びしたりはありません。床に置いてネズミのようにもそもそ動かすと反応して来るんですが、ダィエットでもあり、鳥に反応して欲しいのもありがっかりです。
今日は節分ですが私は大阪市内の出身ですが丸かぶりはあることくらいしか知りませんでしたが今住んでいる北河内方面では丸かぶりするのに加えて恵方を向いて食べ終わるまでは何も話してはいけないという習慣があってしかもそれなりに真剣に守ってる人がいます。以前のお客さんからお譲りいただきました呉智英の「言葉の常備薬」には節分の際に鬼を追い払うのになぜ豆をまくのか?豆なんか中っても大して痛くないのに不思議ではないかという話があってこれはつまりはあの世のものは算数が苦手で数を数えられない、同じことを繰り返せないからなんだとありました。人間は数を読めますし、同じことを繰り返せるだから「二つ返事で承知する」とか電話では「もしもし」とか「しもしも」とか言える。だがあの世のものは同じことを繰り返しては言えないし数も読めないから、たくさんの豆をまかれてしまうととりあえず頑張って読もうとするがもちろん無理なので混乱してしまうという。中国では贈り物は必ず小分けしたりして二つ持っていくのがマナーなんだそうで、もちろん赤い色はマストですが不思議といえば不思議ですね。
確かに職人の仕事は繰り返しのような気がする、少しずつ進歩はするんだろうがおんなしやんと言えないことはない。今は職人の仕事をベテランだとかこの道40年とかいって持ち上げるけれど以前は「アルチザン」だと軽蔑していた。
今朝は雨上がりでしたが風が吹いておらず過ごしやすかったです。このところ寝る前に猫じゃらしで遊んでるのですが、例のエッセーマンガ「ニャアン」を読んでいたらいろいろ遊んでやろうとしても猫じゃらしの先端を持ってるのは人間で決して生きている鳥ではないことは猫は百も承知でそれを問題にして「でも結局あんたが持ってるんでしょ」てな感じでじゃれつく気力をみせなくなったとある。ところがうちの3つの黒猫はやる気満々でお風呂から上がるとすり寄ってきたり、おこたの上に飛び乗ってじっと見つめたりしてます。人間が動かしてるのはよくご存知でそっちの方がいいという感じです。
先日お客さんから西部邁の雑誌「表現者」などをお譲りいただきました。この中に呉智英との民主主義に関する対談があって、呉が田中角栄は大した学歴もない(といっても大卒みたいなもんですが)し地盤も支持者もないなかでのし上がっていったのはどう考えても金をばらまいて求心力を作ったからで西部のいう大衆の良識なんていうものはないと批判しています。呉は学歴も地盤もない政治家がのし上がるには金の力しかないに決まってるし、そんなことは頭なんか悪くても世間知として当たり前だろうという。それにもかかわらず大衆が庶民的だとか、指導力があるとか言って角栄を持ち上げてるのは笑うべきことではないかというわけです。
確かに呉のいうとおりで西部の大衆批判はどこかこしが引けているように思いました。ただ中沢新一を東大に招こうという動きがあった時にあくまでも反対しあんなのが来るのなら大学にいる意味がないと東大を辞職したのは大したものです。中沢新一はチベット仏教のオカルト本もさることながら、「大阪アースダイバー」なる奇書をものしていて感心しません。
今朝は気温がさほど低くはなく雨です、お客さんに本をお送りしてほっと一息、猫はおこたに入ってますが下にホットカーペットも敷いてありこれもつけておこたも入れると3つの黒猫兄弟は暑すぎて出てきますが8つのサビ猫は関係なくおこたの中です。サビ猫は真夏でも押入れに入っていて暑いのがよほど好きなんでしょう。
先日お客さんから鎌倉文庫の藤沢桓夫の「新雪」などをお譲りいただきました。昭和21年の発行で紙質も悪くてかなり焼けがありますが著者の献呈がありました。舞台は国民学校時代ですから昭和の初めなんですが、大阪に暮らしている若い学生や教師がるまったく大阪弁を使わないのは面白かった。たとえば兄が九州で大学の教師で、妹は大阪に暮らしているのだが、妹はしっかりした大阪弁なのに兄は訳のわからない東京弁風のしゃべり方なんですが、特に妹から「あんた、きもいで!!」というようなツッコミもなく淡々と話が進みます。なんでなんかなあ?藤沢の小説は下手くそで現代的な価値はありません。ただ風俗や世相を学ぶのには大いに価値があると思う。
他にも岸浩史の「夢を見た」なんですが著者の岸が女優の杏にあてた長文のお礼状がついていました。杏のやっている番組でこの本を取り上げてもらったことのお礼のようでしたが、杏は保存せずに売ってしまったようだ。まあ本は一度読んだら基本的には二度と読むことはないから持っていても場をとるだけですからね。この「夢を見た」は見開き2ページに様々な幻想的な夢が描いてあって圧倒されます。思いもよらない不思議な世界に誘われて私は大好きな作品です。