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古本屋日誌

2019-05-22 01:21:00

呉座勇一の「一揆の論理」はもともとトンデモ本で一世を風靡した洋泉社から出た本だった。ボレミティックで、若い頃の呉智英を思わせる傲岸不遜で、挑発的な行文が楽しかった。
呉座の大風呂敷が愉快だ。曰く「日本では大衆がデモなどで集まって政治を動かす伝統がない」「戦後の食料メーデーは25万を動員したし、60年安保もかなりの人が国会前に集まり抗議したが安保条約は批准されてしまった」
なるほどそうかもしれない。別に大衆が世間を動かさないといけないわけでもない。

網野善彦は後醍醐天皇がバサラで、鎌倉幕府に対抗するために土民や大衆を組織して戦ったと主張し、お高くとまったイメージの皇室の歴史的なありかたに一石を投じた。しかし網野も結局左翼であって、大衆のエネルギーなるものに幻想を抱いていた。

しかし呉座勇一はそんな旧時代の幽霊に一切とらわれない。

唯物史観に毒されて一揆は反体制的で、竹槍で武装していて非妥協に戦った階級闘争だとか、直訴はご法度で佐倉惣五郎のようにいくら百姓に分があっても処刑されてしまうとか、われわれが高校で教わった知識がおかしいことは岩波新書の勝俣「一揆」などで明らかになってきた。
呉座のこの本はその流れを決定づけるもので、徳川時代の一揆の武装は竹槍ではなく、鎌や鋤であり、不当な年貢を要求する代官の罷免を藩主に願い出るもので、決して体制変革的なものではない。また直訴した首謀者も処刑と決まっていたわけではなく、許されたケースの方がずっと多いとある。

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