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古本屋日誌
中野孝次は2004年に死んだがその直前半年分くらいの日記を付けていて文春文庫から「ガン日記」と題して出版されている。
中野は碁が趣味で碁会所に出向いて手合わせをしていたがどうも胃のあたりがムカムカしてすぐれない、病院で診てもらい細胞検査となって食道がんが見つかります。
高齢(79)ということもあるし、抗がん剤や放射線治療が身体に大きなダメージを与えて正常な日常生活を営めなくなってしまうことを危惧して初めは漢方薬などの民間治療を選択して過ごします。
中野には「清貧の思想」というベストセラーがあって、ひたすら金儲けに血道をあげるのではなく、近代文明の利器に頼った快適な生活を嫌い、田舎で慎ましく過ごすのをよしとする考えが述べてあります。
中野はもともと千葉の工務店の跡取り息子で、大工になることを嘱望されていたが、その手の仕事を嫌い、勉強に励んで東大に合格しブリューゲルなどのドイツ文学の研究家となりました。まああれですね、日本の田舎を毛嫌いするようあるところの西洋かぶれですね。ところがかぶれたまま生涯を全うするのでなく老境に入ると今度は日本の田舎に憧れて「清貧の思想」とか言い出すわけです。
それはいいとして、ついに命の危機が迫る中で標準的な治療をあくまでも拒んで静かに枯れるのを待つか、そうではなくやはり入院して延命治療を選択するのかの瀬戸際に立たされます。結局彼は入院して放射線治療などを行う道を選択します。
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きっかけは本郷が井沢元彦を「立派な業績をあげている」と持ち上げたことのようだが、「本郷和人はこの10年まともな論文は書いておらず、大した研究もしていない」「その著書も同じネタの使い回しで、 武士の野蛮さを取り上げた話は何回も何回も違う本で繰り返して書いている」「本郷の応仁の乱の解釈はあまりにも単純でとうてい承服できるものではない」などと痛烈に批判している。
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1月末に突然破産して全店閉まってしまった天牛堺書店ですが、先週堺筋本町の船場店が再開していました。元天牛堺書店に勤務していたバイヤーが独立して始めた古本屋で「槇尾古書店」という屋号でした。
早速オープン二日目の火曜日に出向いたところ200円、500円、2000円、3000円の均一販売と岩波、ちくま、講談社学術、平凡社ライブラリー、岩波同時代ライブラリー、講談社文芸などのコーナーがありました。
レジ奥の棚には「天牛書店」から届いた清酒とみられる祝物、店内の各所には「厚生書店」「大阪古書組合」東京の古本屋などから届いた花籠が並んでいて華やかでした。
開店祝いの花籠は客が引き抜いて持って帰るのが一応習慣になっているのでしょうが、二日目だったんですが、まだどれも完全な状態で残っていたので、不肖私めもどの籠からも引き抜いてお祝いしていましたら「籠の下に包むものとかを用意してますから、どうぞお使いください」と丁寧なお言葉をいただきました。
梶山彦太郎の「難波古京考」を入手しました。梶山は例の「大阪平野のおいたち」で有名な考古学者で、古地図や実測をもとに大阪の古い姿を再現する研究では定評のある人です。
ずいぶん前なんですが1981年の秋頃「毎日新聞」の一面トップに梶山の発見が載ったことがありました。それは谷町筋や上町筋などの南北の道が正対せず5度ずれているのは、孝徳天皇の豊崎宮の都城がそうなっていたからであり、後の聖武天皇の難波宮の都城が正確に南北を指すのとは対照的だとして、今発見されている大阪城のすぐ南の難波宮とは違うそれの南西の位置に豊崎宮があるとするものでした。
京大の岸俊夫は「そんなことゆうても宮跡がでなんだらなんとも言いようがないやん」という反応でした。
結局梶山の言うような宮殿跡は発見されず、今では既に見つかっている難波宮跡が豊崎宮だとされています。
今朝は曇り空で暑うも寒うものうてあんばいです。柏書房から「自衛隊イラク日報」が去年出ました。2005年から翌年にかけての非戦闘地域での自衛隊の任務記録です。
大量破壊兵器があるとの憶測でアメリカが始め、日本も追随した大義のない戦争でしたが、米軍を中心に5000人からの戦死者を出しました。自衛隊は敵と直接対峙する場には行かず、後方支援や連絡業務、復興作業に従事したわけですが、例えば命を張っている米軍の将校から軽侮される場面、映画の「パットン」みたいな状況があるのかと思いましたが、それは全くない。
ノブレスオブリージュなのか、哀れみなのか、よくわかりません。自衛隊の将校が米軍の士官に「訓練の銃声と戦闘の銃声は区別ができるものなんですか?」と尋ねる機会があって士官がいうには「そんなもん簡単やでー、戦闘の銃声はいろんな火器の発射音が入り混じっとんねん、お前もじきにわかるわ」
この本によるとアメリカの永住権を取って、さらに帰化するとなると申請から3年くらいは認められるまでにかかるのだが、現役兵として入隊してイラクで戦えばすぐに帰化できるとなったので、希望者がたくさん入隊してきていた。その中には希望叶うことなく戦死するものも多かった。
今朝は少し曇り空でその分日差しが柔らかで過ごしやすい。
東大寺大仏殿を拝観して回廊の東側から出て少し北側に歩くと横幅が10間、遥かに続く石段があって「猫段」と呼ばれています。
仄聞するところではこの石段でこけたら猫になってしまうとのことで、我々も頑張ってこけようと試みましたがなかなかうまくいきません。登りきったところには行基堂、俊乗堂、辛国社、鐘楼などがあります。行基は東大寺創建にも関わった功労者だし、俊乗は鎌倉の再建時の立役者です。辛国社は創建時、功績のあった渡来人を祀ったものという。
まああれですね、普通に考えたらこけたら3年後に死ぬとかならリアリティはある気がしますが、猫にはならんでしょう。「こま段」(高麗段)だったのだろう。功績のあった朝鮮人を祀る祠に至る階段ということでしょう。大阪城の東側を流れていた小さな川も「猫間川」と言われてましたが、「高麗川」(こまがわ)でしょうなぁ。