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古本屋日誌
1月末に突然破産して全店閉まってしまった天牛堺書店ですが、先週堺筋本町の船場店が再開していました。元天牛堺書店に勤務していたバイヤーが独立して始めた古本屋で「槇尾古書店」という屋号でした。
早速オープン二日目の火曜日に出向いたところ200円、500円、2000円、3000円の均一販売と岩波、ちくま、講談社学術、平凡社ライブラリー、岩波同時代ライブラリー、講談社文芸などのコーナーがありました。
レジ奥の棚には「天牛書店」から届いた清酒とみられる祝物、店内の各所には「厚生書店」「大阪古書組合」東京の古本屋などから届いた花籠が並んでいて華やかでした。
開店祝いの花籠は客が引き抜いて持って帰るのが一応習慣になっているのでしょうが、二日目だったんですが、まだどれも完全な状態で残っていたので、不肖私めもどの籠からも引き抜いてお祝いしていましたら「籠の下に包むものとかを用意してますから、どうぞお使いください」と丁寧なお言葉をいただきました。
梶山彦太郎の「難波古京考」を入手しました。梶山は例の「大阪平野のおいたち」で有名な考古学者で、古地図や実測をもとに大阪の古い姿を再現する研究では定評のある人です。
ずいぶん前なんですが1981年の秋頃「毎日新聞」の一面トップに梶山の発見が載ったことがありました。それは谷町筋や上町筋などの南北の道が正対せず5度ずれているのは、孝徳天皇の豊崎宮の都城がそうなっていたからであり、後の聖武天皇の難波宮の都城が正確に南北を指すのとは対照的だとして、今発見されている大阪城のすぐ南の難波宮とは違うそれの南西の位置に豊崎宮があるとするものでした。
京大の岸俊夫は「そんなことゆうても宮跡がでなんだらなんとも言いようがないやん」という反応でした。
結局梶山の言うような宮殿跡は発見されず、今では既に見つかっている難波宮跡が豊崎宮だとされています。