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古本屋日誌
「もう一つ上の日本史」を書いた浮世博史は中学受験進学塾の浜学園や希学園に長らくいたという。
難関中学に合格させることが目的の進学塾で、学会の最新の歴史のトピックスに常に興味関心を持ち続けるのは可能だったんだろうかね。
とまあ人の生き方にあれこれ口を挟むとはおこがましいんだが、塾ではういていたんではないのかなあ。
私は天王寺高校の出身なんだが、文系、理系に関わらず、授業は極めて恣意的で到底文部省の指導要領に準拠していたとはいえないものだったなあ。
英語はシェークスピアを購読したがそれはいいとして、16世紀の彼の在世時の英語を読まされた。確かに今日の英語とは大きく異なることは理解できたが、普通に現代の英語を学ぶ方がいいのではないかと当時も思ったなあ。
国語は半年かけて源氏物語を購読するもので、確かに日本最高の物語であることは実感できたが、宿題は竹取物語の全文を写してくることで、意味がよくわからなかった。
教師に「えー習字やあろまいに、何の意味あんのん‼️」と尋ねてみたが「あーあれやな、古文の理解を深めるゆうのはそれが一番ええのや」とわけのわからない話だった。
漢文は「論語」を一年かけて教師の手書きのガリ版で学ぶものであり、それはまだいいとして、内容がわけのわからないものだった。
なんでも「論語」の各文末には語調詞なるそのセリフを口にした際の口調を表す記号が付いているとのことでいくつもに分類した語調詞の意味を学ばされた。
当然「先生〜これって聞いたこともない話なんやけど、あなたが勝手にゆうてはることですよね」と聞いてみたら苦笑まじりに「いや、わしだけやのうて、〇〇先生もゆうてることやねん」と全く説得力のない話をしてくる。
倫理社会はデカルトの「方法序説」、ベーコンの「ノヴムオルガヌム」を購読する授業で、面白くはあったが指導要領には抵触しそうだ。
数学は予習などは禁止でその場で考えさせて解き方を言わせる、あれこれの解法や規則性は教えない、基本事項から自力で導かせるものだった。教師は「それが一番力が付くんや」と得意げだったんだが、私はそもそもマイペースな人間で、びびりだし、弱気なのでこの授業方針そのものに馴染めなかった。
だいたい基礎事項から様々な解法を導けるなどというのはバカの思い上がりだろう。アマゾンの原住民の数学得意な子どもが80年かけてその生涯の果てに微分方程式にたどり着いたとして何の意味もあるわけない。それにそもそも入試の数学でそこまでのセンスやレベルは必要ない。
というわけで天王寺高校にせよ北野高校、四天王寺高校、聖光学院でも似たり寄ったりでまあ受験指導なんかしてないわけですな。
これはこれで意味がないわけではない。知的好奇心をくすぐり、将来伸びる子どもの土台を作る作業かもしれない。ただまあちゃんと力のある子は別にどんな教育でも芽は出ますけどね。
というわけで、浜学園や希学園のような難関校に的を絞った塾では同じような適当な教育を許す土壌があったのではないかと言いたいわけです。
でもまあ天王寺高校もそうなんだが教師は落ちこぼれの成れの果てなんですよね。おそらく学歴はへんにいいんです、京大文学部、東大文一とかごろごろしています。でも根が怠惰で努力できない、才能も中途半端で辛抱して自分を認めさせる余裕を持てない人ばかりです。
その連中が難関高校に職を得てまあ好き勝手やってるわけで、私は決してこういう怠惰で投げやりな種族を評価しません。だいたいがバカですからね。
でもその掃溜から彗星のようにあらわれた浮世博史は認めざるを得ないよなあ〜
ただまあ、進学塾ではういた存在で生徒からもアンケートやらでは評価されず、同僚の教師からも「進路指導をなめている」とうとんじられていた可能性はある。そのプレッシャーがバネになってますます研究にのめり込んだり、見返してやるんだという執念に拍車がかかったりもしたのではなかろうか。
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