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古本屋日誌

2018-10-16 11:59:00

今朝は薄曇りで風も吹いていてやや肌寒い。萱島近辺にはたくさんの喫茶店があり、階層別に客層も違っている。モスバーガーは駅前で高校生なども利用していて、喫煙室も大きい。マクドはないからその代わりのような存在で、安うて美味しいものが食べられるが、やかましいこともある店だ。以前は蔦屋のレンタル店だったところが今は珈琲館になっていて、少し落ち着いてコーヒを楽しみたい客がたくさんきている。これはこれでありがたい店で新聞や週刊現代、文春などが置いてあるのでもとも十分に取れる。ただ御手水が狭い上に汚いのが問題で、これはもともとビデオレンタル店だったので客が使うことを想定しておらなかったためだろうが、そのまま喫茶店に転用しているのは理解できないな。

さらに「びぜん屋」があってこれはひじょうに落ち着いて美味しいコーヒが飲める店で萱島の誇りといえる店だ。

大阪文学の会が昭和42年から翌年にかけて発行した「織田作之助研究 大阪文学」9冊を入手しました。戦前から戦後にかけて「大阪文学」さらにそれを受け継ぐ「文学雑誌」の伝統の中に位置付けられる面白い雑誌でそれぞれ織田作の作品やら対談やらを収録するとともに評論に小説、さらに巻末には大阪の著名な喫茶店や古本屋あれこれの宣伝が載っています。ぜひお求めください。

福谷たかしの「どくだみ荘」も数点入手しました。まずなんといっても絵が魅力ですね。不気味で、不潔な阿佐ヶ谷の独身アパートのそこに住むさえない若者の雰囲気が匂い立つように伝わってきます。かなり書き込んだ絵で水木しげるのゲゲゲの鬼太郎の背景に匹敵します。ストーリーはご存知の通り毎回よしおが女といいところまで行くのだが、最後にしくじる話でまあ時代劇みたいなもので毎回同じなんだが、そこがまた魅力なんです。


2018-10-15 12:18:00

私の通てた高校は阿倍野にありましたが斎場前から阿倍野区役所に下っていく坂に沿って数件の古本屋があり、どこも店先にうず高く雑誌が積み上げられ、そのどれもが古色蒼然としているのみならず、スレがあり汚れがあり、破れてもいて売り物になるんかいなという状態でした。店の中も通路とは名ばかりで両側に本の山脈があり、つまみあげても値段は書いておらず、店主は店の奥で何やら本を眺めている風情でした。

大学に入り京都に来ると丸太町通にはたくさんの古本屋があり、熊野神社の西側に不識堂という理系の専門書などもたくさん置いてある店があって、整理整頓が行き届き、店の前も打ち水をして、傘立ても用意してあり、お店といえるスタイルでよく新書を買いました。さらにすぐ横におばさんのやっている仕舞屋風の古本屋があって間口が広うて真ん中と両サイドに本棚が置いてあり通路は真ん中の本棚と同じくらいの幅があって本が見やすい。しかしさらに西側にあるマキムラという古本屋は阿倍野の古本屋そっくりで店の外にまで大量の本があふれ出している感じで、店内は通路は申し訳程度しかなく、両側には大量の本が積み上げられて高さはわたしの身長をしのぎます、地震で崩れたら確実に死亡する状態でした。なかなか魅力的な本屋でようこうたんですが、何年かして取り壊して新しいビルになってやはりマキムラが営業しているわけですが、新築ビルでも全く変わらず本がせり出してボルタリングしている感じで面白い。鴨川を渡ると三軒並んでいてどこも仕舞屋風で通路がきっちり確保してあり、京都の古本屋は大阪とはスタイルが違うんやと思いました。

だいたい古本屋をやっていると、どんどん本が増えていって置く場所がなくなってきます。倉庫はもちろんあるんですが、ここへ入れてしまうとそれこそ地下に埋葬したようなもので、どこに何があるかわからなくなり取り出す気力も起こりませんから、無理をして店にキャパ以上の本を運んで積み上げることになりがちです。「お客さんもいろいろぎょうさん本があったほうがドキドキして楽しやろー」とか勝手に忖度してしまいます。その果てが通路までふさがって何が何やらようわからん大阪の古本屋のスタイルになってしまいます。

京都はなんでああならんねやろ、不思議だ。まあ例外はあるけどね。


2018-10-14 08:29:00

今朝はさほど寒うはなく、一番過ごしやすい季節になりました。

人気のエッセイスト須賀敦子は西宮で育ち、幼い頃から本ばかり読む子どもだったが、母から「おまえは本に読まれている、主体性がないからあんまり読むな。本よりもっと勉強しなさい」と言われたと記す。実は母親は本好きなんだが祖母から読むなと言われたのでその目を気にして仕方なく娘にも同じしつけをしていたことがのちに判明する。その祖母は大阪の人間で「実用的な理由」から本を読むのを嫌がり「女はな本なんぞ読んどったらあかんようになってまう」といい敦子が寝床で本を読んでいたら、黙って電気のスイッチを切ってしまう、電気代がもったいないということだろう。この後敦子は東京に宿替えするのだが、故郷の西宮のように近所に遊びに行ける森はないし、学校では大阪弁だからと友達や教師からもいじめられていたという。


2018-10-13 11:58:00

今朝はかなり冷えて掛け布団をしっかりかぶって寝ていたらメス猫が入れてくれともごもごしてきました。

昭和6年の大阪城天守閣の再建に関してはこれまで天守閣を再建したいと市長の関が言い出したが、当時大阪城を管理していた陸軍が難色を示した。そこで関は昭和天皇の御大典記念で天守閣を再建して、合わせて第四師団本部も新設したいと申し入れたところ、天皇の即位という慶事なので渋々折れたと言われている。

しかしまあ考えてみれば御大典と天守閣の再建がどう結びつくのかよくわからない話だ。即位を記念する建物では全然ないし、秀吉と皇室の深い関係も聞いたことがない。郷土雑誌「大阪春秋」の4号は御堂筋の特集で郷土史家の川端直正や米谷修らが対談していて、天守閣再建時の市の担当者が「あれはね御大典記念で集めた寄付金がたくさんあったのよ、それを何に使うかといろんな案が出たんやけど、関市長が天守閣を再建して新しいシンボルを設けるのがええやろゆうことになったんです」と語っている。

となると住友なんかがほとんど半分を出したという寄付金は天守閣の再建なんかのためではなく、御大典記念のためだったことになり、関としても「ほら、大阪市民はこんだけ天皇の即位を寿いで寄付に応じてるんですよ、陸軍としてもそのこころを汲み取って彼らが喜びそうなモニュメントの建設を許してやってもらえませんかな?御大典のお金で天守閣を作るということは陛下からの大阪市民への大きなプレゼントになりますよね」てな感じで説得しやすかったろう。

それにしても即位の式典に寄付をしすぎではないのか?


2018-10-12 12:19:00

今朝はかなり気温が下がってきていて靴下を履いて作業しています。猫は例によって外出して、前の道を超えて斜向かいの御宅の通路にまで出て行ってどうなることかとオロオロさせられました。

話題の松本修「全国チン・マン分布考」はかなりの分量が様々なオメコやちんこを表す言葉の語源考察に費やされていて(オメコやおまんこは元はまんじゅうと言っていたが、京都の女房言葉で先頭に「お」や最後に「こ」をつけるようになったんだそうだ)これは日本最大の国語辞典である「日本国語大辞典」や大槻文彦の「言海」と同じ傾向で私にはバカげた作業にしか思えない。

歴史的な現象には繰り返しはないんだから、始まりがどうだったかなど客観的にわかるわけがない。桂米朝も「うがいはなあ、長良川とか宇治川の鵜飼が元になってんねんで」とゆうていたが、たんになぞなぞの答えを適当にゆうてるとしか思えなかった。米朝は落語家で、別に研究者ではないからこれは小話みたいなもんなんだろう。しかし「峠」の語源は「手向け」で、山神さまにお供えをして旅の無事を祈ったところからきてるんだというのもよう聞く話だが、証拠もないし適当に謎解きをしているだけだ。昔からやたらに語源を云々してありがたがるのはなぜなのか、知りたいところだ。

大阪でも「ホルモンはな元々放るもんやったからそないゆうんやで、今はもつ鍋とかにして食べんねんけどな」という話や「梅田はな元々は埋め田ゆうてたんや、田んぼが続いてるところを埋めて作ったんや」「あかんゆうのんはな、競馬場の柵があるやろ、あれはなあ埒ゆうねや、それが開かへん、つまりらちあかんからきてるんや」という話は、凡庸でかつ怠惰な連中から枕詞のように毎度毎度聞かされて、ほんまに飽き飽きしている。この連中は調べもせずに引き写しているだけで、「ホルモン焼き」の語源は「ほうるもん」ではない。梅田についても田んぼを埋めたなどが語源ではない。

「あかん」の語源なるものは競馬場に由来するなどとバカも休み休みにしてもらいたいもんだ。 


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