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古本屋日誌
去年、角川書店から出る予定だったが、横槍が入って出版できなくなった『トランスジェンダーになりたい少女たち』がようやく産経新聞出版から4月3日に出る。
現代の焚書坑儒みたいな言論弾圧で、不思議なことだよな。
角川書店は平成8年にジョナサンローチの『表現の自由を脅すもの』を出した。
この本は猖獗をきわめる言葉狩りや言論弾圧に根底的に異議を唱えるものだ。
著者のローチはナチス支配下で、さまざまなデマやでっち上げに悩まされた人物であるにもかかわらず、言論の自由を守るべきだと主張する。
そして「その表現は差別だ」とか「そのように言うと傷つく人がいる」などと言うものを認めないと言うのだ。
それらはあくまでも言論であり、言論の自由は守らないといけない。そうしないと必ず行き過ぎた統制を招き、自由は侵されてしまうというのだ。
土曜は、岡崎公園の美術館で開催中の村上隆の展覧会に嫁と出向いた。
まず、京阪三条からてくてく歩いて東山三条。相変わらず「マルシン飯店」は行列ができているが、俺は入ったことはない。
東大路通を南に歩いて、かなり離れているにもかかわらず「知恩院前郵便局」とネーミングされているのを尻目に殺して、半三郎帆布店も過ぎて、デニッシュ食パン屋の「ボローニャ」に出向く。
ここで990円の特用セットを購入。今回はノーマルとレーズンが一斤に小さいチョコ。
東大路通をとって返して東山三条交差点北東にある三階建の「マクドナルド」にたくさん客がいることや、その横のタバコ屋が健在で、タバコのほかに展覧会のチケットや漫画雑誌を売っていることを確認した。
前は通りを挟んでエロ本専門に売っている本屋があったが、これはもうない。
以前の京都は観光だけではメシを食えず、エロとセットで商売していたが、今やエロなどなしでやっていけるようになったのだ。
さて、一つ北側を入り「山梨製餡」、なかなかうまい最中のお店だ。
残念ながら日曜日は休みだ。仁王門通を東に入って京都文教があるのだが、いつもながら壁に柔道の大会で誰やらが優勝したなどと大きな垂れ幕を掲げていて、その下品さには驚かされる。
子どもの、しかもマイナースポーツですらない柔道など、誰が興味を持っているのだろう。その程度の常識すらない。
疏水沿いに歩いていると、観光船「へいあん」が航行している。
雨にもかかわらず8分がた席は埋まっていて素晴らしい。
まだ桜は蕾だが、このところの雨で疏水は増水していて、いつもの悪臭は全然ない。お客さん方はラッキーだよ。
やがて左手に、90年前に出来た帝冠様式の美術館が見えてきた。
中庭には10メートルの金ピカの巨大な「お花の親子」像が聳え立っている。
また会場入り口にはこれまた大きな仁王像が睨みをきかしている。
目玉としては横幅が18メートルもある『洛中洛外図屏風』、やはり13メートルある赤い龍、都の四方を守る四神の絵図などが耳目を引いている。
そして今何よりも尾形光琳をパロった「風神雷神図屏風」だ。
村上隆は自信家だから、あと100年もしたら俺の風神雷神が国宝になるだろうと思っていそうだ。
展覧会の図録はまだ出来上がっておらず、4月下旬になるのだという。
それでも千客万来で、強い雨にもかかわらず外国人客も多い。
美術館を出て、南に向けててくてく歩いて白川沿いの小道を通って、再び三条京阪、三条大橋を渡って河原町下ルにあるビアホール『ビアthirty』に2時過ぎに入った。
ここは以前と経営者が変わったとかでメニューもかなり変わっている。(薄く切ったりんごにチーズを添えたのもなくなった)(すぐ南の、古本屋大学堂は先日閉店してしまった。)
しかし相変わらず大きなガラス窓越しに、河原町通を歩く人たちをゆっくり眺めながらビールを飲み、美味しい料理をいただく醍醐味は失われない。
金曜日は、出町柳の臨川書店の古書市があった。ここもだいたい毎月小規模な古本市をやるのだ。
雪混じりで、寒いのだが、朝の9時半に、臨川書店本店のシャッターと鉄扉が開けられて、キャスター付きのワゴンに入った本を職員が、ガラガラガラと引き出す。
本社屋は今出川通に面していて、ワゴンや机は狭い歩道に並べられる。
これは伝統的な古本屋の販売方法で、大阪の古本屋も以前はそうしていた。
さて、毎回20人くらいのおじさんや文学部の学生と思しき若いにいちゃんが本を見に来ている。
臨川書店は国文学の専門書をあれこれ出版していて、徳川時代の終わりに上梓された『摂津名所図会大成』の復刻も出している。
だから、扱う古本もそういう本なんだが、文庫や新書も少しワゴンに出している。
俺が思うには、京大文学部の教員と深い繋がりがあって、彼らの本を出版してやり、また不要な蔵書を引き取っているのだろう。
売る方も、大した利益ももたらさない専門書を出してくださっているという引け目があるので、本の買取に際して「この査定は安すぎるやろ。もっとあんばいしたってや」みたいなことは言わないだろうから、持ちつ持たれつだろうよ。
藤澤桓夫という小説家がいて、大阪高校から東大に入り、文士になったが生涯大阪に住んだ。
先日、新潮文庫に昭和15年に収録された『大阪』を読んでみた。
話は大大阪時代で、三角関係を経て結ばれるというだけのもので、感心するようなものではなかった。
ストーリーも極めてご都合主義オンパレードで、よくこれで本にしたものだと思わざるを得なかった。
ただ昭和の初めの大阪の風俗で学ぶ点があったのはよかった。
船場に居住する大店は大気汚染に耐えきれなくなって、岡本や芦屋などに本宅を移したことはよく知られている。
彼らは戦前から東京志向が強く、井上章一が指摘しているように、そのモダニズムなるものは東京のモノマネだ。
また神戸一中や関学、灘などの進学校は三高ではなく、一高志望だったことも知られている。
この小説では「まあ!あたくしなんぞもう時代遅れで、皆様の前へ出していただく柄ではございませんわ」という話を帝塚山の有閑夫人が話す。
藤澤はこの会話を示して、彼ら、彼女らは客に対しては大阪弁を使わないというのだ。
今の大阪の大衆は、東京にそもそも対抗心を持っていないし、素晴らしくアーバナイズされたスポットとして憧れを抱いている。
パッとしない大阪を尻目に東京に憧れる自分の立ち位置を快いものと考えているわけだ。
昭和の大大阪時代にも全く同じような構図が、少なくともブルジョアジーにはあったことが確認できる。
水曜日から三条通の京都文化博物館ロビーで小規模な古本市。
赤尾照文堂、京都スターブックス、ぼあい書房、小亀屋、石川古本店などが出品している。
レジでは本に付けてある値札を外してから、合算していた。
大阪の古本市では値札を外すだけでなく、どこの古本屋の売上なのかも、いちいち、いちいち確認してレジを打つので時間がかかるかかりすぎる。やはり京都のやり方の方が客にとっては便利であることは言うまでもない。
折から昨日は春分の日で、天気は強い風と雨なんだが、京都はたくさんの観光客で賑わっていて、この古本市にも外国人の姿がたくさん見られた。
浮世絵版画や展覧会の図録、古地図などもたくさん出品されていて、彼らの耳目を引いている。
また、博物館では嵐山近くの松尾大社の特別展が開かれていて、これも海外の人にとっては興味深そうだ。
さらに、古本市のすぐ横のブースではミュージアムショップがオープンして京都に関する本や美術書、小物、雑貨を扱っている。
つまりここに出向いたらいろんな土産物がいっぺんに揃うというわけなのだ。