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古本屋日誌
今日は7時くらいにはもう起きて、夜の間に入った注文のこしらえをして、嫁の焼いた食パンで朝ごはん。
9時ちょうどに、郵便局にお願いに出向いてその足で萱島、枚方で快速急行に乗り換えて三条に10時過ぎに到着。
10時半からゼスト地下街河原町広場で古本市があるのだ。
上に上がると、曇り空で気温も低く快適、三条大橋は珍しく行き交う人も少ない。
河原町御池下ルに昔からある、キクオ書店はもう開いている。交差点の南西部角のエスカレーターで地下街に降りると目の前が河原町広場で、まだオープンには10分くらいあるが、すでにパラパラとお客さんが本を見ている。
通常の古本市の初日は、時間ぴったりに始まることが多いが、ここのは五月雨的にいつとはなくスタートしている。
参加しているのは全て京都の古本屋で11店。
びっくりしたのはぼあい書房の棚で、昭和50年代の少年マガジンなどをずらり、100冊以上並べていたことだ。(1冊600円)もう半世紀くらい経つというのに、世間には物持ちのいいひとがいるものだな。
しかも折れ目なども、あまり付いていないし、日焼けもない。これは勝手な想像だが、売ってくれたお客さんは、おおきな蔵か納戸のある下鴨の旧家で、一読してすぐに蔵に放り込んでおいたものではなかろうか。いえが広いから、処分する必要なく、どんどん溜め込めるのではなかろうか。
また梁山泊は、風俗本をたくさん並べていて、1980年ごろの全国の高級トルコ案内や、いその・えいたろうが書いたそのルポや黒木香と伊藤比呂美の対談本などが1000円くらいで置いてあった。他にも怪獣などのソフビがたくさん並んでいる。
古書ダンデライオンの棚にはちくま文庫の『森鴎外全集』が何冊も並んでいるし、京都スターブックスのところには、映画のきれいなポスターがあった。
レジは初日はということで、古本屋の主人がたくさんきている他に、これも俺の憶測だが、近くにある、新刊書店のふたば書房の社員ではないかと思われる、腰の低いお二人が務めていた。
お一人が、本についている値札を外して、もうお一人がそれを集め、書店ごとに並び替えて整理して、合算していき、最後に本の冊数と値札の数が合致しているか、チェックするのだが、やはりミスが起こりそうになる。
何冊かのセット本であるのに、一々冊数にカウントしてしまい、当然値札の数より多くなってしまう。
ありがちなことで、今回もセット本を崩して冊数を読み始めたので、「あーこれは揃いのやつだから」と申し添えてことなきを得た。
支払いは現銀以外にカードも使えるのは便利だ。
地下街の古本市だから、寒くも暑くもなく、雨風に遮られることもない。すぐ横にはhollys cafeもあって、地下街に出してある席で、こうてきた本を読むことができる。
山中伸弥とタモリが最新の科学的知見をもとに、人体や進化について考察する、「人類史3.0 人間とは何者か?」という番組が5日の土曜日NHKで放送された。
サピエンスがネアンデルタール人と交雑していたことはだいぶ前から知られていたし、ユーラシア大陸の端に住んでいたデニソワ人とも交雑していたこと、またそのデニソワ人は原人とも交雑していたことも全てわかっていたことで、新鮮味がない。その意味では極めてつまらない番組だった。
しかし番組最後の結論がなかなか面白くて、印象に残った。
山中伸弥によれば、サピエンスは様々な人類と平和的に共存し、仲良くお付き合いしていたということがわかり、ほっとしたというのだ。
でもそれなら、ネアンデルタール人はなぜ絶滅し、人類はホモ・サピエンスしか生き残っていないのか❓
チンパンジーは、違う群れと遭遇すると、オスと子どもを殺して、メスと交わる事がよく知られている。
つまりサピエンスもおんなじように、ネアンデルタール人の子どもや男を皆殺しにして、女を略奪したのではないか、と考えるのが現在の常識だと思う。
このところ秋雨前線のおかげで、雨もよいとなり、朝晩に限らず涼しい。このまま秋本番となっていただきたいものだ。
今日は、友人が苦労して甲子園のチケットを取ってくれたので、楽しみだが、天気予報は雨が続くとなっている。
出荷を済ませて、京橋から大阪、5分遅れている、13時発予定の新快速で三ノ宮。
センター街には、京阪神随一の品揃えを誇る、ブックオフセンター街店があるが、さらにフラワーロード寄りには老舗の「あかつき書房」がある。
この場所は、神戸のダウンタウン、中心部であり、大阪の天神橋筋やうめ地下、心斎橋筋、京都の四条河原町、東京の銀座みたいなところだ。
天神橋にある「天牛書店」は大阪を代表する素晴らしい古本屋だが、この「あかつき書房」と比べると、置いてある本はやわらかめだ。
何せ「あかつき」には徳川時代の和本、名所図会の類、節用集、武鑑、古地図、錦絵、紙ものが目立つ場所にたくさん並んでいる。
しかも特にガラスケースに入れられているわけでもなく、手にとっていくらでも読める。これは「天牛 天神橋店」では俺は見たことがない。
また小説もほとんど見られず、文学関係は評論やエッセイで、それに対して「天牛」には最近の新しめの文学書が西洋文学も含めて目立つところにたくさん並んでいる。
文庫本も「あかつき」は岩波、講談社学術、ちくま、ちくま学芸ぐらいにしぼられていて、(店頭の平台にはそれ以外のものもある)「天牛」の各種文庫取り揃えとは違う。マンガも「天牛」にはあるが、「あかつき」にはない。
つまり「あかつき」はすごくかたい本を並べて商いを続けているわけで、それが連綿と続いているわけだから、神戸のお客さまに愛されて、信用されている証だろう。
神戸にはそういう本を、繁華街で買い求めたいお客さんがそれなりにいるが、大阪には少ないともいえるだろう。でも元々、須磨までは摂津だから大阪なんだけどね。
雨はその後も降り続いて、試合は中止となった。
今日は月曜日で、朝から出荷。
このところ2階に、仕入れた日ごとに分類して本を置いているので、基本的には探す手間は大幅に短縮。
10時くらいには作業終了。
これならもっと早くにやっておけばよかったと今更ながら思い知らされる。
枚方から特急で三条、久しぶりにブックオフ三条駅ビル店を覗いてみた。
まだまだ同じタイトルの本も多いものの、岩波文庫の『心理学』上、下とか『虚栄の市』1、2、朝日文庫の『グリコ森永事件』、福田千鶴の『豊臣秀頼』、井上章一の『戦時下日本の建築家』など珍しい本もあったので、びっくりした。
また、中公文庫の『フロイス日本史』シリーズが、少し242円の安売り棚の方に移してあるのにも驚いた。これまで数年間ずっと中公文庫の棚にあって、動かざること山の如しだったのに、店の方針が変わったのだろうか。
京阪電車で出町柳に出て、叡山電車に乗り換えて一乗寺。ラーメン街道の近所で、駅前にも「二郎」が昔からあるのだが、町屋風の建物は見当たらないが不思議だ。
新刊書店の「恵文社」に寄って、山田稔の『富士さんとわたし』、山口晃の『趣都』を買う。
前者は30年以上に亘る、茨木に住んでいた富士正晴との私信のやりとりを下に書かれたエッセイだ。
パラパラ読んでいると、ハガキの写真もいくつか掲載してあって、山田の住所も隠すことなくそのままだ。
さっそくGoogleマップで調べてみると、ラーメン街道を少し西に入ったところだとわかる。勝手に伺うのは問題だが、サインが欲しいな。
さて、ラーメン街道に出て、「アリバイブックス」を覗いてから(ここには山田の本はなかった)東大路を横切り以前は畳屋だったという古本屋。
大半100円で売っていて素晴らしい。本以外にも雑貨、小物も扱っていて、以前来た時は豪華な羽子板を売っていた。
また引き返して、少し茶山の方にてくてく歩いて「マヤルカ古書店」。ここで山田稔の「こないだ」のサイン本(2000円)を見つけて購入。
小説家の山田稔は今年96なんだが、元気そうでなによりだ。
このところ大阪の編集工房ノアという全国的にはあまりメジャーではない出版社からたくさん本を出してあるのが不思議だった。以前は講談社や河出書房、平凡社などといったところから本が出ていた。
そのあたりについて、2024年にやはりノアから出した『もういいか』の中にヒントとなる話がある。
山田によれば、メジャーな文芸雑誌の編集長が交代して、縁が切れてしまったり、「山田さんはエッセイのほうがいいのではないか」との評価を得たりしていたというのだ。それで、2003年に『新潮』に載ってからご無沙汰となっている。
この本の巻末には『夜の声』という小説が巻末に掲載されているが、一読、感心しない。
レッドパージ後の、京都な共産党シンパの学生の、揺れる心理を描いたものだが、今とは違う世相も感じられないし、就職や院試をためらい、作家になりたいと悶々とする日常もどこかよくある話だ。
しかし、この本の大半を占めるエッセイのような、小説のような日記のような作品は味わい深く感心した。とりわけ亡くなった坪内祐三のことを書いたものはよくできている。
坪内は書評でよくヤマダの著作を取り上げていたのだが、ある時、一乗寺の恵文社でのイベントで山田と会い、その後の二次会ではさしむかいです酌み交わした。
しかし、話は何故か弾むことはなく、山田が「坪内さん、「ぽかん」(山田がつながりのある雑誌だ)に書いてくれませんか」と言ったら、坪内祐三は顔を曇らせた。
山田はその話のあと、彼が若くして亡くなってしまったことを書き、さらに最後に、坪内が山田の『こないだ』という本の書評を『週刊ポスト』に書いた話を続ける。
この本に収めてある『ある祝電』という作品は夭折した人権派弁護士多田謠子を回想したものだ。
坪内祐三は書評の最後を「29年の短い生涯であったればこそ、生の楽しさもまた一段と鮮烈であった。そう思うことで自らを慰めるより仕方ない」、と山田の作品を引用して終わっている。
坪内祐三の人生も同じようなもので、やはり「鮮烈であった」と思うしかないのだろう。