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古本屋日誌
先日亡くなった鳥山明の『Dr.スランプ』(ジャンプコミックス)は第7巻をのぞいて重版されて書店に並んでいる。
なぜ7巻だけ除外されているのか、わからない。というのもその巻は読んだことがないからだ。
幸い嫁がAmazonで全巻セット(レンタル落ちなので、天と地にスタンプがあるし、焼けもきつい)を購入したので、ようやく読むことができた。
このシリーズで、初版の絵が改変されたのは、ウルトラマンやウルトラセブンを登場させたシーンがある。著作権絡みで違う絵に変わっている。
また黒人やその子どもが出てくるシーンも、黒猫や宇宙人に変わっている。
これはなぜなのかわからない。
言葉狩り、つまり言論弾圧の結果のようだ。論理的思考が出来ないバカのせいで、絵を改変させられた鳥山はさぞかし無念だったろう。
さて、7巻なんだが、黒人やその子どもが出てくる話はないし、ウルトラマンは出てくるがこれは絵を改変する処理でクリアできるはずだ。
バキュームカーでババを汲み取る話やセンベイが赤ん坊になって、山吹先生のスカートを覗いたり、お風呂に入ったりする話もあるが、取り立てて問題があるようには思えないな。
少し気になったのは最終話で、宮本武蔵風の孤高の剣士の話なんだが、この主人公は、肩まであろうかという長髪で、これにウルトラマンが「とこやにいけ」とか「なにしとんねん」「あほな」と大阪弁でつっこむシーンがかなりあるのだ。
ウルトラマンに大阪弁をしゃべらせるのはダメだという横槍が入ったのだろうか❓
昨日で、大阪と京都の大規模な古本市が終わった。
京都のみやこメッセのものは、骨董市みたいな感じがした。
一点もの、文学書、掛け軸、浮世絵、錦絵、版画、明治物、映画ポスター、鉄道の同人誌などがたくさん即売されているからだ。
この会場の利用料金もかなり高そうだし、普通の本は通販で売る方が利益が出るため、古本市にはあまり持ち込まないのだろうと思っている。
天王寺さんの古本市は、庶民的で、時代小説や、ごく普通の文庫本、少し古めの、古書価は全然ついていない本がたくさん販売されている。
でもこういう普通の本は、本来は地域の古本屋で売られるべきものだと思う。
一冊100円とか50円なんだから。
わざわざ倉庫から出して、クリーニングして、高いガソリン代がかかるトラックを用意して、天王寺さんに運び込み、さらに業者に頼んでテントを設営してもらい、本を並べて販売して、終了後はまたトラックを使い撤収するという大変な手間をかける意味はない。
でも地域地域の古本屋はどんどん潰れていっている。
本以上に面白い娯楽はたくさんある上に、本で得られる情報はネットでも、SNSでも、より安価で手に入るからだ。
また地価や賃料の上昇で、店舗を構える古本屋の営業が成り立ちにくくなっているのも理由の一つだ。
それで古本屋がタッグを組んで、おそらく使用料が安かろう、天王寺さんや天神さんで古本市を開くことになる。
でもそれに必要な労働は、もっぱら古本屋の主人一人の肩やその家族によってになわれており、時給に換算したら500円くらいだろう。
これは大阪府の最低時給の半額にもみたない、異常なものだ。
しかし自営業者あるあるで、やってる本人は無自覚なのだ。
大阪の古本市は、古本屋の「利益は一応出てる」とか「そのうちボナンザを見つけられる」とか「昔からやっている催しだから」とか「仕事は額に汗してやるもんだ」という幻想や職業倫理に支えられている。
お客さんの方は「俺の好きな時代小説を100円で読みたいし、読めるものだ」と思っているようだが、それは大間違いだ。
本当はそんな値段であるわけがない。
21世紀の今日、どう考えてもありえない仕事が、たくさんある。
紙の新聞の作成、その配達(ネットで新聞は見れるし、拡大もできて便利だ。それに早朝、夕方の配達など人的資源の無駄づかいだろう)。
ATMの現銀引き出しとそのために並んでる人(現銀決済など紙資源や鉱物資源の無駄だし、ATMに並ぶなど人生の無駄遣いだ)。
そして何より、大半のトラックドライバーの仕事。
わが国経済の根幹を支えている、基幹労働者であるにもかかわらず、労働条件が悪すぎる。18時間くらいハンドルを握っていることもあるのだ。
昨日もええお天気で、行楽日和だった。
通販のAmazonの発送は、今年は4月30日、5月1日、2日の平日もやらなくてよいことになっていて、7日の火曜日に出すプログラムになっている。
ただそれだとお客さんのところに届くのがずいぶん遅くなってしまうので、寝屋川郵便局まで持って行って、発送した。
昨日5月3日の憲法記念日、嫁と京阪電車で京都に出向いた。
大型連休真っ最中なんかに、オーバーツーリズムで有名な京都に出向くのはバカげた行動かもしれない。
ただ本当のところはどの程度の混み具合なのか、確かめてみたい感じがしたのだ。
プレミアムカーを予約しようと試みたが、11時過ぎの枚方ではすでに満席。仕方なく5号車に乗る。
特急の混み具合は大したことはなく、扉を入ったところの広めのスペースに屯っている他、通路に満遍なく客がいて立っている程度。
丹波橋駅に着くと、近鉄乗り換えの人がたくさん降りて、2人並んだ座れた。
祇園四条で降りて、四条通を烏丸方面に歩く。晴天だが暑くはないし、湿度も低く、観光日和で、確かに人は多いが、歩きづらいほどではない。
大丸の6階で開催中の町田尚子の原画展『隙あらばねこ』を見た。
大丸はとくに混んではおらず、膨大な原画と絵コンテに圧倒されながら、ゆったり見ることができた。
町田は既に2000年に『子育ての大誤解』のカバーを描いていて、猫をはじめ様々な動物を幻想的なイメージで描く絵本作家だ。
グッズ売り場で絵本や手拭いをこうてから、デパ地下に行き、広大なパン売り場。
ここもいつもの人出くらいで、とりわけ大変ということはなし。
時間は1時すぎとなって、ビールを飲みながら昼を食べたいが、新京極の「キリンシティ」は近いが、スペースがないので、さすがに混んでいそうだ。
四条通を歩いて、河原町通を越したら「ニューミューヘン」がある。しかしここもそんなに広くないから、入れるかどうかわからない。
一番広いのは三条河原町下ルの「ビア サーティー」なんだが、ここは遠いし、経営母体が変わって、以前美味しかったりんごのクリームチーズのせや、あんかけ焼きそばなどのお気に入りメニューがなくなってしまっている。
とりあえず、手近な「キリンシティ」を覗いてみたら、かなり空いていて、テーブル席に案内された。
たらふくビールやらあてを食べて、新京極の「グラニフ」で猫のTシャツを2枚こうてから、てくてく北上して、河原町三条の「ジャンカラ」を覗いてみた。
時刻は2時半。中島みゆきの本人歌唱(コンサートなどで歌っておられるのを拝聴できるのだ)が入っている「ダム」の部屋をリクエストしたら「空いてます」とのことで、2時間たっぷり歌ったり、お聞きしたりできた。
4時半過ぎにここを出て、京阪三条。特急に乗る。
大して乗っておらず、問題なく座れた。
全体としてオーバーツーリズムで辟易するというほどのことはなかったな。
今月5日まで、京都、大阪で大規模な古本市が開催中だ。
春先の移動期はお客さんが不要な本を処分する時期なので、古本屋は大忙しで、いい本もたくさん持っている。
その販売ルートは通販を使うのがもっとも利益が見込めることが明らかなので、おそらく基本的にどの本屋もAmazonやヤフオク、メルカリ、自社ホームページでの販売を手がけているわけだ。
従って古本市にはそういういい本は持ってくることが少ない。
いくら行列ができて、客が多いといっても、たかだか大阪、京都近辺のお客さんが来るだけだから、たかが知れている。
そのため例えばAmazonにいい本の在庫が積み上がり値崩れを起こすこともしばしば起こっている。
古本屋の店舗でも、大規模な古本市でも見られない本なのに、Amazonでは在庫が25冊もあって、値段も安いのだ。
将来的には古本市は文学書や骨董品、稀覯本と通販では扱いづらい時代小説やコンディションの悪い本ばかりになってしまうだろう。
文学書はコンディションにこだわるお客さんもたくさんいるので、実際に手に取ってみたいという要望が多いから、そもそも通販に馴染まない。
一枚刷や版画、画集、掛け軸といったものも同様だ。
しかしそれ以外の本はわざわざ古本市の会場にまで運んできて、本棚に並べて販売するというのは、ガソリン代やトラックといった資源の無駄遣いであるし、何より古本屋の労働力を搾取する前時代的な、時代遅れのやり方だろう。
今年の勧業館での古本市でも明らかにその兆候が感じられた。
文庫本について、非常にいいものは並んでおらず、普通のラインアップだったからだ。
これはお客さんには便利なことであるし、また古本屋にとってもとにかく素早く売れるわけだから、悪いことではない。