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古本屋日誌
昨日で、大阪と京都の大規模な古本市が終わった。
京都のみやこメッセのものは、骨董市みたいな感じがした。
一点もの、文学書、掛け軸、浮世絵、錦絵、版画、明治物、映画ポスター、鉄道の同人誌などがたくさん即売されているからだ。
この会場の利用料金もかなり高そうだし、普通の本は通販で売る方が利益が出るため、古本市にはあまり持ち込まないのだろうと思っている。
天王寺さんの古本市は、庶民的で、時代小説や、ごく普通の文庫本、少し古めの、古書価は全然ついていない本がたくさん販売されている。
でもこういう普通の本は、本来は地域の古本屋で売られるべきものだと思う。
一冊100円とか50円なんだから。
わざわざ倉庫から出して、クリーニングして、高いガソリン代がかかるトラックを用意して、天王寺さんに運び込み、さらに業者に頼んでテントを設営してもらい、本を並べて販売して、終了後はまたトラックを使い撤収するという大変な手間をかける意味はない。
でも地域地域の古本屋はどんどん潰れていっている。
本以上に面白い娯楽はたくさんある上に、本で得られる情報はネットでも、SNSでも、より安価で手に入るからだ。
また地価や賃料の上昇で、店舗を構える古本屋の営業が成り立ちにくくなっているのも理由の一つだ。
それで古本屋がタッグを組んで、おそらく使用料が安かろう、天王寺さんや天神さんで古本市を開くことになる。
でもそれに必要な労働は、もっぱら古本屋の主人一人の肩やその家族によってになわれており、時給に換算したら500円くらいだろう。
これは大阪府の最低時給の半額にもみたない、異常なものだ。
しかし自営業者あるあるで、やってる本人は無自覚なのだ。
大阪の古本市は、古本屋の「利益は一応出てる」とか「そのうちボナンザを見つけられる」とか「昔からやっている催しだから」とか「仕事は額に汗してやるもんだ」という幻想や職業倫理に支えられている。
お客さんの方は「俺の好きな時代小説を100円で読みたいし、読めるものだ」と思っているようだが、それは大間違いだ。
本当はそんな値段であるわけがない。
21世紀の今日、どう考えてもありえない仕事が、たくさんある。
紙の新聞の作成、その配達(ネットで新聞は見れるし、拡大もできて便利だ。それに早朝、夕方の配達など人的資源の無駄づかいだろう)。
ATMの現銀引き出しとそのために並んでる人(現銀決済など紙資源や鉱物資源の無駄だし、ATMに並ぶなど人生の無駄遣いだ)。
そして何より、大半のトラックドライバーの仕事。
わが国経済の根幹を支えている、基幹労働者であるにもかかわらず、労働条件が悪すぎる。18時間くらいハンドルを握っていることもあるのだ。