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古本屋日誌
今日も天気です、夜前は1年ぶりに石油ストーブをつけました。三ノ宮のお客さんのもとに伺い小村雪岱の本などをお譲り頂きました。中公文庫の「日本橋檜物町」には島津保次郎の「春琴抄」のセットのために大阪に出向き南木芳太郎らのあんないで古い商家を見て回った話があり、東京とはどこか違う伝統の重みや、どっしりした存在感に心打たれ、「東京にも震災の前まではあった」世界がはっきりと息づいているさまを描写しています。こういうのはオリエンタリズムでもなくいいものですね。
ところで今日はJRで行ったんですが、住吉から見ていたんですが三ノ宮まで踏切らしきものが見当たりませんでした。JRは確かに一直線で踏切が少ないのは知ってましたが、ほぼ存在しないという状態は昔からなんでしょうか?
確か1980年ごろに京阪電車が萱島までの高架複々線を完成させて、「日本最長の高架複々線」としてえらいアナウンスしていた記憶があるんですが、高架となれば踏切もないわけでスムーズに気分良く走れるというのでしょうが、別に高架やのうても踏切が存在しなければ同じことで、この辺りはそれなりにどの電鉄会社も競い合っていた感じがします。京阪電車は例えば門真市駅のあたりなんか中環状とクロスするので地上を走ってますから全然高架ではないんですが、あんまりそういう文句を言う人はいなかったですね。
JR
今日は天気です、先日お客さんから「雑誌大阪人」を大量にお譲り頂きました。今は廃刊になった雑誌ですが、元々行政からかなりの補助金を出して発行していた本でしたが、中身はお寺に行って写真を撮り、インタビューする、適当な店を取材してインタビューするの繰り返しで私はこのレベルのものをわざわざ税金を投入して発行するのはバカバカしいと思っていました。もちろんいい連載もあり南木芳太郎の伝記やOSKの連載などはよかった。しかし店の紹介なんかいくらでももっといい雑誌があるし恥ずかしくなかったのか本当に不思議です。
廃刊になったのは至極当然でもったいないとかいう人もいるようですが理解に苦しみます。
「月刊タイガース」という雑誌も私は以前年間購読していましたが、腹立たしいことの多い雑誌でした、この雑誌もインタビューと写真だけで、まあ3日もあれば出来るような手抜き満載の代物であるのはまあ置くとして、そのインタビューがまた問題だ。例えば今はタイガースのバッティングピッチャーをしている山崎という投手は現役時代のインタビューで憧れの球団は❓と聞かれて躊躇なく「ジャイアンツにきまってるだろー」と答えそれがそのまま載るわけですよ。タイガースファンしか購読してない雑誌でこういう発言を公然として恥じない神経がわからない。
今日は雨で猫も外へでたがりません。先日お客さんと話ていたら大阪城の山里曲輪から北にかかっている極楽橋は死体を運び出してあの世に行けるということでそう名付けられていて、皆さんもご承知の通り豊臣時代の豪奢な橋の構造物が今も竹生島にあるのは勇者にあやかるためなんだとのことでした。確かに説得力のある話で伏見城落城のみぎりにとりいらが切腹した板の間も今も血天井として保存してあるわけです。
しかしいつも不思議な思うのは本丸の重要文化財、千貫櫓なんですが、石山本願寺時代に織田の猛攻を何度もしのぎ「あれを抜いた者には千貫与えても惜しくない」という例の話は有名だが、もうそんなに攻め込まれて本丸だけなのになぜ持ちこたえられたのか不思議です。大筒で連射でもして、後は足軽に突撃させれば簡単だと思うんですがね。夏の陣の時はあれほどの要塞でも南側が破られてはひとたまりもなかったんですが、実に不思議です。
今日もぬくいです。近所の真っ黒な飼い猫が風呂場の窓からすぐの板塀にうずくまっていて、それを見つけたうちの根性の薄いオス猫が顔色を変えています。
先日お客さんから中野信子の本をいろいろお譲り頂きました。小学館新書の「人はいじめをやめられない」はいじめは元々フリーライダーを許さないという人間の進化の過程で生まれた機能だからなくすのは無理。どう付き合って行くのかが、問題で学校の場合ならいじめられている子を転校させたり、休学させたり、傷害の場合は警察を導入する、監視カメラをつけるなどを提案しています。なかなか良くわかる話です。
私の行っていた公立中学では何者かが職員室に侵入して教師の机の鍵を破壊して中の期末テストを盗む事件がありましたが、「必ず犯人を見つける❗️」とかことで、全生徒の指紋を採取して照らし合わせることをやりました。もちろん犯人は判明してこんこんと説諭されたわけですが、まあそのほうがすっきりしてていいですね。
今日もうららかですな。家の猫は遊んでやらないとストレスが溜まり家の中で暴れまわります。今から手洗いへ行くところにある扉に一番小さい三つの雌猫が始終飛び上がりすでにささくれだっているし、表面に張ってあるクロスもはげています。昔の古本屋は大名商売ではないかと羨んでいます。大阪の旭区の千林商店街にある楠書店はもともとわたしが住んでいたところに近くよく本を持って行ってこうてもろてましたが、たまたま主人が留守で奥さんが店番をしていてそこへ大きな布のカバンに本を満杯にして持って行くと「今主人が留守なので持って帰ってくれ」と言います。ものすごく重たいし、何度も売りに来ていることを訴えて「じゃあとりあえず、ここにおかして、後で査定してくれたらええから」とゆうても「そういうの主人は嫌がるんです、持って帰ってね」で取りつく島もなし。
まあ昔は娯楽が単純であんまりなくテレビかラジオか本かマンガか、野球か水泳かキャンプか、映画かそんなところで、本を読む人の比率が高かった。だから今から見たらバカバカしい下らないものでも本にできたし、店としてデタラメでも大丈夫でしたよね。なんせ需要が一杯ですから。でもまあそれは今でも同じで子どもの頃はプロ野球の選手てすごい超人みたいなもんだと憧れてましたが、阪神タイガースのレギュラーとか見てたら全然そうではない、例えば引退した新井の弟とかなぜこの程度でプロといえるのか疑問です。それは才能があろうがなかろうがとにかくプロ野球球団は12もあり客の需要があるので、数を揃えないといけないからですね。
そう考えれば仕方ないことだし、まあそういうゆるゆるなところが一杯あるから私も飯が食えているわけで安心です。下らない才能崇拝はやめてもらいたいものです。