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古本屋日誌
天王寺さんで連日古本市だ。
ぬけるような青空の中だし、すぐ東には朱と青にの回廊、そして金堂に五重塔が目に飛び込んでくる。
せせこましく、通路を通るにも背をかがめ、横向きにならなければならないような、普段の古本屋巡りとは全く違う解放感があるよなあ。
塔の中には永代供養のお骨がたくさん眠っている。まるで先祖に見守られているかのような安らぎを覚えるのだ。
たくさん古本屋のテントが並ぶ中でいくつかの書店は「全品200円均一」とか「文庫、新書は3冊で500円」とうたって販売している。
昨日、青空の中、そういう古本屋で本を見ていたら別のある古本屋の主人がやってきた。
彼は均一販売の本屋の主人に
「どうもね、うっとこや、その周辺の文庫本を、おたくに持ち込んで安くこうてる人がいるみたいですわ。お手間やけどちょっと気ぃつけてみといてもらわれへんやろか」というのだ。
「ふんふん」と適当に主人は応じていたが、そんなことがあるのだろうか。
いちいちめんどくさいことなんかしなくても、単純に盗んだらいいだけではないのかなあ。
それを別の店にまで持ち込んで、安いながらも一応金を払ってこうてるというのだが、俺には信じられないな。
だいたいねじ込んできた本屋の主人はどうしてそんな事態になっていると感じたのかがわからない。
自分の店の棚がやけに減っていて、売り上げと合わないということなんだろうが、普通は万引きを疑うだろう。
そうではなく、別の均一店に本が持ち込まれていると思うのはかなり不思議な感覚だよなあ。
つまりは均一販売の店が目障りだということなんだろう。
「うちはきちんと相場の値段で売ってるのに、えらい安う売るのは売り上げに影響が出る」みたいな感覚だろう。
でも店舗にせよ、古本市にせよ値段は通販より安くなるのは当然だよなあ。
通販の相場を古本市に持ち込もうというのはバカとしか思えない。
だって古本市に来る客は近所の人だけだからな。
でも店舗や古本市なら50円、100円とかで通販にはなじまない本(佐伯泰英、東野圭吾、百田尚樹、宇江佐真理、司馬遼太郎、西村京太郎、赤川次郎などなど、いくらでもある)もたくさん売ることができる。
またすでに文庫化されてしまい、売りにくい単行本もさばくことができる。
去年立花隆が亡くなり当初その著作の注文がたくさんあった。
「田中角栄の研究」や「死はこわくない」などだ。
今年はむかわりを迎えてつい先日、4月30日の夜、NHKで追悼特番があった。
立花が最後にたどり着いた死生観の話だ。
人生は大宇宙の果てもない時間に比べて一瞬だ。しかし人間は進歩していて、いつの日か、その最先端の知が全ての人類に共有されるものとなるというのだ。
立花はここから「死はこわくない」とおっしゃるのだが、俺にはよくわからない内容だったな。
それはさておき番組放送からすぐに立花の本の注文が立て続けに入り、例によってテレビの影響力を感じさせられた。
連休明けはしばらく出荷できなかったので、郵便局に持ち込む本の数がかなりに上ることがある。
といっても何百などということは全くなく、せいぜい数十くらいなんだが、手元の出荷数データと当初は、照合していた。
パソコンの出荷数が47、郵便局の窓口でのカウントも47❗️
「あ〜よかった」
ところが数が合わないことがしばしば起きるのだ。
パソコン上は出荷数は34なのに郵便局では33。こうなるといろいろ心配になるのだ。
店から本を運び出すときに積み上げた山から落ちた本に気がつかなかったのかとか、自転車で運搬しているときに落としてしまって気がつかなかったとか。
もちろんそんなことはなく、単に読み違いなのだ。なんでも気にしすぎはよくない。
今日から岡崎公園のみやこめっせ(勧業館)で古本市。
2年間、開催が見送られていて、今回久しぶりで早速朝から行ってみた。
雨ということもあるし、コロナ騒ぎで本を入手するのは通販サイトというスタイルも定着したせいもあって、朝一の人出は以前よりかなり少ない。
また、今回から集合レジではなく、各店舗で精算する方式となった。
なんでもレジでの混雑を避けるためだそうで、これまでたくさん用意してあった買い物かごも廃止となった。
そのため店でたくさんこうた際には両手に山のように本を積み上げて持つことになって不便だ。
3年ぶりの開催だから大盤振る舞いがあるのかな❓と思ったがそういうことは全くない。値付けはごく普通と見えた。
ただ地元京都の本屋でなく、地方から来ている古本屋は相当安い値段で販売している。
奈良の法隆寺から来ている「百済書房」や奈良市の「紀文堂書店」がそれだ。
百済書房はJRの法隆寺駅の近所にあるのだが、この辺りは大阪のベッドタウンで、30分くらいで天王寺に出られる。
だからいい本を日常的に読んだり、仕事に使ったりという客層がいる。
いい本が集められるので、日常的に店で販売している値段をみやこめっせでもつけているのだろう。