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古本屋日誌
井上章一が朝日新書から「ふんどしニッポン」を出した。
いつもながら独創的な研究であり、資料の博捜、たたみかける文体、説得力、どれをとっても名人芸だよなあ。
1955年の日米対抗水上競技大会で、日本人の旗手がふんどしを身につけている写真をもとに井上はいう。
「日本の水泳関係者は、褌をある種の正装だとみなしていたのだろうか。
すくなくとも、ドレスコードにもとる装束だとは、思っていなかった、また、アメリカ側もこれをうけいれていたようである。
でなければ、国旗掲揚の係を、褌の男になどまかせるはずがない。そして、1950年代の男は、褌一丁でこのおごそかな役目をはたしていた。
今とは、褌のかもしだす印象が、まったくちがう。
このいでたちは、礼節にかなうとみなされていた。そんな時代があったのだと言うしかない。」
どうですかね。
この何行かで、井上は国際大会で褌を付けていたことしか言ってない。何度も色々な表現や別の角度から表すことで、読者に強い説得力を与える。
また読点が多用されて立ち止まりながら読むことになり、これがたたみかけ、繰り返される文章と相まってなんとも言えない味わいがある。
個人全集を集めるお客さんがいる。
俺はいくら大した作家だとしても、その著作の大半はレベルの低いものでしかないと思っているから、そんなものを含む全作品など馬鹿げているとしか思えないな。
先日亡くなった西村賢太の著作が今月立て続けに刊行の運びとなる。
「本の雑誌」での追悼特集に続いて、講談社文庫で「瓦礫の死角」が出た。
これは帯に西村賢太の写真を掲載したものなのだ。以前の精悍な顔立ちではなく、何か困ったような、仕方なくコートを着て佇んでいるような老けた写真で、もう賢太はこの世にいないことを実感させるのだ。
それはそうとその短編の中に主人公が森鴎外全集を買い求めるくだりがあった。
「(なぜ森鴎外全集を持っているのかの説明)いや、それもはなは清造絡みだったんですよ。そもそもね、二十年前にあの揃いを四、五万円だかで購めたのは、清造が鴎外の文章に心酔していたことを、一時期清造と同じ下宿屋にいた大木雄三が書いていたんで、それで入手しておいたんでさあね。実際、大正十一年の七月だったかのの鴎外の葬儀にも参列してますし」
自分の好きな作家が褒めていた、葬儀にも出ていたから、全集をこうたということだ。
たしかに鴎外の散文は超一流なんだが、何も全集をこうてまで確かめるものではなかろうと、思うのだ。
新潮文庫の「舞姫」でも「阿部一族」でもかまわないのに、全集を大枚はたいて買うんだから困ったもんだよなあ。
「本の雑誌」6月号には「藤澤清造全集、見本」が復刻してある。
これはかなり前だが本屋などで無料で手にはいったものだ。
例えば京都なら寺町の三月書房で配っていた。この本屋は大型書店でもあんまり置いていない小出版社の本や雑誌をたくさん置いていた。
大阪の編集工房ノアとか、東京の樹が陣営とかなんだが、店主の好みで長新太や吉本隆明、山田稔、天野忠、川崎彰彦なんかだ。
それはそうと「本の雑誌」には西村賢太の担当だった各誌の編集者の座談会が載っている。
彼の本が新しくできた際に10冊程度を献本として送るのだが、その選定にことのほか時間をかけるという話がある。
帯が少しずれているとか、カバーの印刷に色むらがあるとかを西村賢太が気にしてえらく怒るからなのだという。
うーん、そんなめんどくさいやつとはこんりんざい付き合いたくないよなあ。
「本の雑誌」の最新号は西村賢太の追悼号だ。
ここに西村が作って配布した「藤澤清造全集、見本」が収録してある。
20ページにもおよぶ大部なものでフルカラーなのだ。
さらにこの全集を推す諸家の推薦文が載っていてその末尾は直木賞作家の藤本義一だ。
藤本はかなり恵まれた作家だとの印象がある。
直木賞こそ、売れない落語家の壮絶な芸を描いた「鬼の詩」だったが、その後はテレビで「イレブンPM」の司会を務めながら、いろんな雑誌に売れ筋の小説を書きまくっていた。
ところがこの推薦文の中で藤本はこう書くのだ。
「(藤澤清造の作品には)ベストセラー作家を嘲笑する気概が満ちている。
いつの時代でも売れ筋は持ち上げられ文体を奇嬌な装いで飾って得意ぶっていると言いきった作家だろう。この主張はどの時代にも通用する。それは僻みではない。作家の軸を守る強靭な姿勢そのものである。」
売れっ子作家の藤本がこんなことを書くとは思わなかったな。
もっと俺は認められて然るべきだと考えていたのかな。
iPhone芸人と称するかじがや卓哉がいる。
もともと吉本の養成学校で学んで漫才コンビを組んで仕事をしていたが、なかずとばず。
メシが食えないのでずっと家電量販店で仕事をしながら、新しいiPhone発売日にはかならず並んで、借金してまで新機種を購入していたそうだ。
並ぶといっても発売の当日朝早く行くという程度のものではないのだ。
なんでも発売の1週間前の朝から並んでいてそれでも7番目だったという。
発売当日にはマスコミの取材があってかじがやもテレビのインタビューを受けることがあってそのコメントが面白かったので次第にオファーが来るようになった。
彼の売りはiPhoneの裏技を優しく伝えられることだ。
「」を出すときは大抵かっこと入力して「」を出すものだが、かじがやによればそんなことをしなくても「や」を左に滑らせたら「が出るし、右にスライドさせたら」が出るのだそうだ。
また既に打ち込んだ文字列の間にまた文字を入れたい時、カーソルを文字と文字の間に合わせようと大抵の人はするが、それではカーソルが上手く動いてくれず違う字のところに合わせてしまうこともある。
これもかじがやによれば空白キーを長押ししたらカーソルが右から左な順にずれていってくれるから合わせ間違うことはないのだということだ。
なるほど確かに時間の節約になり、スイスイ文字が打てそうでありがたい知識だよな。
それにしても21世紀は素晴らしい時代だよなあ。
ネット社会のお陰で古本屋も通販でメシが食えるし、かじがやのような無能な芸人風情ですら、ちゃんと仕事があるのだからな。