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古本屋日誌
今朝は春雨がそぼ降り、やや肌寒い感じですが、氷雨ではないわけで濡れて行こうかとは思わないものの、不快ではありません。
このところよう思うのは1970年代の大阪市の小学校の学校格差のことです。児童の学力差とかいうことではなく、学校施設の違いです。私は大阪市の住吉区に生まれて当初清水ヶ丘小学校に通っていましたが、鉄筋の三階建ての校舎が広いグランドを囲むように立っていて、講堂もプールの横にあってしっかりした建築でした。トイレもきちんと男女別になっていて今と取り立てて違いはない感じでした。
ところが四年生からは安立小学校に転校となり、驚いたのはまずトイレで男女共用で、向かって右側に男用の小用があるんですが、間仕切りも何もなく一段高いところに上がると、目の前にはタイル貼りの壁がそびえそこめがけて用をたすんです。後で水を流すなどということはありませんから非常に臭い。こういうトイレは実は甲子園球場には長らく残っていて、2003年の優勝を目前にした三塁側アルプスの場外トイレはそれで、一応タイルの壁に真横に水道のパイプが通してあって水は流れるようにはなってはいましたがね。
女子便は左手にあって一応木の扉で個室風になっていました。私は子供ながらに「なんでばばだけはあんな臭い部屋ん中ですんねやろ、おなごはいつも部屋に入ってご苦労なこっちゃな」と思っていました。というのも汲み取りなもんだから臭気がこもって大変だったからです。このはばかりさんのすぐ隣に4年の教室棟があって木造で一階が講堂になっていました。二階が教室で真ん中に木を張り合わせたベコベコいう廊下があって両側に教室が並んでいてやかましいことこの上ない。さらに教室棟の横にはニワトリ小屋、ウサギ小屋があり、児童が当番で世話をするのだが、まあいい加減な手抜きの掃除だから汚い、臭い、おまけに鍵をかけ忘れたりするもんだから、夜中にイタチが侵入してニワトリを食い殺してしまい朝来たら死骸が転がっていたことがありました。
低学年はあんまりいい環境に置かないという価値観があったような気がしますね。なんせ5年や6年はプールの横の鉄筋の校舎がわり当ててありましたし、給食の調理棟もほど近かったからです。低学年をないがしろにするのは実は安立小学校だけではなく、清水ヶ丘小学校でも同じで、6年の教室の掃除は1年がやっていました。まあ先輩、後輩の関係からしたら当然とも言えます。ただバカな1年に掃除の仕方を教える方が面倒だったろうなとは思います。
それにしても安立小学校と清水ヶ丘小学校の格差はどこから生じたものなのか、未だに不思議です。明治のご時世なら小学校の建築費はそこに通う父兄が出資するといえこともあって、金持ちがたくさんいた船場のなどはエスカレーターが設置されていたり、遊戯室があったりとなかなかのものだったようですが、すでに戦後30年をけみしようかという時代ですからね。