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古本屋日誌

2019-02-27 13:11:00

小倉紀蔵のちくま新書「京都思想逍遥」の帯に「『京都ぎらい』に書かれていない奥深い京都」とあり、京都を贔屓する姿勢が鼻につくものの、購入して一読しました。
井上章一は中京の人間は洛外のものを差別しているとの視点を出したわけだが、小倉紀蔵は「井上章一の本には書いていないことが多すぎる」と批判する。
確かに祇園祭の町衆を務めている人間は洛外の人を下に見ることは間違いなくあるが、逆の上に向かう視点があるのだという。
祇園祭にせよ、町屋建築にせよそのたぐいのものは所詮は町人の文化であって、たかだか商売人に過ぎない町屋建築が京都の代表であるように取り上げられている現状こそ「上に向かう姿勢」がある証拠だというのだ。町人風情なのに、虎視眈々と京都の実権を貴族や権力者から奪い取ろうと思っていて、現にそれを成し遂げたという。
つまりこれは京都人は下を蔑視する姿勢を持つとともに「下剋上」をもたくらんでいるという話ですね。もっと上と下に広がる奥深い京都を見ないといけないという。
確かに小倉紀蔵のいうことはわからなくはないが、祇園祭やら町屋建築を上回る文化的遺産をあまり持っていないのではないかという疑問はある。京都市内は戦災はまぬがれたはものの、度重なる火災やら金儲けのことしか考えないバカが跋扈するせいで大して古い建物なんかない。観光都市の戦略として勢い、町屋建築などを売りにするしかないのは理の当然ではなかろうか。今の京都はつまりは伝統的を破壊して偽造して世間を欺くのが上手いわけですよ。祇王寺やら高台寺付近の街並みを偽造したり、下鴨神社周辺の街並みなんかにもいかにも歴史があるように、バカを騙すのに長けているわけです。ちょうど現在の天皇制が適当に明治以降に作成されてあたかも昔からそうであるかのように語られるのと同じ構造です。そんなもんありがたがっていいわけがない。


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