Welcome
古本屋日誌
今日から阪神百貨店8階の催し会場で古本市。
大阪、京都、神戸の古本屋のみならず北陸地方の本屋も出店していて、20店舗ほどになっていて、盛況だった。
屋内の古本市は寒くないし、風も吹かないから飛ばされた細かい砂で本が汚れることもない。
腹が減ったら9階の「阪神大食堂」か地下二階で飯も食えるし、ビールでもコーヒーでも楽しめる。
8階には大きなタイガースショップがあって、さすがに日本一から1ヶ月以上経過しているので、行列もないし、ゆったり優勝記念グッズを選べる。
『月刊タイガース』の優勝記念特別号が3300円で出たのだが、サイトから申し込んで購入するシステムで、11月下旬に申し込みは締め切られている。本屋では買えないのだ。
ただこのタイガースショップには、11月下旬から少し置いてあったとの情報があったのだが、今日はもう12月23日で、もちろん売り切れていた。
ただ俺は『月刊タイガース』はくだらない雑誌だと思っている。
選手の写真とインタビュー、前の月の成績一覧、実力が感じられない記者のコラムなどで成り立っていて、この程度のものなら1週間もあれば簡単に出来るだろう。
イライラしているファンを慰撫する中身が全くないのだ。
18年も優勝しないデタラメなタイガースと実力もない選手、監督、経営者に怒りを覚えないファンはいないだろう。
いつも、いつもこの試合に勝てば、引き分ければ優勝という時、必ず負けてきた。
この雑誌を読む限り、タイガースは少なくとも5年に一回くらいはセーリーグで優勝して、10年に一回は日本一になっているとしか思えない能天気な内容だ。
雑誌『フリースタイル』は毎年12月に「このマンガを読め」という特集号を出している。
それによれば、漫画は電子書籍で読むのがかなり前から普通になっていて、2022年はマンガ雑誌、単行本の売り上げは紙は2291億円、電子は4500億円になっている。
また集英社の『ジャンプ』の発行部数は117万部なんだが、それ以外は大したことがない。『マガジン』は37万、『サンデー』は16万、『モーニング』は9万、『スピリッツ』は5.7万(いずれも印刷部数、実売は当然もっと少ない)
この発行部数では『ジャンプ』以外は単体では赤字だな。電子書籍に単行本、海外の売り上げなどで商売としては成り立つのだが、われわれの時代とは隔世の感があるよなあ。
1990年ごろ、本屋に行くと雑誌はラッピングされておらず、それなりに立ち読みができて、「面白いなあ」と思ったら、すぐ横の漫画売り場できれいにラッピングされた単行本を買うシステムだったけどな。
コンビニにもたくさん雑誌が並んでいて、定期的に購入するリーマンがかなりいたものだ。でも今、コンビニにはあまり雑誌は置いてないなあ。
その一方で、活字本は、依然として紙が電子を圧倒している。
電子の売り上げは、伸びていないどころが、減少している。
だいたいの人は歳を重ねるとバカが加速するよね。
自分の立場しか考えられなくなる、赤の他人に甘える、想像力が働かないなどの症状が顕著になってしまう。
よく使わせてもらう郵便局の窓口ではこんな感じ。
新規の保険を申し込もうとしている80がらみの婆さん。
「それではここに、申込用紙に記入するんですが、お仕事は何をされてますか❓」
「そんなん、主婦やわ。何もしてない。」
「はい、そしたら年収ですけど、どうしておきましょうかね」
「そんなもんあるかいな、こんなヨボヨボ仕事なんぞあれへんがな。」
「それでは、ゼロから100万のとこですね」
という調子だ。だいたい申込書は本来自分で記入して窓口に持って行くものだ。
それをサービスで、忙しい中時間を割いて、その人だけのために読み上げてあげているのに、喧嘩ごしなんだよなあ。
これがよくわからない。
年齢とともにストレスも過剰になり、周りに相手にしてくれる人もいなくなってしまうから、甘えられる人がいたら、見境つかなくなってしまうのだろう。
仕事でこういう人の対応をしなければいけない労働者向けに、研修も必要だろう。
バカはいくつかのパターンに分類できるから、パターンごとの対応をマニュアル化しておけばよい。
労働者側にもストレスの溜まりやすい人、溜まりにくい人があるから、定期的にガス抜きできるよう産業医に相談できるシステムなどもいるだろう。
わが国の経済はようやく回復基調で、かつてない賃上げで一息ついた労働者も多い。
しかし、経営者が無能な会社や、構造的に左前になっている業界では、賃上げどころか首切りや賃金カットが行われている。
労働者側は、労働組合を通じて会社と交渉することになるのだが、交渉にあたる執行部とか代表者は、仕事もできて、収入も多い人たちであることが多い。
インフレになってもとくに困ってないし、夫婦で働いていて、二人とも仕事ができたりして、家のローンなんかも早々と繰上げ返済を終わってたりする人たちなのだ。
さて、俺がいつも不思議で、面白いなあと、思うのはこの人たちの交渉術だ。
もちろん個人的に潤っていることは結構なことだし、それとその会社の労働者の現状とはなんの関係もない。
だから交渉では
「この寒い中、電気つけんと、毛布にくるまって生活してるんや、うそちゃうで」とか、
「生活がムリやさかい、上げてくれゆうてんねん」
「こっちは引かれへんで。生活かかってるんやから」
というようなセリフが経営者に向けられる。
非常に効果のあることばの数々で、経営者の譲歩を引き出せることがある。
大河ドラマの『どうする家康』というくだらないドラマも、ようやく終わったな。
最終回前後は、とりわけ極めて不快だった。
そもそも、夏の陣は、司馬遼太郎に言わせれば「日露戦争までの全ての戦争をはるかに上回る戦死者を出した」戦争であり、まったく意味のないものだ。
耄碌した家康のわがままによって始まり、自らも命を失いかける危機に陥った。
徳川幕府の正史である『徳川実紀』でも大坂の陣はまともに取り上げられていない。
また徳川時代に大坂の陣を扱った講談『難波戦記』は出版こそ許されなかったが、筆写で流通するのは黙認していた。
歌舞伎でも明らかに大坂の陣を扱った『先陣の館』の上演を認めていたわけで、それはこの戦争になんの大義もなければ、意味もなかったと為政者自身が思っていたからだろう。
それはさておき、この戦争についてNHKの『歴史探偵』が何度か取り上げている。
❶冬の陣では秀頼は淀川の堤防を何ヶ所も切り、城の北、東側を水浸しにして家康方の接近を許さなかった。
❷家康はこれに対抗して長大な堤防を築き、水の流入を阻止して、本丸の北側にあった備前島に(堤防を設置する前は水没していた)オランダ製の大砲を設置して、500メートル離れた本丸に砲撃を加えた。
現在新淀川の洗堰付近の河原(長柄)には巨大な石が打ち捨てられて残っている。
これは徳川の再建大阪城に使うための石材が残ったものと言われているが、そうではなく冬の陣の際、徳川方が築堤のために沈めたものだ。
❸冬の陣の際、城の南に作られた真田丸は城から独立した城郭であり、現在も残る心眼寺など、3つの寺院をその敷地内に取り込んで作られた。兵営として庫裡が使えるからだ。また、狭間と城郭の上の二ヶ所から家康方に鉄砲を放った。
❹真田丸には 3人がかりで操作する巨大な大筒があって、鎧の装甲を貫く威力をもっており、それを用いて攻撃していた。その模様は「冬の陣屏風」にある。
❺真田丸を攻撃する家康方は、塹壕を掘り、さらに築山を築いて高いところから砲撃し真田丸を攻撃して、同時に大部隊を投入して正面突破で落とそうとした。(大失敗に終わる)
大東亜戦争の直後に、焼け野原となった大阪を米側が空撮した写真があって、それを分析すると、家康方が築いた築山の名残が土地の高まりとして確認できる。
❻夏の陣では、信繁は茶臼山に砦を作った。茶臼山の南側には深さ5メートル、長さ二キロの湿地帯があった。信繁はそこに家康方を誘き出して一気に打ち取る戦略を立てた。さらに西側に大きな馬出しを作り精鋭を待機させた。
この馬出しは南に陣取る徳川方からは死角で、大軍が湿地帯に入った段階で密かに別働隊を出して、手薄になった家康の本陣を襲い、打ち取る戦略だった。
❼実際の戦闘では、徳川の大軍が湿地帯に入りきらないうちに浪人衆が攻撃を始めてしまい、本陣の守りが手薄にはならないという誤算が生じた。
などという面白い説が紹介された。
これはおそらく「城廓研究家」だという千田先生のお説なんだろうね。
最近出ている大坂の陣の本には全然載ってないからね。
確かに茶臼山のすぐ南には、今も河底池があって、まんまんと水をたたえているし、ここから南にずっと低い溝が、近鉄の河堀口駅あたりまである。
地名も谷町筋沿いに堀越神社というのがある。
つまりここは奈良時代の終わりに和気清麻呂が運河を掘ろうと10年にわたって苦労した場所なのだ。
(実は、環状線の天王寺駅周辺も、この奈良時代に掘られた運河の窪みを利用して掘鑿されている。)
それにしても、千田先生は、信繁が茶臼山を第二の真田丸にしようとしていたとの主張のようだ。
でも茶臼山はとても小さいんだよね。
長さは100メートルもないし、それ以外の東に伸びる溝は大した深さもないから、徳川方を立ち止まらせることは無理だろう。
真田丸はすぐ北側に鉄壁の堀を備えた大阪城があったからね、全然違う。