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古本屋日誌
けさは夜前からの雨でしのぎやすいです。この数日30度を楽々と超えてくる猛暑で大変でした。
最新号の「週刊ポスト」に呉智英の連載があってフェルマーの定理の証明に貢献したという数学者の志村五郎の著書の話が載っていました。
志村五郎の本は平凡社から2010年に出た「鳥のように」というエッセイ集で、早速一読しました。御歳80を優に超えていながら博覧強記な上に減らない毒舌が何の未練会釈なく炸裂する面白い本だ。
批判の矛先は中学時代の数学の教師から始まって、東大時代の数学の講義のくだらなさ、さらには功なり遂げた画家、例えばシャガールやピカソは世間受けする構図でしか描かなくなったと批判する。
さらに北斎は下手くそな画家で人物はワンパターンで変化もなく生々しさは微塵もなく、その欠陥が風景画にも滲み出ているという。
丸山真男は漢籍の知識がありそうに見えるが、実は大したことはなく「春秋の筆法」すら知らなかった。マナーにも問題があって部下を連れてアメリカの筆者の家を訪れた際に寒いのに皆コートを脱いで玄関に並んでいた。つまり丸山はつい日本の習慣で上着を脱いでしまったんだが、部下が変な顔をしているのにそれに気づきもしないというのだ。
果ては天皇制は愚劣であり、こんな神がかったものを作った明治の元勲はどうしょうもない。天孫降臨の神話など子どもに教えていたが、ありもしないことだからいくら子どもでも信じることはなく鴎外の「かのように」同様に扱っていただけだし、御真影などと称して子どもに拝ませるなどあきれるばかりだ。薩長は単に権力を奪い取りたい野望があっただけで、その後のビジョンなどなくとんでもない連中だ。「教育勅語」などはじめの方などあまりのくだらなさに怒りを覚えるという。
こんな調子で面白い。天皇制批判は確かにそうだろうが、梅崎春生の「馬の顔」の痛烈な批判に匹敵するものだ。
呉智英はその上で自分はもちろん君主制など認めないし、いわんや民主主義のような平等思想に基づく体制は認めないとして徳治制が良いとする。
今朝も朝はよう晴れて暑い。
昨日で「白い巨塔」のドラマが終わったが、勧善懲悪の話にしてはできが悪い。「南総里見八犬伝」と比べるのは酷だとしても、何でもかんでもいいものと悪いものに分類して疑うことをしないストリーメイキングは退屈な上にリアリティはない。
ただ世間には大変な数のヤブ医者がいることも事実で、これは大変なことだか、どうしょうもない。かなり前に結核に感染して寝屋川市の「大阪病院」に入院したが、痰の検査をしても菌の数が少なく確定できないからしばらく培養して菌を増やして、結核菌がいるかどうか調べたい、その間は「もちろん入院してくれ」とのことだった。
ここまではありがたいのだが、医師の診察の際「結核菌とエイズの菌はよう似ていて、今の段階では結核なのかそれともエイズなのかわからないな、それでね、これまでの女性関係のあれこれを話してもらわれへんかな?」と言われたのにはびっくりしました。
またこれもだいぶ前のことなんですが、朝起きてなんか胸のあたりが苦しい、息苦しい、締め付けられるような脂汗が流れるような感触なので、近所の総合病院に出向いて診てもらいました。心電図やレントゲン、血液検査などあれこれをして、それらの画像を前にお医者様は「うーん、うーん、これなあー」と独り言を言いながらこちらの方はお向きにはなりません。なんか好ましくはない事態になってるのか、診断が付かず迷てるのか、はたまたこの医者は単に腹痛に苦しんでるのかようわからなかったが、とにかく長い。5分くらい考え込んで「まあ、あれやな、筋肉疲労やな、数値に異常はあらしまへんな」でした。この医者は体に悪い。
この2日非常に暑い。さほど湿気はないもののまるで7月の盛夏のような気温でクーラーをつけたくらいだ。
ABCのドラマ「白い巨塔」は主演が岡田准一で、初代の田宮二郎同様甘いマスクで、どんな風に醜く歪むのか興味深く拝見しました。
岡田は当初金で票を買うことや、苦しむ患者に寄り添う苦しさを表情ににじませる気弱なところもある医者として演じていたが、教授になってからは傲岸不遜を地でいく演技になりました。なかなか器用で素晴らしい。
このドラマの問題は経験豊富で、オペの腕もたつ岡田准一がミスを犯すことで、どうも説得力がない。「いくら腕があっても、人を人とも思わない態度ではいつかその報いがきます」みたいな退屈な勧善懲悪思想がありますね。
これは大阪の大衆に顕著な特徴で可愛げがなくて威張っているタイプが嫌いなんです。
もともと山崎豊子は財前が教授戦に勝ち、教授となり、第一外科に君臨し、医療ミスで訴えられた裁判も乗り切って帝国を作り上げるところで完結させていました。その後「これでは悪人がのし上がるという話で支持が得られない」との編集サイドの要望で無理やり控訴審だの胃がんに倒れるだのを追加した経緯があります。
今朝NHKの例の「チコちゃんに叱られる」で「なぜ大阪のおばちゃんは派手な服装をしているのか?」なる質問がありチコちゃんの正解は「お上の言うことを聞かなかったから」だった。
解説で相愛大学の前垣和義が徳川時代、華美になりがちだった庶民の服装を水野忠邦の天保の改革で取り締まったが、大阪はお上に従わない風潮があり裏地に贅沢な素材を使ったり、下着を華美にしたりしていてその流れが今に至るまで受け継がれているのだと言う。
井上章一などが関わっていた雑誌「現代風俗」には何回か大阪、京都、神戸、東京でヒョウ柄やアニマル柄の服を身につけている街ゆく人の実数調査が掲載してあるが、一貫して大阪は最下位である。神戸や東京の方が多い。したがってNHKの出してきた質問自体が間違いであり、大阪を貶めたい偏見に満ちたものであることは明白である。
また前垣和義は天保の改革以降も大阪人はこっそり服に金をかけていたと言うが、じゃあ京都はどうなんだ?着倒れと称して徳川時代から極めて衣服には贅を尽くしていることが様々な文献にもあるのだが、これは水野忠邦に逆らって「お上の言うことに逆らっている」わけだ。前垣の論からすれば京都人はさらに輪をかけてヒョウ柄やアニマル柄を身につけていないといけないことになるが、もちろんそんなことはない。
だいたい前垣も言う通り大阪人の衣装の金のかけ方は人目につかない裏地とか下着なわけで、ヒョウ柄などのように人目を驚かせるような上着ではない。この程度の説を説いて大学の先生だと称しているんだからバカはどうしょうもないな。
昭和32年に朝日新聞社が出した「アサヒ写真ブック」には大阪の特集号があって「食い倒れ」を取り上げてある。見開き2ページに食い倒れの証拠となる写真が載っているんだがまず道頓堀の「くいだおれ」が「表通りから裏通りに抜ける料亭」なるキャプションで紹介がしてあるがどう見ても料亭ではない。コの字型のカウンター席があって、普通の一杯飲み屋でしかない。他にも新世界の串カツ屋、阪急百貨店最上階の家族食堂などが載ってるだけでどこが食い倒れなんかさっぱりわからない。
このところ明治維新が薩長のクーデターであり、幕末の世情も別段騒々しいものではなかったし、諸外国との交易も関税は相対的に日本に有利になっていたこともあって、落ち着いたものだったことなどが言われるようになり、これまでの進歩史観の見直しが進んでいる。
かなり前に渡辺浩が「近世日本と宋学」で細かく論じていたが、昨今は一般に膾炙するようになった。去年森田健治が「明治維新という幻想」でこれまでは岩波文庫やら角川文庫やらでペリーの書いた日本遠征記は刊行されているのに、肝心の幕府側の林大学頭が残した
墨夷応接録
の刊行が行われていないと書いていた。林は幕府きっての海外通でこれまで日本に接近してきた諸外国とのやりとりを綿密に調べ上げ、その対処法を建白していた人物だ。森田の発言もあり、このところの風潮にも押される形でようやくこの本が刊行の運びとなった。
さらに先日のNHKで林大学頭のペリーとのやりとりをまとめた特集が放送された。
幕府はオランダからの連絡で、アメリカが来ることはわかっていて阿部は長崎に侍を集めて英語を学ばせてその日に備えることにした。
その上でイギリスはアヘン戦争でシナを侵略したとんでもない国だし、、ロシアとも国境紛争をかかえているから、アメリカを相手にするのが相対的にはましだと判断し、むしろ積極的に交渉相手をアメリカにした。
さてやってきたペリーの要求は漂流民の保護、薪や燃料の補給、貿易の三項目だった。1854年の1回目の交渉でいきなりペリーが「日本がこれまでのように沿岸に近づく外国船を砲撃するなら戦争に訴える。」と脅しにかかると、林は「これまでもきちんと薪や燃料を供給している。いつの話をしとるんや」と説いてペリーを黙らせた。
2回目の交渉ではペリーが「長崎の他にもたくさんの港を開いてくれ」「あなたは幕府の全権なんだからいちいち問い合わせることなくこの場で返事をくれ。」と強硬な姿勢を見せた。
林は前年の国書に開港地の数への言及がなかったことを思い出して「それやったら何で去年の国書にようさん港を開いてくれと書かへんねや。突然の要求では返事のしようがない」と逆襲して7日の猶予を得る。
てな感じだったとの話でなかなか面白かった。
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