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古本屋日誌

2020-02-17 10:08:00

京阪電車の香里園駅は高級住宅街の最寄駅として計画されたものだ。

駅の北側はかなり広い緑地が設けてあり桜やキョウチクトウがきれいに並んでいる。ミッションの聖母学院や成田山不動尊もある。大阪造兵工廠の労働組合である向上会の会長であった八木信一の居宅もあったし、ひらかたパークの前身の遊園地も作ってあり、菊人形展もここから始まっている。

以前は古本屋もたくさんあって駅前南口の大きな円形のビルの二階には「関西ブックセンター」があった。ここは50坪くらいはあって図書館を思わせるような巨大なスティールの本棚が林立して、たくさんの単行本があったし、雑誌などはクリーム色のピータイルに無造作に積み上げてあってしばらくいても飽きがこなかった。

ここでアルバイトをしていたおばさんは「これくらいの仕事やったら出来るわ〜〜」と不敵な笑みを浮かべて独立して京阪電車の牧野駅の前に店舗を構えた。

このおばさんが言う古本屋が繁盛する条件は次のようなものだった。

❶いい大学があること。バカは本を読まないから。

❷年寄りが多いこと。若い人はゲームやスキーや音楽やらに目がいく。年寄りは保守的で新しいことを学ぶ意欲がないから。

❸さびれていること。古本は一冊50円とかで安いから、金が無くても買ってくれる。

まああれですよね、かなり物の見方がひねくれてますな。なんか❶と他の項目は対立するような気もしますよね。

娯楽がテレビとビデオと映画と本くらいしかなかった暗い時代では古本屋は儲かる商売でもありました。なにせ対抗馬の映画は歩留まり率が極めて悪くほとんどはゴミクズ同然の作品でしかなかったですからね。まだ本の方が安いし、くだらなかったら読むのをやめて投げ捨てればいいだけ、長時間拘束される映画よりマシでした。


2020-02-16 17:42:00

光人社からハラスの「沖縄シュガーローフの戦い」が2007年に出た。その後文庫化されているのだが今回初めて入手して一読、いわく言いがたい感動を覚えた。

1945年の4月下旬、10日にわたって丘を血に染めた日米両軍の戦闘を描いたルポだ。

牛島司令官が「水際で米兵を迎え撃ってもやられるだけだ、地下に張り巡らした塹壕にこもり一人でも多くの米兵を殺す」ことを作戦の目的としたことが書いてある。そのため無駄な散発的な抵抗は一切慎み、敵を日本軍が設定した防御ラインにまで引きずり込んで一斉に攻撃する方針がとられた。

アメリカは初めはなんらの抵抗も受けずに上陸に成功し、以後も順調に進撃できたので「日本軍は戦争をする意思がないのか」と呑気なことを言っていたがたちまち阻止線に阻まれ多大な損害を出すようになった。

ここで日本軍の陣地の後方に上陸して挟み撃ちにする作戦を立てたのだが、上陸用の艦船が神風特攻隊の激しい攻撃で損傷していてこれ以上割けない事情もあったし、「とにかくこのまま戦車、機関銃、火炎放射器、そして新手の部隊を投入すれば勝てる」との方針が採用されてしまった。

そのため米軍は多大な損害を被ることになる。

まああれですね、塹壕にこもって敵兵を殺すことのみを目的に作戦を展開するというのは当時の彼我の力関係から見たら極めて合理的な作戦ですよね。

 


2020-02-15 12:04:00

昨日のNHKの「チコちゃんに叱られる」で「なぜ大阪ではエスカレーターは右に立って左開けにするのか?」というのが出た。


番組の答えは「初めはエスカレーターは見せ物で入場料をとって乗せたから歩く人はいなかった。それが駅などに広まってきて歩く人も増えてきたから1967年に阪急電車がアナウンスで左を歩く人向けに開けてくださいと言ったのが始まりだ」という。

ではなぜ左開けになったかに関しては阪急電鉄に聞いてみたがはっきりしなかったという。
また東京で右開けになったのは1989年に地下深くに地下鉄ができ40メートル以上もあるエスカレーターができて歩く人が増えたので左を進むようにアナウンスし始めたことに始まるんだという。

なぜ右開けになったかに関しては車道で日本は右が追い越し車線で、それを応用したものではないかという。
諸外国はどうかということで、人はどっち側通行?エスカレーターは人はどっち側?といろんな国の人に聞いていた。

オーストラリアやドイツなど多くの国では人は右、エスカレーターも右との答え、ただイギリスは人は左でエスカレーターは右だった。
うーんそうなんかな。じゃあどう考えても大阪のやり方の方が世界基準で、東京のは変だよね。まあどうでもいい話だけどね~~


雑誌「大阪春秋」で橋爪紳也は「万博の時にエスカレーターのマナーが問題になり、諸外国に合わせて右開けとなった」と書いていたけどなあ。
そもそも香港なんかはエスカレーターの上がるスピードが日本より格段に速い。そのためわざわざ自分の足で上がっていく人はいない。「チコちゃんに叱られる」では大阪の人は1秒間に1.6メートル進み、これは世界一でつまり大阪人はイラチなんだと、これまたくだらないステロタイプを得々としゃべっていた。

そんなもん香港のエスカレーターはどうなんだ一度行ってみたら〜〜まあ偏見に毒されているバカには無駄だろうけどね。

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2020-02-14 11:45:00

坪内祐三が廃刊になった「新潮45」に連載していた」昭和の子供だ、君たちも」は4年前に単行本になった。これは昭和の世代論で生年の少しの違いが実は感覚の上では相当深い違いになっているという話だ。

戦前の話では15で予科練に志願した世代はそれこそ誰でも入隊できたのだが、戦争末期になって潜航艇の特攻隊に志願させられるなど「パイロットになりたかったのに」という本人の希望は踏みにじられたという。

まああれですよね、予備学生とかはもっと年上のつまり学生が志願したわけで、これなんかは早く士官になって楽したい、理不尽な理由でどつかれたくないという話だ。結局彼らも戦争末期には特攻隊にさせられてしまうのだが、確かに予科練の子供たちとは感覚は違うだろう。だいたい学生は戦後は「きけわだつみのこえ」てな具合に祭り上げられてしまい、志願の動機が不純でよこしまなものだったことは忘れられている。

「本の雑誌」3月号には近刊として坪内が「本の雑誌」に書いてきた日記以外の全てを集めた本を出すと載っている。


2020-02-13 15:53:00

野村克也もサッチーも心不全で亡くなったという。「虚血性心不全」

まあ野村夫妻は歳も歳だからあれなんだけどね、突然死ぬ人て困るなあ。

3月号の「本の雑誌」には例によって坪内祐三の「読書日記」の2019年の12月分が載っている。

熟読してみたが体調不良を読みとることはできない。歯医者に通い、古本市に顔を出し、購入した本の感想を記す。年末きわきわには歯医者は昼からなので図書館に出向いて5冊借りてきたとか書いている。

礒崎純一の「龍彦親王航海記」に関して装丁家のMが「編集者ブンザイがそんな本を書いていいのか⁉️」と発言したことに憤慨して「Mはクズだな」などといつも通り遠慮会釈なく書いているし、講談社の野間賞の式典に出たが「どっちみちスピーチが長かろうと予想して遅れて行ったが着いてもまだだったので、終わるまで外で待っていてパーティに出た」というようにイラチぶりを発揮してもいる。

クモ膜下出血とかは発作の前に食欲がない、吐き気がする、頭痛がひどいとか前兆がある場合も多いそうだが急性心不全はそういうことはないのだろうか。

前に職員室でクモ膜下出血になって意識を失った先生がいたが、みんないたからすぐに病院に運び手術して今は元気だということがあった。坪内祐三の場合は家にいたわけだから仕事をしていたんかね。

そうなると家族は邪魔しないように坪内の書斎には近寄らないだろうし、発見が遅れてしまう場合もありそうだ。これがバーとかスナックならそうでもなかっただろうけどな。

予告では来月号は坪内祐三の追悼特集になるとのことだ。