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古本屋日誌
コンサートやプロバスケットボール、サッカーの公式戦が延期や中止となり、北海道は学校も休校にするという。
この時期は異動期でもあって、会社の送別会やら懇親会やらのシーズンなんだがこれらも中止となるところもたくさんあって、そのために会場のホテルにも損害が出ている。
まあ野球であれバスケであれサッカーであれ所詮はエンターテイメントでしかなく、やってもらわなくても困りはしない。ただ問題なのはイベントを中止することで従業員や出入りの業者にしわ寄せがきてしまうことだ。正社員はまだしも非正規の労働者や短期に雇われている人なんかは何の補償もなく放り出される。
巷でも石鹸で手を洗う時のポイントがあれこれ言われていて長い時間手を洗うのは意味がない、親指と人差し指の間の水かきのところが汚れがたまりやすいところなのでよく洗うことが大切で短い時間で2回洗うのが大切だという。
しかし新型肺炎てそんな大したもんかね、インフルエンザの方が圧倒的に蔓延しているし、重症化して死んでしまう人も比べものにならないほど多い。
そもそもインフルエンザこそ毎年新しい型が現れるので、予防注射も必要になるが、それでも感染して重症化する病気だろう。
22日に「小説新潮」3月号が発売、坪内祐三の追悼文があれこれ載っている。
重松清は「評論」と題した追悼文を書いている。
その中で印象的だったのは坪内が自分のことを「電信柱がなくなって困っている子犬」だと例えていた話だ。坪内は確かに保守の論客なんだが随分過激な発言もあった。それは今まで生活の一部であったものが奪われてしまうことへの生理的な嫌悪感や怒りにもとづくものだった。
重松清は早稲田大学を出て角川書店に入り、すぐに頭角を現して「野性時代」の編集長も務めたのだが、何が不満だったのかあっさり退社して作家となった、なかなかやんちゃな一癖も二癖もある人物だ。
その重松が初めて坪内の本の書評を書いてビクビクしていたら、受賞パーティで出くわして「あの書評、読んだよ〜〜」と言ってもらえて「なんとか合格点をもらえたかな」と子どものように喜んで書いていたのが面白かった。
新型肺炎が広まってるということで「マスクをしてください」とか「電車の手すりは持たない方がいい」とかまびすしいが、マスクなんか何の意味もなし、手すりなんかどんどん触るべきだろう、そもそも電車で手すりにつかまらないと危ないではないか❗️
ウィルスの大きさがそもそもわかってない。そんなもんマスクごときで通過を防げるサイズではない。
今日地下鉄谷町線を天満橋から乗ったが手すりにぶら下がりながら数えて見たらすぐ前の両側の座席に座っていた10人のうち7人がマスクをしていましたよ。
なんのかんのと大騒ぎしてマスクやら消毒薬やらを買い回って製薬会社を大儲けさせている。
今日はニューヨークやら東京やらの株式市場が先行き不透明で大きく値を下げているのだが、株式は上であれ下であれ大きな動きが起これば儲かるわけです。下がるときはドンドン空売りするだけです。というわけで証券会社や投資家をこれまた儲けさせるだけですな。
私の母親はもう80をとうに越しているのだが、詩吟が趣味で変な大声を張り上げ自転車にも乗って移動して足腰は丈夫そうに見えた。
ところが歩道と車道の10センチに足りない段差を足が十分上がっていないのに進もうとしてこけてしまい、左肩を歩道の縁石にぶっつけ、たったそれだけで複雑骨折してしまった。
手術して腕が上がるようにするとのことで天王寺の鉄道病院に入院した。
父親も長らく肺気腫を患っていて酸素ボンベなしに出歩くことはままならず、このところは車椅子での移動とあいなってしまった。ベッドに横になっている時もボンベが手放せず、そのボンベには呼吸数が一定数を下回ると警告音がなるようになっていて、かなり頻繁に鳴るのだ。
初めのうちはそれエライコッチャと駆けつけてボンベを開け閉め調節してことなきをえようとしてみたが、アラームが鳴り止んでまたすぐに鳴りはじめるので「こりゃあ、センサーがええ加減やな、とにかく何でも鳴るようになっとんねやな」とわかり、しばらく様子を見ていたら鳴り止んでしまう。
てな具合でこの頃はアラームが鳴っても全く気にせずに仕事をしている。その父親も長期療養型の病院に入れることになった。
いままで、両親が暮らしていたマンションは空き家となり、もう家賃を払うのももったいないので解約して荷物を運び出そうと思ったんだが母親は「あんたあれやで、また帰るやろし、安いから置いといてや」と言う。
まあ安いことは安いし、二人の持ち物をほとんど処分するのも大変なのでしばらくはそのまま置いておくことになりそうだ。
光人社から出たハラスの「沖縄シュガーローフの戦い」は米軍から見た凄惨な戦闘のルポで心打たれる。
沖縄戦はこれまでわれわれに15万の戦死者が出て、唯一の地上戦であり、住民に多大な損害が出たと決まり切った話をして終わっていた。
しかしそもそもアメリカが1945年にもなって、ナチスも降伏する段階で沖縄を占領する意味はよくわからない。硫黄島、ペリリュー、アンガウルと要塞化された地下の帝国陸軍の基地を落とすのは極めて困難で多大な損害が出ることはわかっていた。
那覇近郊はなだらかなスロープをが広がる田園地帯で身を隠す場所もない。帝国陸軍は地下に要塞を作り、地雷も埋め込みまた大量の火器、銃器を準備し、地の利もあって十分な演習もして待ち構えているわけで、こんな戦いは攻撃側が圧倒的に不利だ。なにせ敵が待ち構えているところにノコノコ攻め込んでいくのだから集中砲火を浴びるのは火を見るより明らかだ。
この本は那覇近郊のシューガーローフ丘陵の争奪戦を詳細に記しているが、米軍の攻撃方針もデタラメで昼間は帝国陸軍の迫撃砲弾や機関銃で身動きも取れず大損害が出たので、「夜襲をして丘を落とす、これはバンザイ突撃だ」などといい夜中に大兵力で丘を駆け上らせた。
しかし夜中は航空機からの援護もできないし、艦艇からの砲撃も暗くて不可能だ。そんな中、帝国軍が待ち構える要塞に突撃するわけだから、うまくいくわけがない。海兵隊は何とか丘の頂上部に達して、密集していたところに、帝国陸軍の迫撃砲弾の雪崩うちを浴び、大損害を被って撤退することになる。
まああれですね、米軍は勝ってしまったのでデタラメな戦争でも全てが肯定されて、愚かしい指揮官も英雄になってしまうわけで、これはこれで死んだ兵士は浮ばれませんな。夜襲の最中何度も伝令が来て「いかなる損害が出ても丘を死守せよ❗️❗️」だそうで、要するにさっさとお前は死ね❗️という命令で歴戦のマリーンもさすがに頭にきたとある。