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古本屋日誌
今日7日は純文学雑誌4誌、総合誌「文藝春秋」「中央公論」の発売日だ。
新聞の二面の下に掲載された目次や各出版社のサイトを見たところ「文藝春秋」「文學界」「新潮」「群像」には坪内祐三の追悼文が載っているようだ。
「文藝春秋」には例の「人声天語」がいつも巻末に載っていて2月号は「この頃若くして死んでしまう人が多いよなあ」と嘆く話だったが、最新号には掲載はないように見える。
また10日発売の「本の雑誌」には例の坪内の日記が載ることがサイトの目次からわかる。なんでも「本の雑誌」は4月号が坪内祐三の追悼特集号になることも予告されている。
うちの近所には本屋がそもそもなく、京阪電車で一駅、寝屋川まで出向いて駅から伸びる商店街の中の書店や、駅前にそびえる「イズミヤ」の本屋をチェックしてはみたが文藝春秋は芥川賞ということもあって、平積みになって10冊、20冊とあるのに、「中央公論」はただの1冊もない。もちろん純文学雑誌は影も形もない。
東海大学が出している「望星」はなぜか2軒とも置いてあって不思議。
さて「文藝春秋」は巻末の「人声天語」のところに同じスタイルで中野翠が追悼文を書いている。
亡くなるつい二、三日目前も電話で話をしていつも通りの「ツボちゃん」で13日には泉麻人らとともに大相撲を見に行く予定だったともいう。
葬式で最後に、棺桶に入った坪内の顔を見たら「目を閉じていてもういつものツボちゃんではなかった」と書いている。
そうなんだよなあ、死んでしまった人の顔はなぜか以前とは似ても似つかないものに変貌してしまう、その喪失感は衝撃的だ。
最後に中野は「もうツボちゃんは歳をとることはないんだなあ」としみじみ書いているが、これもまったくその通りだ。死んだ人はいつまでも若々しいよなあ。
先月突然いなくなってしまった坪内祐三の本はコンスタントに注文が入ってくる。
毎月1日発売の「月刊HANADA」に「今月の一冊」と銘打たれた単行本の書評を坪内は連載していて、最新号つまり2月1日の号にもしっかり梅宮辰夫の「不良役者」の紹介が載っている。
梅宮辰夫も最近亡くなったし、「文藝春秋」の最新号でも橋本治が死んだことを取り上げて「戦争を乗り越えてきた世代は90に達するまで生きているのに、その後の世代が早く亡くなってしまう」と嘆いていた。
なんか皮肉な話でそういう本人があの世からのお迎えを即座に受けてしまうのだから、まるで「オリンピックみたいなバカなことしか起こらないこの世にいても仕方ないでしょう、こっちの世界で楽しもうよ〜〜」とのリクエストに応えたかのようだ。
坪内の本で1番お目にかかれないのは「別れる理由が気になって」だ。亡くなってからはもちろん生前も一度しか見たことがない。小島信夫の長編「別れる理由」を読み込んだ長編評論だ。
他にも「酒中日記」の正、続「慶応三年生まれ7人の旋毛曲り」「総理大臣になりたい」なども人気があってあまり目にしない。
1992年に創元社から出た中井正弘の「仁徳陵」は古墳築造後の盗掘や遺物の流出、利用方法など多岐にわたる「その後の仁徳陵」を描いたいい本だ。
帯には同志社の森浩一が推薦文を書いていて「謎に迫る本だ」とある。
徳川時代には自由に墳丘に出入りできていて、春は花見を楽しみ、茶屋もあり、薪や芝を取ることができた、堀では釣りができたのはもちろん周りの田畑に農業用水を供給していた、後円部には巨大な盗掘穴と露出した縦穴式石室があり、遺物はすでにない、明治5年に前方部から縦穴式石室が出土して大きな石棺が出た、ボストン美術館にここから出たといわれる遺物4点が所蔵されていること、履中陵は墳丘の等高線が極めてきれいなのに、仁徳陵は千々に乱れていることなど興味深い話が載っている。
なかでも新井白石が記しているのだが堺の奉行所、政所の庭の踏石に石棺の蓋石を使用していたというのは驚かされる。かなり 大きなものなので、盗賊が運び出したものではなかろう。中井は秀吉が鷹狩りにかこつけて運び出したものではないかと想像しているが、不思議なのは尊王攘夷派の勝利に終わった明治維新以降、この巨石は行方不明になってしまったことだ。
天皇陵、それも世界最大ともいわれる墳墓の蓋石には何の値打ちもないとばかりの仕打ちは気の毒としか言いようがない。
このところは少し朝晩気温が高くはなく、風が強いとかもあるにはあるので、冬のような感じはするけれど、ほとんど10月くらいかな?と思える陽気だ。
天下の碩学スティーブン・ピンカーの「21世紀の啓蒙」はCO2の排出がこのペースで進むと今世紀末には産業革命前と比べて世界の平均気温は4度程度上昇してしまうという。ピンカーは楽観的でCO2の排出のピークは過ぎたのではないかといい、また原子力発電を推進すれば格段に排出量は抑えられるともいう。
まあどうですかね〜〜地震の多発する日本ではね〜〜原発なんか危なっかしいよね。
ピンカーは人類を脅かすとされる新たな感染症に関しても極めて楽観的でこれだけ物流が盛んになり、人と人の交流が盛んな現代社会では、手も足も出ないような感染症はありえないという。
確かにかつてインディアンに蔓延した梅毒、中世ヨーロッパのペスト、前世紀初頭のスペイン風邪などはみな植民地支配によってフロンティアが切り開かれてこれまで体験したこともない病原体が入ってきたことで引き起こされたものだ。
酒飲みほど欲が深い。いくらでも飲めて楽しくなれる恵まれた特異体質を保持しているのに、下は見ない。上ばかり見る。「いつまでもたのしく飲めたらなあ」やら「酒の量が減って来て寂しい」だのを下戸の前で言うんだから業が深いよなあ。
昨日のNHKスペシャルは酒の特集で、なんでも1200万年前に酒が分解してできるアセトアルデヒドという猛毒を分解する酵素を生み出す遺伝子が哺乳類に生まれたという。その遺伝子を受け継ぐのはわれわれ人類とゴリラやチンパンジーだけで、この遺伝子があるおかげで地上に落ちて発酵した果物を食べられるようになり、それができない個体との競争に打ち勝てるようになったんだそうだ。
というわけで人類は基本的には酒に強いようになっていて、少々きこしめしても顔が赤くなったりはしない。
ところが6千年前に中国の稲作地域の人類にアセトアルデヒドを分解できない遺伝子が出現してこれが中国人、朝鮮人、日本人に広まった。
ちなみに日本人でアセトアルデヒドを分解できない人、つまり酒に弱い人は44%もいるのだそうだ。
アセトアルデヒドが分解できないと、猛毒だから全身を傷つけガンやら何やら様々な病気を引き起こす。悪いことだらけなのに、その遺伝子がなかったのにはわけがあって、稲作に伴って湿気が多い環境が増えてしまい病原菌が蔓延する事態になったが、アセトアルデヒドはこれら病原菌を退治してくれるのだという。
ただ、以前のような不潔な環境は現代社会では皆無になったわけだから、不潔な環境に適応する遺伝子は無意味となってしまった。
まああれですよね、喧嘩っ早くてすぐに手を出して相手を威圧できるようなタイプの人は人類の歴史の中では極めて生存競争に有利であったわけなんですが、今日腹が立ったからといってすぐに切れたり、自分の怒りの感情に素直に身を任せたりしたらそれこそ身を滅ぼすことになってしまいます。それと同じなんですね。