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古本屋日誌
昭和15年に出た内田百間の「南山寿」を入手しました。ぜひお読みください。
勤めていた学校を定年で退いて、恩給はあるものの、妻もいるし、老後のたつきをどうするかと考えて就職活動で後輩を訪ねるが「授業をあなたに回したらその分他の人の担当が減ってしまいますから」断られてしまう。
おまけに後を襲った男が不気味で、ストーカーのようにことあるごとに居合わせて「偶然ですよね〜〜」と言ってくる。長年連れ添った妻は脳溢血と思しき病で急逝してしまう。
所在無く送別会をしてもらった飲み屋に昼間から行って長々酒を飲み続けでしまい、店のものから「先生、実は今日は先生の学校の新人の歓迎会があるんですよ」と言われて、それまでには帰ろうと思うのだが、ズルズルいつづけて同僚に出会ってしまい「先生も出られませんか?」とかありえないような言葉をかけられてしまい、もちろん断ったものの、後々も仲間の間で語り草になってしまう。
おまけに仕官を頼みに行った後輩が、授業の空きが出たにもかかわらず仕事を百間には譲らず自分が引き受けてしまう。
まああれですね、内田百間はそんなに売れていなかったようだから金には困っていただろうし、職も失って焦燥にかられるところもあったんだろう。その焦りが面白く書いてあった。
ディスカヴァー携書から高野陽太郎の「日本人論の危険なあやまち」が出た。
高野は以前からステロタイプの日本人論に異を唱える信頼できる学者なんだが、この本では日本人が集団主義であるとか個が確立されていないだとか、恥の文化だとかいうような従来の日本人論を批判していて小気味好いが、それよりもアメリカへの批判があれこれ書いてあって面白い。
1980年代に半導体は日本メーカーが世界シェア5割というところまで行き、文字通り世界を席巻していたのだが1986年の日米半導体協定で日本の半導体市場の2割は外国製品に譲らなければならず、日本の営業マンは泣く泣くアメリカ製品を顧客に勧めなければならなくなった。またスーパーコンピューターにもアメリカは製品価格の何倍もの「反ダンピング税」を課して日本製品を排除した。
さらにパソコンの基本ソフトも国産の「トロン」を全国の学校に採用しようとしたらアメリカの通商代表部が「貿易障壁」などといちゃもんをつけてこれにおそれをなした日本政府は自主規制してトロンの採用をやめた。
などの話が詳細な書いてあって興味深い。
この3日間はえべっさんで昨日の本戎に寝屋川戎神社に参ってきました。
晩の8時前に行ったが神社から100メートルくらいあるアーケード商店街の中まで行列ができていて2列で神社の西側の入り口まで進んで中に入りまた東側にある社殿まで屋台が両側に並んだ参道を歩むようになっている。
屋台は食い物やばかりで、たこ焼き500円、かしわ、長いフランクフルト300円、しょうがいた、ベビーカステラ。ベビーカステラには長い列ができていて社殿に向かい福笹を買う人が間違って並ぶので係りの人が「この列はベビーカステラの列です‼︎福笹は今すいてます‼️」と声をからしている。
ここのシステムは1500円で福笹と鯛、千両箱、福箕などが付いてさらにガラガラの福引きができる。たいてい赤い玉が出てこれは森永のチョコボールがもらえる。
福笹を持って本殿に進み参拝するとともに殿舎内に控えた巫女さんがりんの鈴でお祓いをしてくれる。「ようお参りくださいました」と言ってもらって、そのあと「裏参り」で木槌で板を叩いて願いをいう。えべっさんはつんぼだという伝承にもとづいている。
さらに境内の出店で様々な縁起物をつけてもらうんだが手前に大きな箱型のブースがくの字型にいくつも並べられていて中には宝船やら熊手やら米俵やらがわんさか入っている。また奥の棚や天井には大型の縁起物が番号を振って吊るしてあって客はてんでに好みのアイテムを控えている戎と染め抜いてある係の老人に頼んで売ってもらう。
われわれは黒と白の招き猫がちょこんと鎮座している戎猫のやつを買いました。
以前は今宮えびすによく行っていたのだが、ここの混雑は大変なもので狭い境内は押すな押すなの大賑わい。社殿のすぐ前に巨大な木桶が据え付けてあり、さい銭はそこに投げ入れることになっていて、近くまで行くのが面倒な人たちはかなり離れたところから放り投げてきて、硬貨がこつんと頭に当たったり、空しく地べたに吸い込まれて行ったりもして面白かった。
ただ今宮えびすでは縁起物を売ってくれるのは福娘だったけどな。毎年今宮えびすでは福娘の募集をアルバイトニュースなどでやっていて25までの未婚の女性となっていた。応募したことのある女の話では書類審査に通ると面接があって「なんで応募しましたか?」などと志望動機が聞かれ、そのあとしゃなりしゃなりと歩いて見せてくれと歩き方のチェックがあったとのことだ。
昨日新装なった泉の広場界隈に出向いて「エビスバー」を見つけた。カウンターが泉の広場から東通に通じる通路に面していて行き来する善男善女をつぶさに観察できて、果たして豹柄の女や男、ライオン柄のバカがどの程度見れるのか晩の8時から1時間あまりチェックしてみたが、ついに誰一人としてそういうのはいない。大半は黒、グレイで、明るい色となれば仕事帰りのリーマンのカッターの白、女の黄色や赤のセーターがごく稀に現れるに過ぎない。
カウンターで観察しぃもって例の吉田守男「京都に原爆を投下せよ」を読み終えた。
京都が原爆の標的を最終的には免れ、空襲も受けなかった理由は日本の降伏後の占領政策に不都合と考えられたせいだという。
京都まで灰ににしてしまったら、日本人の反米感情に拍車がかかるのではないか、占領政策の失敗は許されないとの政治判断なんだそうだ。
まああれですね、要するに京都は天皇みたいなもんだったということですね。日本人の精神的な拠り所だからそれに手をつけるのはまずい、むしろ温存して利用した方が賢明だとヤンキーは判断したわけです。
広島で20万くらいアウシュビッツ同様のやり方で殺害し、長崎でも80,000くらい殺しててな人命に関わることではなくメンタルなバックボーンが人を勇気付けるということなんでしょうかね。われわれにはまったく理解もできないし、理解したくもない価値観に驚くほかはない。
人命軽視はアメリカの方が一枚も二枚も上手で開戦と同時に学徒動員令を発し、ミッドウェイでは簡単に零戦の餌食になって全滅することがわかっていながら、延々と南雲艦隊に向けて攻撃機を放ち続けた。
日米はよく似た精神的ファナチックな体制だった。
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2日前の朝日新聞の国際欄にインド陸軍の話が載っていて、何でもカーストや種族ごとに部隊が組織されていて、それはイギリス統治時代の伝統を受け継いでいるのだとある。
軍隊はやはり統率が取れていて、死をもいとわないのが肝要だから気心の知れている仲間同士がいいという理屈のようだ。
中公新書の長崎暢子の「インド大反乱」は興味深い本でイギリス本国のオックスブリッジから派遣されたエリート官僚たちがインドのカースト制度は明らかな差別であるし、そもそも軍隊において俺はこのカーストなんだからこの仕事以外はしないよとか、あの部隊は違うカーストだから関係ないなどと言っていたら勝てる戦争にも負けてしまうと考えて軍隊内のカーストを廃止しようとした。
その結果セポイの乱といわれる大規模な反乱が発生してイギリスの植民地支配は重大な危機に直面することになったという話が書いてある。
つまりは差別をなんでやめるんだ‼️差別し続けたい‼️というわけのわからないガッツがかえってよかったということなのだ。
植民地支配を打倒した成果もあってか、現代に至るまでインドではセポイの乱当時のスタイルが維持されて機能しているのは興味深い。