Welcome

Information

せいゆう丸釣行記

2019-10-22 04:43:00

書くのに気合がいる歴史ネタは今日はお休みして、昨日ちょこっとやった充電ドライバーの改造についてご報告。

 

 

 

船の整備で良く使用するのが充電式ドライバーでありまして、ネジを締めたり緩ませたり穴を開けたり等の作業には欠かせないのですが、最近充電してもすぐにバッテリーの電気が空っぽになるようになりまして、そりゃ10年近くも使っていればそうなるだろうけどチョイと不便になってまいりました。

 

船には超小型の発電機を備えているからその都度充電してやれば問題ないけど、面倒くさいし仕事がなかなかはかどらないのでバッテリーの交換をしようかなあと考えてたけど、買えば当然バカ高いだろうし沖に行けないので完璧に金欠状態に陥ってるのでのっけから買えないから少し考えてみた。

 

日立製の充電式ドライバーなんですが、バッテリーをよく見ると 「12V」 と書いてある。

 

「12Vなら船のバッテリー使えるじゃん!」 と思いつき、 「ドライバーのバッテリーは2個あるから1個分解しても問題ないわい」 と早速分解してみた。

 

 

91600467.jpg

 

 

 

写真撮ってなかったので借り物の写真で説明するけど、乾電池をズックリムックリしたような電池が8個入ってて直列してありました。

 

この手のバッテリーを分解したのは初めてだったので 「なんじゃ、こんな程度の物かい!」 と、少し肩透かしを食わされたような気分だったけど、正直な感想としては 「これじゃ容量が足りなくなるはずだわな」 と思いましたね。

 

そして8個の電池を全部外して船のバッテリーにブースターケーブルを繋いでドライバーに直結してみたら、 「ギュイーン!」 と今までになかったような勢いで回りましたわ。(笑)

 

 

 

ということで、今日は半田コテでケーブルを溶接して船の周囲の作業が出来るようにしたいと思います。

 

 

 

それから先日都城の義兄から 「草刈機のエンジンが壊れて回らなくなったので新しいの買ったけど、壊れた草刈機いる?」 と問い合わせがあったので 「いります!ください。」 と即答してしもた。

 

基本的に借金以外は何でも貰う癖がついてるのでいつもそうなっちまうのだが、涼しくなったので不動になった原因をじっくり調べることにしました。 

 

2ストロークガソリンエンジンの構造は非常に単純なので、エンジンがかからなくなる原因は電気系統の異状でスパークプラグの火が飛ばないか、燃料のガソリンがシリンダーに行かないかの2つだけだから、とりあえずスパークプラグを外しりコイルスターターを引いてみると 「パチパチ!」 と勢いよく火花が飛んだので、電気系統に異常が無いことが判明した。

 

念のためプラグのネジ部の穴からシリンダー内に燃料を少し注入してプラグを装着してりコイルスターターを回してみると 「グワーーーン!」 と勢いよく瞬間的に回ったので、電気系統に問題なしと結論付けました。

 

となるとキャブレターの目詰まりかと疑いキャブレターに燃料を送るプライミングポンプをシュコシュコ押してみると、なんと透明で丸くて柔い樹脂製のポンプが硬くなって破れてるではないか。

 

 

images (1).jpg

 

 

これも借り物の写真ですが、この丸いおっぱいの先っちょみたいなのが割れてたんだなあ。

 

草刈機のメーカーを調べてみるとどうやら 「メイドイン中の国」 のようなので部品調達を諦めてなにか他の方法はないかと考えてあれこれ調べてたところ、アマゾンにしっかり部品がありましたわ。

 

 

ダウンロード.jpg

 

 

なんと5個組で510円也(送料込)。

 

1個あれば良いのでその話を世界の冒険王さんにしたら、 「欲しい」 と言ってたので1個100円で売ろうと思もちょります。

 

 

 

部品に困った時にはハンズマンかダイソーかアマゾンで調べると、格安で大体調達出来ますがね。

 

以上 「純正品」 でないと気が済まない高貴なお方には、全く必要のない情報でした。(笑)


2019-10-21 04:06:00

もう何日お休みしたか分からんなった。

 

本当に今年はハチャメチャな年になりました。

 

天候の具合という、人様には全く手の出せない要素で沖行きが出来ないからどうにもなりませんが、6月以降の5ヶ月間の平均出船率が2割程度という未曾有のひどさに呆れるしかないけど、残念ながら辛抱するしか手がないのですなあ。

 

 

 

ということで今朝も特にブログネタがないので、大久保利通についてもう少し書いてみますわ。

 

 

 

大久保利通には個人的な金銭欲は全然無かったみたいだ。

 

今の時代の 「政治家 = 金」が常識からは考えられないが、我が家の金銭に関しては全く無頓着だったようで、暗殺で命を落とした時には財産が現金140円に対し、借金が8000円(現在の価値に換算すると2億円)もあったそうで、私有財産は全て抵当に入ってたげな。

 

決してパチンコですって借金してた訳ではなく(笑)、なんと予算のつかない公共事業等に私財を投じていたらしく、政務調査費をちょろまかして税金をかすめ取るような最近のさもしい政治家とは次元の違う、素晴らしく高い理念を有する政治家だった。

 

 

 

大久保には日本造りの30年計画という構想があったらしく、「明治元年から10年までの第一期は戦乱が多く創業の時期、11年から20年までの第二期は内治を整え民産を興す建設の時期で自分は内務の職に尽くしたいが、21年から30年の第三期は後進の賢者に道を譲り日本の発展を見守りたい」 と、暗殺される日の朝に福島県令(知事)にそう語ってたらしい。

 

 

 

彼の頭の中には、日本国が清国のように欧米列強からむしり剥がされ植民地支配されることが無いように、一刻も早く富国強兵を進めなければならないという危機意識から生まれたた信念がありました。

 

その考えを決定づけたのが 「鉄血の宰相」 と呼ばれたドイツのビスマルクとの出会いでありました。

 

 

images.jpg

 

 

大久保は岩倉使節団の副使として、明治4年から6年までのおよそ2年間世界を巡り凄い刺激を受けて帰国したそうだが、その中で最も強い刺激となったのがビスマル宰相との出会いと忠告でありました。

 

 

 

そろそろ出立の時間になったのでもう書くのをやめて明日に残りは書きますが、台風21号が去るであろう月末に出られるかどうかの感じになりましたなあ。

 

来月11月にかけるしかなさそうです。


2019-10-20 02:52:00

歴史ネタは書くのがテゲ疲れるので、今日はお休み。

 

 

 

さてと10月も残すところあと10日余りになりましたが、相変わらず台風・台風・また台風で、なんと台風21号が発生してしもた。

 

 

all-00.png

 

なんたるちあ!(古っ)

 

本当に今月は終わってしまったようですわ。

 

一昨日には既に中止を決めてましたが、昨日の午前中くらいは大丈夫だったかもなあと思いつつ堀切峠から日向灘を見ると、いやいやウネリが北東から来てて尖ったバシャバシャの風波が押し寄せて来ててとんでもない状況だったが、まあ土曜日ということもあり 「この際稼がんといかん」 と強行して出るアンポンタンな船もいるかもなあと思いつつ港に到着。

 

いつものように野良猫のノラ夫婦がせいゆう丸の前でお出迎え。

 

 

DSC02636.JPG

 

 

なんかねえ、最近この夫婦はすっかり慣れてしまって、朝ごはん食べた後はリラックスして車の横で昼寝するようになりましたわ。(笑)

 

 

DSC02644.JPG

 

 

醜女(しこめ)の嫁さんは誰かに似ているがなあと思ってたら、そうそうグッディの安藤優子かな?

 

 

DSC02634.JPG

 

 

images (2).jpg

 

 

 

朝夕は随分涼しくなったけど、お日様が昇るとすぐに暑くなって、海に浮かぶ図書館で読書できるのも11時頃まで。

 

あとは親宅に行って夕ご飯のおかずを作る毎日ですが、不思議と最近仕事が全く無いのにも慣れてしまいましたがね。(笑)

 

 

 

まあ11月になれば天候も安定してくるだろうから、今月末の支払いを乗り切ればなんとかなるでしょう。

 

還暦過ぎてこの年になってもギリギリの瀬戸際的生活を余儀なくされてるけど、いつになったらよそ様のように悠々自適の優雅な生活が訪れるのでしょうかねえ?(笑)


2019-10-19 03:01:00
images.jpg

 

 

 

 

鹿児島には大久保利通が嫌いなお方が多いらしい。

 

宮崎は鹿児島の隣県なのでその雰囲気は薄々感じてましたが、その理由は 「西郷隆盛を裏切ったから」 だそうな。

 

実際、大久保利通は日本の官僚機構を作り上げた偉大なる政治家でありながら、鹿児島に彼の銅像が建てられたのは没後100年の昭和54年だったそうで、建てる場所でも当時かなりすったもんだがあったそうな。

 

 

images (1).jpg

 

 

結局、西鹿児島駅付近のライオンズ広場に建てられたそうだが、 「何で朝っぱらから不愉快な顔を毎日見なくてはいけないのか?」 と、徒歩の通勤サラリーから不満の声が今でも聞かれるそうです。

 

よほど大久保利通は鹿児島県民から嫌われているのでしょうねえ。

 

 

 

では大久保利通は西郷隆盛を本当に裏切ったのでしょうか?

 

 

 

実は大久保も西郷も新しい日本国を造るため、島津久光が 「まさかそこまではやるまい」 と思ってた版籍奉還までやってのけたため、結果として旧主である久光を裏切ることになった訳ですが 「あいつらは主君を裏切った逆臣だ!」 と久光から人格まで否定されるように罵り続けられたことでひどく傷つき、太政官の二大巨頭とまで言われた二人においてそれがいつまでも心にトゲのように刺さり、大久保においては冷徹・冷酷・冷血をもって新しい国造りに情熱を注ぐしかなかったし、西郷においては政治の舞台から一切身を引いて国に帰り百姓になったのでありましょう。

 

武士にとって旧主から 「裏切り者」 呼ばわりされるのは生きる気力を失うくらい辛いことらしく、この二人以外にも各地から東京に集って太政官になった多くの重要な構成員が、大なり小なり旧主を裏切ったという後ろめたさを引きずっていたのではないでしょうか。

 

武士とは主君に忠義を尽くすのが当たり前で、武士達のそうした清々しさと潔さから生じた旧主に対する後ろめたさが、ある意味彼ら太政官達の原動力になって、場当たり的だったりその場しのぎの危うい対応だったかも知れないけど、奇跡と言われるほど劇的に明治維新を成功させたのではなかろうか。

 

そう考えると、幼い頃からの親友であった二人が明治6年の政変で袂を分かつことになったけど、成り行きというか情勢の変化によって血気はやる薩摩の若い士族達に担がれた西郷を、政府軍を率いる大久保が国作りのためにどうしても討たなければならなかったのは、致し方なかったことなんでしょうねえ。

 

見方はいろいろあるでしょうが、西郷隆盛は自分の命を賭して武士の時代を終焉させ、その介錯の任を大久保利通が受け持ったのではなかったのかと、自分は勝手にそう思っております。

 

 

 

とにかく大久保利通という人物が居なかったら今の日本の国の形はなかったかも知れないと言えるほど新しい国造りを推し進めた凄い人物でありますが、残念ながら西郷が逝った翌年、皇居に馬車で移動している途中で不平士族達から急襲され暗殺されてしまったが、やり残したことが多々あったはずで至極残念だったでしょうなあ。

 

なお大久保は西郷から送られた手紙をいつも袋に入れて持ち歩いてたらしいが、暗殺された時にも2通の手紙を持っていて血まみれになったその手紙を、同郷で従弟の陸軍大将の大山巌がその後所持していたとのことです。

 

 

 

そろそろ出立の時間になったのでこの辺でやめますが、明日も大久保利通についてもう少し書いてみたいと思います。

 

大久保は岩倉使節団の副使として伊藤博文や木戸孝允らと外遊した時、大久保にとって運命の人となるドイツの 「宰相ビスマルク」 と会うことになったのだが、これがその後の日本の富国強兵路線を決定づけたことになるんだなあ。

 

 

 

今日もお天気が怪しいので休みにしましたが、暇で時間がなんぼでも有るから一生懸命海の上の書斎でお勉強しなくちゃね。(笑)

 

 


2019-10-18 03:49:00

昨日は頭が痛くて、こりゃ風邪をひいたかなあと思ったら、なんのことはない単なる二日酔いでした。(笑)

 

時間が経つにつれ絶好調になり、橋の下の天然ドックでまつかさ丸のドライブのオイル点検と、船底のフジツボ取りをしてました。

 

気候が良くなり涼しくなったので、仕事が随分とはかどりますがね。

 

 

 

ところで台風19号の被害は時間が経過するに従って広がりを見せており、死者・行方不明者が100人近くになるような様相となってきましたなあ。

 

被害者の多くが溺死か土砂に巻き込まれての圧死だったみたいで、台風が来る前にさっさと安全な高い場所に移動していればそんな目に遭わずに済んだのになあと、本当に残念でなりませんです。

 

突然起きる地震と違って台風は事前の準備が十分に出来るはずなんですが、いくら気象の情報が発達しても人が行動しなければ何にもならないことが、今回の災害で立証されたことになりますわな。

 

「自分だけはまさかそんな目に遭わないだろう」 という楽観的かつ根拠のない都合の良い見通しが頭を支配していると、こんな哀れな目に遭ってしまうのだなあ。

 

「逃げる」 「避ける」 「やめる」 という動物が本来持っているはずの危機管理機能を、今一度呼び起こす必要がありそうです。

 

 

 

 さてと一昨日には明治維新初期の出来事を箇条書きにしましたが、これほど劇的にしかも短期間に国のシステムを一変出来たのは奇跡としか言いようがありませんけど、それを可能としたのは 「国民国家を成立させて日本を植民地化の危険から救い出すただ一つの目的のために、一挙に封建社会を否定した革命だった」 からだと言われてますが、そこに大久保利通や西郷隆盛や木戸孝允ら生粋の武士達が居たからこそ成し得たのではないでしょうかねぇ。

 

 

img_person_14.jpg

 

維新の十傑と称される偉人達には、前述の三人以外に小松帯刀・大村益次郎・前原一誠・江藤新平らが挙げられるけど、そのほとんどが暗殺されたり斬首されたりして、明治の初め頃には姿を消している。

 

彼らが去った後には、伊藤博文や山縣有朋や井上馨などの長州の元老達が明治政府を主導し、大山巌・東郷平八郎・山本権兵衛・児玉源太郎らの薩摩と長州を中心とした武士出身の軍人が、列強諸国に負けない強靭な軍事力を有する国に作り上げた

 

ちなみに大山巌は西郷隆盛の従弟で、東郷平八郎は西郷隆盛の近くに住んでた子供で、西郷に随分と可愛がられたそうな。

 

「陸の大山・海の東郷」 

 

日露戦争で勝利してこの二人はその当時そう賛嘆された話は有名ですが、西郷隆盛の影響を強く受けたこの二人は西郷をほどよく模倣して成功したと言われております。

 

 

 

そろそろ出立の時間になったのでこの辺でやめますが、明日は大久保利通について考えてみたいと思います。

 

全て聞きかじりの内容なので、間違いがあったらゴメンしてね。(笑)


1 2 3 4 5 6 7