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古本屋日誌
宮崎哲弥がちくま新書から「仏教論争」を出しました。宮崎哲弥はテレビで「週刊文春」であらゆる森羅万象を撫で斬りにするコメンテーターでもあるのだが、仏教学者たる姿が真骨頂なのかポレミカルな面白い本を出しました。無明や輪廻に関する優れた研究書が1000円くらいで買えるのだからありがたい。
釈迦が自分の悟りは凡夫大衆には理解し難いから教えを説くつもりはないと思っていたところに梵天がやってきてなんとかお願いしますよーと頼み込んで翻意させた話は有名ですが、宮崎哲弥によると大衆には理解できない理由は人間の本能にあるという。我々は自分の好きなもの、快感を感じるものに惹かれるし、逆に気に触るもの、不快なものからは遠ざかろうとする、これは当然ですよね、でもそれが無明なんだという。その無明が実は我々の苦しみの大本なんだが、その本能ともいうべき反応から自由になるのは難しいだろうというわけだ。
うーん、そりゃそうですよね、嫌いなものを分け隔てなく扱うというのも難しいし、それはすでに好きと嫌いを前提にしてるから無明であることはなんら変わりはない。そうなると織田信長に対抗して焼き殺されたが「火もまた涼し」と言って従容と死に赴いた坊主が悟っているということになるのかなあ。
猫たちは相変わらずマイペースで過ごしています。
今朝は曇り空で過ごしやすいです。例によって天気予報の雨量予想はデタラメでとにかく大げさにいうのが取り柄なのでバカバカしい。大阪では的中することはなく常に「多いところではない200ミリ」という実際に降った量の100倍以上のことばかり、そのくせゲリラ豪雨は予測できず、また地下道が水没しているのにテレビは能天気な東京キーの「晴れてますね、暑くなりそうです」を流し続けるのだからあきれたものだ。
岩波文庫がこの5月に「明治150年に読みたい書目」として50点程度をあおりの帯をつけて、いくつかの書目は重版をかけて全国の大きな書店でフェアをやってます。その中に「ベルツの日記 上、下」がはいっていて、この本はオールコックの「大君の都」と並んで人気作で古書価格も上は2000円くらい、下は1200円くらいしてましたが、これで落ち着きそうです。もともと岩波はこの作品をえらい小分けして5分冊で出していました。そのあとカバーなしの伝統的なやつが2分冊で出て、更にカバーをつけたものを刊行して、カバーなしのに比べて随分高なってました。
講談社学術文庫には小泉八雲の「日本の心」がはいっていて「大阪にて」が収録、例の有名な大阪はあと100年経とうが今のままの伝統的な佇まいを残すだろう、それほど伝統や格式を重んじる素晴らしい街だを読むと改めてうたた時の流れの残酷さに思い至ります。やはり儒教道徳や封建的な規範が崩壊したら今までの反動で一挙に無政府的な街並みになってしまいました。山松ゆうきちの縷々述べるように人間の本質なんかどこでもおんなじだ、インドだって貧しいからあんな風だけど、ましになってきたらすぐややこしいことはやめるよ、が真実味を帯びて感じられます。
1人の人間もおんなじでやたらに勉強して東大やら京大にはいったはものの、大した能力もないし、欲求も押さえつけていたので入学後途端におかしなる人がいます。まあこれは学歴社会が不徹底だからで、東大や京大は一年に3000人も入学さしてるわけだから、中途半端な力しかないバカを多数入れてしまってるわけです。まあ力があるからといって十分発揮できるとも限らないのがこの世の面白さですから、落ちこぼれるのが多数でることを見越して必要以上に入れておくのは合理的なんでしょうが、それにしても無駄な努力をする人間を生み出しすぎです。これとは反対に私が知ってる京大生で最も才能があると思うやつは親が東京の官僚で、本人もドイツやアメリカなどにも留学してなかなか碩学なのに、「革命を起こし日本を根底から作り変える」ために京大に入学した女で、方向性はさておき素晴らしいとしか言いようがない。
今朝はあまり暑うもなく過ごしやすいです。猫は今日もかなり長時間外に出てましたが、車が通りかかったら、見知らぬ人に声をかけられたりすると臆して駆け込んで来ます。
電子書籍は随分広範囲に行き渡っていて、私も白黒の画像が見れる機器を持ってますが今のところ売り上げの8割程度は漫画です。アメリカは活字本も電子書籍の方が優勢なんですが、日本の場合はずっと前から漫画中心の状況に変化はありません。当店ではだいぶ前に思文閣が出した雑誌大大阪のCDロムを販売していますが、これはなかなか便利でまず検索をかけて必要な部分を容易に見つけることができる上に、もちろん印刷もできます。ただ数冊特別号で出したものが含まれていません。
買い取ってくれとご依頼を受けて伺うと「もうこの本棚はパソコンに取り込んであるからいらん、持って帰ってくれ」とおっしゃることがあります。本の背を解体するやり方ではなく一枚一枚丁寧に取り込んでおられて、本への愛情をひしひしと感じますが、その場合文庫本が多いんです。なぜか単行本の方、私の好きなやつは「これはまだ残しておくんや」とのことなんです。文庫本なんかどっちかといえば手に入りやすいわけですから、別にそこまでせんかてええやないかお思うんですが、やはり日本人の本への深い思い入れを感じてしまいます。
先日戦前の「アサヒグラフ」を大量にお譲り頂きました。大正時代から昭和10年くらいまででものすごい量です、大阪や東京の都市風景がたくさん載っていて見ているだけで楽しい雑誌ですので、是非ともお買い求めください。
昨日はのんびりして、買い物にしか外出はしませんでした。萱島周辺もやはり散髪屋が多くて私の近所でも5軒くらいはあります。料金はショーウィンドウには書いてなのでわからないが、経験からすると多分5000円くらいだろう、仕入れがほぼただだから1日に1人とか2人の客でも何とかやっていけるんだろうが、1500円くらいで顔剃り付きでしてくれるお店がいくらでもあるのにその3倍からする店に行く人がそれなりにいるのは不思議だな。ただ京橋近くにあるある散髪屋は洗髪のものすごくうまいおじさんがいてあろてもらう時にそれこそ体がとろけるような快感があるんだが、そういうのをどの店も持ってるのかもしれない。
萱島駅は喫茶店も多い。私が知る限りでも6軒ある。このうち2軒は「モスバーガー」と「珈琲館」でチェーン店だし、どういう客が来ているのかわかる店なんだが残りの4巻は地元の古くからあるサテンで、40人以上入れる大きな店もあるのは不思議だなあ。そんなにサテンで話せなあかんことてあんねやろか?
文庫本の古書価格を見てよく思うのは複数の巻があるシリーズものでは決まって二巻目の価格がかなり安い。岩波文庫の人気作ハルドゥーンの「歴史序説」は4冊揃いだと8000円以上して、1、3、4巻は1冊ずつでもなかなか高価なのに2巻目だけは相当安い。新潮文庫のソルジェニーツィン「収容所群島」全4巻も2巻目はものすごく安い。これも人気作の「近世風俗志」も2巻目は相当手に入れやすい価格だ。上、下2巻で完結のものでも下巻は安いケースがわりとあってちくま文庫の人気作「日本人の心の歴史」は特に下巻は安い。岩波文庫でも本居宣長の人気作「玉勝間」は下巻は相当安い。まあもちろん講談社学術文庫の「百魔」とか「増鏡」や「今鏡」、ちくま学芸文庫の「ボードレール批評」なんかはどの巻も高いんですが、やはり1巻は「どんなもんやろな」てな感じで手にとってみる人が多いんだろうが、そのあと続けて読む人はかなり減ってしまうからなんでしょうな。出版社の方も1巻はだいぶ売れたからと2巻目はそれなりの部数を出してしまうのでどうしてもだぶつくのではなかろうかな。
昨日は天王寺まで仕入れに伺いました。天王寺ステーションデパート、今の天王寺ミオですがここから阪堺線や近鉄百貨店に行く大きな歩道橋があって、以前は歩道橋にはアーケードのように上をさえぎるものはなく西側のホテルエコーや北側の天王寺公園やステーションデパートがよく見えて私は好きでした。実はJR高槻駅にもローターリーに大きな歩道橋があってその上には花時計が設けてありました。ところがこれらはなぜか架け替えられてしまい天王寺のには雨でも濡れないように天蓋が付いてしまい眺望がきかなくなったし、高槻駅のは花時計そのものが撤去されてない。とか思ってたら昨今出た井上章一の「日本の醜さについて」を読んだら諸外国で町の中心部に歩道橋があるのは日本くらいだとある。歩道橋があまりにも街の景観を壊すからなんだそうだ。確かに石造りの古い街並みが残るベネチアとかロンドンとかにむき出しの鉄の柱が露出するのは気味の悪いことだ。でも俺はその気味の悪い橋から見える景色がいいと思っていたんだからバカなのかなあ。
石原吉郎の「望郷と海」はシベリア抑留の話があれこれ書いてあって氷点下40度にもなる酷寒の大地で作業を強いられるのに服の合わせ目を留めるボタンはソ連兵に没収されてしまうので、寒さから身を守るために自分で針を作り服を繕って風が入らないようにしなければならないのだが、当然針の所持は禁止されているから見つかったらえらいことになる。しかし寒さは寒いし背に腹はかえられぬ、みんな隠れて短時間に工夫して針を作るのだが、石原吉郎は針を持っていると密告されて取り調べを受けた。密告したのは同室の体が悪くて作業を免除されている弱者だったそうで、石原はその原因を嫉妬だと記す。ちくっても自分に特段メリットはないんだが、身体が自由に動くやつがそれを生かしてあれこれ快適になって行くのは嫌だという嫉妬で、それはあるんだろうなあ。
つくづく今の世でよかったと思いました。
