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古本屋日誌
井納理津子はかつて雑誌「大阪人」に下町の酒場の連載を持っていて千林も取り上げていて、商店街の由緒正しそうな店に入って「古い町のことを教えてください」と頼んでいたが全然相手にされず、「あそこの店が古うからやってはるで」とようよう教えてもらって訪ねてみてもけんもほろろの扱いで「こんなにも冷たい扱いは初めて」とか「何を聞いても生返事しか返ってこない」と書いていて面白かった。
まあこれは後にちくま文庫に「大阪下町酒場列伝」として上梓されたが、その際千林の回は当たり障りないのに差し替えられていたてがっかりした。
井納理津子は何か入れ込むと訳が分からなくなる女で、例の「最後の色街 飛田」でも何を思ったか突然飛田新地のねきにある交番に飛び込んで警官に「ねー知ってますか‼️あそこでは売春が行われているんですよ。取り締まらなくていいんですか‼️」てなことを言う。
でもまああれですね、テレビとかがよく店を取材さしてくれと来ますけど、人気もすぐれなくて藁をもすがる店は店はそれとして店にとっては迷惑ですからね。常連客は人がたかったら入りにくくなるし、芸なしの芸人の飯のネタに利用されるいわれもない。
千林商店街のマクドナルドの横にあった「食事処 杉田」はよく取材のオファーを受けていた。魚がうまい店だし、冬期はかす汁も出していてかなり遠くから客も見えていて「こんなもんのためにえらい遠うからよう来るなあ」と年配の常連客に店主が毒づいていて面白かった。
いつかなど笑福亭鶴瓶が顔を出して「ご主人、店みしてくだはれぃな〜〜」と例の人たらしの笑顔で頼んでいたが「いらん、いらん、二度とこんといてくれ‼️」と拒絶していた。
古本屋は今市の「山口書店」が閉店したのは残念だ。新しい織田作之助全集や京阪電車の「京阪百年」が置いてあった。
京阪電車の萱島駅はうちの最寄駅だが「耐震補強工事」が始まっていて、柱を四方から仮枠で取り巻いて通過できるスペースがかなり狭くなっている。
また駅の南側のもとモータープールだったところに5階建てのビルが建って、一階には薬局、4階には保育所とそのお迎えに来る父兄を当て込んだ喫茶店が出来て、まあそれなりに繁盛しているようだ。
駅の東口にあったパチンコ屋は閉店して跡地に100均ができるという噂があったが現在シャッターはおりたままで、工事の始まる気配はない。
このパチンコ屋は以前は萱島駅の西口にも同じようなパチンコ屋を二軒経営していた。萱島駅の高架下には現在も100均があるがここはもともと岡山のスーパーで萱島駅の北側にあるショッピングセンターの中にも100均を営業していて、スーパーと均一ショップという面白い営業形態だ。
萱島駅は西口と東口にそれぞれ1箇所ずつ手洗いがあり、その上東口を出たすぐのところにも手洗いが設けてあり都合3箇所もある。いずれも自動的に水が流れるシステムなんだが前後二回流れるので極めて清潔だ。
今日は8年ぶりに東京に出向いた。東京駅から銀座をプラプラして丸福珈琲でご飯を食べた。丸福には例の漢方薬を思わせる、ケーキによく合う濃厚な珈琲に加えて牛肉のドリアやハンバーグがあってびっくりした。
銀座の「木村屋」はガラスケースの中にあれこれパンが置いてあって向こう側にいる店員にあれが欲しい、これが欲しいと取ってもらう様式で昔のパン屋のままだった。例の「銀座百点」も置いてあって岩下尚史が「新橋ことば覚え書き」なる連載をもち南地の大和屋のことを書いている。
祇園の芸妓をなんとも思わない誇り高き新橋の芸者が一目置いたのが大和屋芸妓養成所の卒業生で特に二期生の武原はんは名高いものだった。「なにをしても我が道をゆくって感じで、他人が何を言おうが自分は自分。後に築地の灘萬の雇われ女将になっても、お座敷で舞を見せて売り出して、遂には文化功労者ですからね、大和屋の出の人は大したものですわ」とある。
また「昭和の終わり頃から、大阪の大企業が次第に本社を東京に移転するまで、名実ともに日本一の商業都市であり、その花街繁盛を代表したのが南地の大和屋であり、唯我独尊の新橋の老妓たちも一目置いたわけである」ともある。
まああれですね、銀座のPR誌に大阪を讃える文が載るのはいいよね〜〜
「月刊タイガース」など現役選手のインタビューが載るのだが、もう引退したが山崎一玄のがあって「入りたかった球団はどこですか?」と聞かれて「そんなもんジャイアンツに決まっている」とか答えてそれがそのまま掲載されていた。編集部でカットすべきものだ。
しかし大阪にあった様々な会社の本社が東京に移転するのは「昭和の終わり頃から」などではないだろう。万博の前くらいから始まって昭和の終わり頃には全て完了していたように思うけどな。
千里中央に用事で出向いたらセルシー前の広場で田村書店が古本のワゴンセールをしていた。(ちなみに今日が最終日)サラ本のバーゲンブックに加えて文庫本、時代小説の文庫本、文芸書を3分の1くらいの値段で販売していた。
田村書店の千里中央店はかなり前から古本コーナーを設けて安売りをしているのだが、あまり大した本はない。そのくせ新刊を大量に販売しているものだからそれと区別するためだろうが、巨大な値札を貼っていて剥がしづらいことこの上ない。
まあ近くに天牛書店があるのでそっちに売りに行ってしまうかもしれないが、それなりに金持ちが住んでいる地域だろうに、不思議ではある。
昭和51年に大阪の出版社が月刊で出していた「サロン大学」というキャバレーに特化した情報誌は磯田敏夫や藤本義一、成瀬国春らの小説、エッセイ、戯れ絵などが毎号載っていて、ホステスのインタビューやら店の紹介やら資料的価値も高いのに大阪の古本屋や古本市では見たことがない。
大阪市立図書館や府立図書館にも蔵書はなく、市立図書館のレファレンスにお伺いを立ててみても「見当たりません」で終わりですから司書てバカですよね。ものを見る目が全くない。
ところがこの雑誌が大地震で痛めつけられた神戸からは何回も見つかっていて、とりあえず3号までは出ていることが確認できました。
先日関西テレビで震災時のJR六甲道駅の復興をドラマにした「BRIDGE」を放送していた。小市慢太郎が駅前の焼き鳥屋と亭主役で、地震で破壊尽くされた店内を若いボランティアに手伝ってもらって片付けようとするシーンがなかなかよかった。
慢太郎が散乱した皿やコップを積み上げながら「これなんぞ意味あんのかいな」と嘆くとボランティアにさの若いにいちゃんは「でもちょっとずつやりましょうよ」と応じる。「去年でやっと2000万からの借金を払い終わってやっと楽できると思たらこれや」と絞り出すように嘆くと「明けない夜はありません、夜明け前が一番暗いんです」とくだらないごたくを言い出した、激昂したまにどつかれていてスーッとした。
幼い頃阪堺線の天王寺駅界隈にはたくさん乞食がいたし、傷病軍人や救世軍もいた。
しかしまあ自分個人を考えてみると他人が金を恵んでくれることはなく、世間はそういうものだろうと思っていた。
でもまあ世間には能力が至らない人もかなりいるわけだから、そんな人と勝負して勝つとかいうのは人としてバカバカしいし、結果の見える勝負はつまらないだろう。そういう人にはちゃんとした保護をかけないといけないのは論じるまでもない。
このところカードや銀行口座を作ったらポイントや現銀をくれたり、買い物をしたら何%かバックされたりという驚くべき事態が起きている。
この西岡研介の「トラジャ」という国鉄の分割民営化とその後の労組との対立を詳細に綴った600ページを超える本は2640円するのだが、ヤフーショッピングでこうたんだが初めての取引だということで500円分がプレゼントされ、その上送料が無料であり、さらに2割に当たる金額がバックしてもらえるという。つまり実質1600円くらいで家まで持ってきてもらえたわけで驚くほかない。
なんでもスゥェーデンでは既にキャッシュレス決済しか基本的にはないそうで、外出する際も財布に現銀を入れて歩くことはないとある。

