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古本屋日誌

2019-11-25 11:42:00

京都にあるミシマ社という出版社から仲野徹の「そろそろ大阪の話をしよう」が出た。

大阪に詳しい各界の人との対談集なんだが大阪城天守閣の北川央とのやつでは大阪の上町の意味が取り上げてあって大阪城が上にある意識でつけられているのだという。つまり東西南北でいえば、大阪城は東なんだが、そこが1番上で、そのお城の近くにある場所が上町なんだそうだ。

そうなのかあ〜〜〜〜、船場に比べて標高が高い地点にあるから上本町とか上汐町とかいうのかとばかりおもっていましたわ。確かに徳川時代の地図は東が上になっていますな。

北川央は以前新風書房から出した大阪城の本の中で、昭和の再建天守閣は最上階だけが黒塗りでほかは白い、これは夏の陣の黒田家屏風と全然違う。黒田図屏風は全て黒塗りですからね。

実は2006年にオーストリアで見つかった秀吉時代の天守閣を描いた屏風では最上階だけが黒塗りでほかは白い。北川は昭和の再建時にどうして秀吉時代の天守閣の様子がわかったのかミステリーだとし「これが話題にならないことが不思議だ」とまで書いていた。

さてその後進展はあったのか?今回の仲野との対談集で新たに新潟から発見された聚楽第の屏風に描いてある天守閣は最上階だけが黒塗りで残りは白いから秀吉時代の流行なのかもしれないという。また黒田家屏風に全体が黒塗りの天守閣となっている理由に関して「秀吉の創建の後慶長の大地震で大坂城も大きな損害が出たことがわかっているので、天守閣に大幅な修正が加えられたのかもしれない」という。

うーん、まあそうなのかな、でも肝心の昭和の再建天守閣がなぜ秀吉時代の天守閣の姿をしているのか?その典拠は何か?が問題なのにそれには答えられていないよなあ。