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古本屋日誌
NHKの深夜番組の「球辞苑」が初回を特集していた。
ファイターズの栗山が「ショートスターター」を導入して先発ピッチャーの不安定な立ち上がり対策を取ったことが取り上げられていた。
ショートスターターとは従来のように先発ピッチャーに最低5回までは投げてもらうというのではなく、中継ぎやセットアッパーを先発に起用してまず初回だけを抑えてもらって2回からはまた引き継ぐ形だ。
メジャーではかなり一般的な形で特にレイズは40試合以上で導入していて、今シーズンはメジャー全球団が試みている。
まあ確かに力のある投手でも立ち上がりで失点してあとは無難に抑えて、結局スミ1で敗戦投手になることもあるから、中継ぎやセットアッパーに初回を任せればそれを防げるというわけでなかなか面白い試みだな。
それにしても野球はピッチャー中心で打者はどんなに低レベルで打率も2割を切りそうな選手でも4番同様、平等に一打席与えられる変な民主主義的なスポーツですね。私はこれが嫌だ。
打者も1番から5番くらいが繰り返して打つようにしてほしいけどなあ。タイガースなら近本がヒットで出たらファーストには足の速いやつを代わりに置いて、また近本が打つようにしてもらいたい。近本がまたヒットを打ったらこんどは糸井がバッターボックスに入ってスリーランホームランをうつ。
その後もまた糸井が続けてバッターボックスに入るというのはどうかなあ。
今年の7月、雑誌「望星」が大阪の特集号を出した。阪大の中野徹が井上章一と対談するページがある。
井上は昭和10年ごろの雑誌で東京に暮らしている元タカラジェンヌたちの座談会を読んだが、皆大阪弁で話しているし、それを東京の雑誌記者は「日本語におけるフランス語ともいうべき大阪弁で語り合っている。江戸っ子には理解しがたい、えもいわれぬ味わいがある」と語る。
また昭和30年ごろから大阪の会社が本社機能を東京に続々移転した影響で、東京のサラリーマンには大阪弁が高圧的で威張っているように聞こえたことも指摘している。大阪から来た上司の話し方が大阪弁なんだからうなづけることですね。
まああれですね、今はおちゃらけか金のからんだ、下品なヤクザ言葉めいたものとして位置付けられてしまった大阪弁の捉えられ方の変遷は興味深い。
私も含めてそのもう一つ下の世代、1970年代の前半生まれくらいまでは大阪弁やアクセントへのこだわりが強いひとたちが必ずいた。小さい子が幼稚園や小学校で変なアクセントを覚えて家で話していると強い口調でたしなめるわけだ。
そのために東京アクセントやその話し方を受け入れようとしていたある層が、「これではならじ」とまた大阪弁に復帰してくるという過程が見られた。
ちょうど小学生が巨人やホークスのような単に強いだけのチームに憧れてファンになるが、中学生に上がる頃に周りから「お前も大人なんだから、勝つのが嬉しいなどという幼稚な価値観は反省せなあかん」とか言われてタイガースに回帰してくるのとよく似ている。
でもまあ今はそういう改心や洗礼を受けることもないだろうなあ。
岩波文庫から近代100年の東京の変貌を小説やエッセイでたどる「東京百年物語」が全3巻で出た。
その2巻目に中野重治の「雨の降る品川駅」が収録してあって、例の「日本プロレタリアートの前盾後盾」がちょっとおかしいのではないのかという話はよく聞かされた。
まあそれはどうでもいいとして、解題によればこの詩は昭和天皇の即位式の邪魔になるからという理由で朝鮮人を強制送還したことを読んだものなんだという。
今回収録のものには1929年の雑誌「改造」掲載時には伏字になっていた部分も復元してあって「君らは雨にぬれて君らを追う日本天皇をおもいだす 君らは雨にぬれて髭 眼鏡 猫背の彼を思い出す」がそれに当たる。
昭和天皇の即位式に、当時は大日本帝国臣民である朝鮮人が強制送還されてしまうのは皮肉な話だ。
まああれですね、朝鮮を植民地化したわけだから、大日本帝国には清濁併せ呑む度量が求められていたのに、混乱を恐れたり、過剰警備で臣民たる朝鮮人が追い返すとは言語道断、わけがわからない。
その当時に的確に矛盾を指摘した中野重治の慧眼は大したものだ。
沖田✖️華の「お別れホスピタル」の3巻が小学館から出た。終末期病棟の模様をナースが活写したビッグコミックスピリッツ連載の漫画です。
「いつかゆく道とはかねて知りしかど〜〜」なんだけど、想像もつかないために日頃は考えることもなく避けていた問題だ。
56の元建築会社の社長の話があって、スキルスの胃ガンで手の施しょうがなく終末期病棟に入院した。
医者の話ではうまく緩和医療がいけば1年くらい生きれるのではないかということだった。
男は中卒でずっとそれから建築現場で働き始めて人を使う会社まで起こしてこれまで全部自分で生き方を決めてきたのに、まだ50台で死の淵に直面させられることになってしまい、口惜しくて仕方がない。ナースには「合コンとかするの?来週でもやろうよ〜〜」とか「若くて美人のナース紹介して〜〜冥土の土産に〜〜」とか明るくて冗談を言ってくる。
しかしある日廊下の窓から身を投げて死んでしまった。
廊下の開け放たれた窓を警察の鑑識がチェックしたら窓ガラスの半ばから下までびっしり指紋がついていて「この人窓枠に腰掛けて、何回かためらっていたんですな、身体を後ろへ倒そうとしたが、思いとどまってきつく窓ガラスをつかんだりしていたんでしょう」
まああれですね、ガンに殺されてしまうくらいなら、最後も自分で決めてやるということでしょう。潔さも感じるし、自分で決断してやってきた人生なんだからその矜恃や誇りを失いたくないという感情は痛切だなあ。
環境大臣の小泉が温暖化対策の国際会議「COP25」に出て、日本が石炭や火力に発電を頼りCO2を大量に排出している件でどう話をするのか面白いところだ。
1997年にアメリカで出版されたラリー・バークダルの「ナゲキバト」は日本でも30万部以上売れた短編小説集なんだが、この中に仔牛がアルファルファの柔らかい葉を食べてしまい、げっぷができなくて胃の中に溜まったガスを排出できなくて苦しむ話がある。
のたうちまわる牛にナイフで胃袋を突き刺してガス抜きをしてあとは神頼みとなるのだが、もちろん助かる見込みはなく最後は銃で安楽死させてしまうのだが、「牛はげっぷができない」となっているのが不思議だ。
「COP25」でも牛や羊は胃の中に草を分解する最近を大量に住まわせていて、そのため大量の二酸化炭素をげっぷやオナラで排出してしまう、そのために温暖化の元凶ともなっているとして議題にも上がっている。インドがCO2の大量排出国であるのはヒンズーで牛を神聖化して大切にしているからだというのも社会の授業で習った覚えがある。
アルファルファは特別なガスを出してしまうのか、それともアメリカのある州での慣習なのかよくわからない。