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古本屋日誌
中津にある編集工房ノアが出した杉山平一の「希望」を入手しました。帯、新刊案内、読者カードがついている上に、著者のサインがあります。ぜひお求めください。 「仲間はずれ」と題された詩があって日本橋にかつてあった五階百貨店では靴の片っぽうを売っていた、尼崎にはタバコを2、3本にバラして売ってくれる店があった。また道にきれいなタバコの吸殻があるのを見つけて靴の紐を結ぶふりをして拾い、恥ずかしそうに俯いて歩いて行く人がいたともある。
まああれですね、五階百貨店にせよ余りのタバコ屋にしても自分の商売に恥じるところがないのがいいね。ゴミ屋であろうがクズ屋であろうが古本屋であろうが、世間様に恥じることは何もないというのが潔くて素晴らしい。道に落ちているシケモクをひらって吸うのだってリサイクルだし、道路もきれいになるし、自分も満足するし一石二鳥も三鳥もの立派な行いなんだから、恥ずかしがることはないのに、そこまで人は強くなれないのかね。
さる11日の月曜日、11時から神戸地方裁判所で雇用延長時の時間給に関する裁判の2回目の公判があった。
原告は中学受験の進学塾の社会の先生なのだが、正社員ではなく講師、つまり非正規労働者だ。この会社では定年が60でそれ以降は雇用延長時となるのだが、時間給が2割くらい引き下げられる上に担当の授業時間数も削減されて年収では6割くらいになってしまう。
やる仕事は授業だから、定年前と少しも変わらないだのに時間給が引き下げられるのは不当だと会社を訴えたわけだ。
前回の公判では裁判長から「でも時間給を引き下げる旨書いた契約書にサインをしているわけでしょう、だのにそれを不当だとする根拠を示してもらわないと困る」との話がありました。
今回原告から契約交渉時の模様を録音したものが証拠として提出されました。それによると「この時間給は納得していない、不当だから争う、ただ今契約書にサインをしないと仕事をもらえなくなる可能性があるのでサインはする。ただし時間給には納得していないので保留として今後話をしたい」との内容が残っていました。裁判官も「これは証拠として採用できる」として次回以降実質的な審議に入ることになりました。
まああれですね、契約書を巻くというのはなかなか重いことなんですね、不満があっても一旦サインしてしまうと「納得したでしょう」と解釈されて裁判になっても門前払いされる可能性があるわけですからね。
定年後時間給を下げられたり、勤務時間数を削られたりする人は全国にたくさんいるわけだから、この裁判の帰趨は実に興味深いところですな。
文藝春秋から出た中野孝次の「ガン日記」は文庫本でもいいんですが、今回帯付きの単行本を入手しました、ぜひお求めください。巻末には入院後、亡くなるまでを記した夫人の後書きも収めてあります。
中野はもともと千葉の大工の息子で跡を継ぐことを嘱望されていたのに、一浪して東大に入りドイツ文学者となった。のちに「ブリューゲルへの旅」などの西洋かぶれした作品を書いたのだが、年老いてようあることなんだが地元回帰にとらわれて「清貧の思想」なるエッセイで一世を風靡した。
大都会で至便なアーバンライフに興じるのではなく、田舎でよくから離れた慎ましい暮らしをするのが人としてあるべき姿ではないかなどと説いた。
その中野がガンになり余命一年を宣告されて一時は標準治療である放射線と抗がん剤の併用を「人間らしい生活ができなくなり、無駄に苦痛を生むだけだ」と拒み従容として死に赴こうとした。
中野は近代化がもたらした弊害をいろいろ並び立てて、ブロイラーを取り上げる。以前のような放し飼いができなくなりまるで工場で流れ作業のように生産される卵や鶏肉が安全であるわけがない。ガンという病気もかつてはこんなに多くはなかっただろうと書く。
中野は標準治療は拒否して、痛みが出たらホスピスにでも入り最期を迎えようと思っていたが、家族や医者から「まだ可能性もある」とか「やってみる価値はある」とかいろいろ言われるうちに「自分はともかく、家族のためになるのなら」という理由で大病院に入院して、嫌がっていた抗がん剤と放射線の標準治療を受けることになった。しかし薬石効なく、告知から半年ほどで亡くなってしまった。
まああれですね、中野が本まで書いて嫌がった高度な現代文明にすがって、挙句死ぬことになったのは皮肉な話で、その辛さがこの本の価値だろう。
友人に東京の巣鴨出身の男がいてもう70がらみなんだが父親は亡くなり、実家に住む母親を自分の暮らす神戸に呼び寄せて、施設に入れようかと考えているのがいる。そいつの話では「東京はあまりにも人が多すぎて、のんびり暮らすには向いていない、若い頃は東京は便利で憧れもあったけど、今は自分も帰る気はないな」という。
大学の図書館は時に閉館になってしまうことや、何年かに一度蔵書整理で大量に処分することがある。
われわれが買うのだが蔵書印が控えめに押してあるだけのものもあれば、箱やカバーも取り去られていて、表面には保護の透明なシールがべったり貼りつけてあるもの、背表紙の下に整理ナンバーを記したシールが貼ってあるものとかコンデションはまちまちです。
特に研究室の蔵書は箱もあるし、セロファンのカバーも完全で、月報や読者カードも揃っていて美品であることが多い。
廃棄する際は廃棄印を蔵書印の上から押してあるケースもあるが、ハンコの上からまたハンコというのはきれいでもないし、つまり誰も喜ばないからそのままにしていることもしばしばある。古書価は当然安くなるのでお客さんも買いやすいのだが、「この本は最後のページに〇〇図書館の蔵書印があるんやけど、盗難とかそういうおそれはないのかな?」と問い合わせてくるお客さんもいる。
まああれですね、個人でもコレクションといっていいほどの蔵書を抱えてるお客さんなんかは自分で篆刻したりして蔵書印を工夫して押してる人もいますから、図書館のやつでもまあ少し美的感覚にはかけますけれども大差ないと思いますね。
アナーキストでもあった大原緑峯が「平凡社における失敗の研究」を書いたのはずいぶん前で、平凡社の労働組合が会社の人事にも介入して、その許可がないと配置転換も出来ないために迅速な意思決定もままならず倒産につながった話だ。
今回の西岡研介の「トラジャ」と経営陣が特定の組合だけをひいきして他の組合に圧力をかけて不当労働行為に認定されてしまう話だ。JRは国鉄時代に国労や動労と激しく争い、1週間にわたってストライキを打ち抜かれてしまったり、順法闘争で列車のダイヤが乱れ起こった乗客が暴れ出したりと様々な事件を引き起こした。
これに懲りてJRは第1組合と良好な関係を維持したいと考えて、組合の言うことを聞かない社員を対立する組合の拠点に配転したりした。
なるほどねー
まああれですね、労働組合は職場にないと働きにくくなることは間違いない。会社に掣肘を加える団体がないようなところで働いている人も多いようだが、愚かしいとしか思えないな。
会社主催の宴会に用事で欠席したら覚えが悪くなるのではないかと気に病んで、気心の知れた上司に相談する部下がいます、どう考えてもバカだ。そんなことを会社が気にしているわけがないのにその程度のことすらわからない。
有休を取得せざるをえない状況になったが、得意先との商談が組み込まれていて、どうしても誰かをよこさないといけない。休む自分の代わりに営業部長が出てくれた。恐縮して休み明けにすぐ部長がさに電話して詫びを入れたりするバカも後を絶ちませんな。