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古本屋日誌
「週刊ポスト」に呉智英の連載がずっと載っている。先月「赤毛のアンの邦題を使わなくなった理由」と題した一文を書いていたが、意味がよくわからない。
タイトルからしたら何か「赤毛」あたりに不都合な事情があってこのところは「赤毛のアン」と称することをやめたとの内容かと思われた。
ところが中身は70年代、学校である先生が生徒に欧米人風の名前を愛称としてつけていたことから始まり、その名前をつけた先生が生徒に「赤毛のアン」を読むように強制したという話になる。
さらに「赤毛のアン」の原題は「緑の破風館のアン」だったという話になり、この小説が書かれた頃は赤毛は犯罪に結びつくイメージがあったことが語られて終わりとなる。
うーん、タイトルは近年日本で「赤毛のアン」というタイトルを使わなくなった理由とあるのに、本文を読んだらこの小説が書かれた20世紀初頭には赤毛が犯罪に結びつくイメージがあったという話で、これでは今の日本の話では全然ない。
また導入の生徒に欧米人風の名前を付けた先生の話も書く意味がどこにあるのかさっぱりわからない。
呉智英先生は大好きな評論家で、以前大阪の食い倒れの話を書いておられたことがあって森田たまの随筆などを手掛かりに「大阪は食い倒れではなかったのではないか」との内容だった。
わたしがたまに読む大阪市史編纂所の雑誌に「天下の台所という表現は徳川時代にはなく、明治になって大阪市史を編纂する段になって幸田成友が作り出したフレーズだ」との論文があることを知っていたので、早速双葉社気付でその雑誌などをお送りしたら、ご丁寧に直筆のお礼状に加えてご自身が寄稿されていた太田出版の仏教雑誌までいただいた。
そこには「これまで通説と考えられていたことを考え直す作業もわたしの仕事なので、今後ともよろしく」とあってありがたかった。
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光文社から小林よしのりの「新型コロナ、専門家を問い質す」が出た。作家の泉美木蘭との対談本だ。
小林の主張は新型コロナはこと日本に限ってはインフルエンザ以下でしかなく、今のように警戒を続ける意味は全くないということだ。
確かに季節性インフルエンザで日本では毎年3000人以上、関連死では1万人が亡くなっているから、現時点の新型コロナの死者数の1800と比べたら、騒ぎすぎとの感は否めない。
その上コロナの死者数はとにかく陽性であれば、明らかに死因ががんとか脳溢血とかであっても、コロナが死因だとカウントされている。それにもかかわらずこの程度なわけだからな。
小林は例のコンピュータ富岳を使ったマスク実験について「マスクしてても、富岳のシミュレーションでは3割も漏れている、3割も漏れたらコロナウィルスは何万個も浮遊している」と言う。
それも確かではあるけど、われわれは根が臆病に出来上がっているので、「一応7割はガードできてるわけだから効果はあるように思える」となるわけよ。
この辺はもっと臆病な日本人に訴えかけるような工夫が必要だろう。
このところ東京、大阪など都市部で感染者数が増加しているそうで、政府は「ゴートゥー」キャンペーンの見直しを言い出している。
あらゆるジャンルの通販業者とか医薬品メーカーや感染対策グッズの会社なんかは空前の利益を上げていることは間違いない。しかし観光業者や飲食業は手痛い打撃を被っているし、何よりそこに従事する労働者はいわれなき解雇を言い渡されて呻吟している。
コロナに関しても例の「ショックドクトリン」が発動されているのではないかと勘ぐりたくなるよなあ。
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坪内祐三の「週刊文春」連載の最後の分が本の雑誌社から出た。「文庫本千秋楽」で相変わらず面白い。
坪内祐三があんなにあっさりあの世に行ってしまうとは思わなかったな。
あんなにかくしゃくとしていたんだから、死んだぐらいで大人しくなるとは思えない。はやく天国からでも新著を届けてもらいたいものだ。
この本の中で中島義道の「東大助手物語」を取り上げて中島が東大時代に研究室の上司の教授から激しいアカハラを受けた話が赤裸々に書いてあるという。確かにその糟谷という教授がドイツに留学している間ずっと自宅の芝刈りを中島に命じてやらせるなど言語道断だ。
それはさておき、東大法学部では優秀な学生が法曹界や企業に流出してしまうのを避けるために、教授が優秀だと認めた学生は大学院には進ませずいきなり助手に採用して2、3年後に助手論文を書いて助教授にするというのが慣例となっているという。
とすれば22で助手になるわけで中島義道が助手になったのは37だから不当な感じもする。
坪内祐三は「唾棄すべき世界だ」と嫌悪感をあらわにしている。
確かにこうして教授になった人間は博士号を取ってないわけで、どうかと思われるところなんだが東大法学部では逆で博士号を取っていると低く見られるというのだから異常だよなあ。
同じ慣行は京大法学部でも行われていて、法学部内の雑誌「法学論叢」には論文の著者紹介で学部卒と同時に助手採用されたことが誇らしげに記してある。
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「週刊現代」の最新号、11月28日号に医師の中村仁一の記事がある。
中村はかつて「大往生したけりゃ医療とかかわるな」を書いてベストセラーになった。
中村は医療行為を受けずに亡くなった人の最期は穏やかで眠るように旅立っていったが反対に人工呼吸器をつけたり点滴をするなどした人ほど、がんが暴れ出して悲惨な最期を迎えるという。
その中村がいま肺がんにかかり、末期の状態だというのだ。
「一般的にがんといえば、痛みが出て苦しいものと思いがちですが、あれはがん自体で痛むのではなく、抗がん剤や放射線などの治療で痛むのです」と言い、自分は何の治療もしていないので痛みはないそうだ。
「週刊現代」は「同時進行ドキュメント」と銘打っているので今後が注目される。
今日から3日間、谷町四丁目の大阪古書会館で古本市をやっている。早速初日の朝行ってみた。
一番人気のあるのは文学書のあれこれを扱う矢野書房で、いつも狭い通路にまず客が押し寄せ棚に差してある初版本や帯付きの本、また平台に縦に表紙を重ねるように立て掛けてある古い文学書を漁っている光景は壮観だ。
入り口すぐ右側には荷物を置くためのスチールの棚が用意してあるが、まずそこにリュックを置くゆとりあらばこそ、とにかく殺到している。
その他の本屋の専門領域は寸心堂が海外文学、古本横丁が古文書、アジア号が戦争関係、ディックがミステリー、唯書房が学生運動、大阪関係、新書、杉本が岩波文庫、厚生が絶版文庫、象々と真木がいろんな本と見受けられた。
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元町界隈に出向いた。
JR西日本がモトコウの耐震工事をするとの口実で店舗に立ち退きを求め、廃業した古本屋も多い中いくつかの店は元町界隈に移転してきたため、20店くらい古本屋がある。
これだけ古本屋が一カ所に集まっているのは京阪神ではめずらしい。
神田はたくさん古本屋があるがそれは東京が出版業界を牛耳っているからで、要するに仕事で本を使うという金儲けのための需要が大きいからだ。
しかし神戸は出版社もなければ、大学だってたくさんあるわけでも無い。
それにもかかわらずなかなかの規模の古本屋が集積しているのはわれわれが長生きするようになったためだ。
定年後も人生が40年から続くわけだから、ヒマな時間があまりにも多い。暇つぶしのアイテムとして古本は優秀だ。しかも元町の古本屋街はごく一部の書店を除いて専門店化しておらず、いろんなジャンルの本が適当にぶちまけられている。どこに何があるのか、時間をかけて探さなければわからない。
パソコンで本の検索をしたら瞬時に在庫のあるなしがわかってしまう。実はこれが長い人生にはマイナスなのだ。そんなにすぐありなしがわかってしまったら後は何をしたらいいのだろう。
元町のアーケード街には神戸らしい和菓子、洋菓子の喫茶店や今流行りの生食パン専門店などかあるほか、昔懐かしい日活の、殿山泰司なんかが出ていそうな映画を上映している映画館、鉄道の忘れ物を集めた店なんかもあって歩いていて飽きることがない。
鉄道の忘れ物の店は上本町六丁目にもある。
谷町筋に面した店で間口は広いものの目の前を車が疾走していくし、狭い歩道も歩行者に自転車にとあわただしい。
店内も天井が低く見通しが利かないしあまり広くはないのでごちゃごちゃした感じがする。でももちろん地下鉄の回数券の落とし物を格安で売ってくれるからありがたい店であることは間違いない。
一方元町の方はそういうありがたさは無いが、店はアーケードのある商店街の中にあって、前の道も極めて広い。店も広々として外からでもすっかり店内を見渡すことができる。人生の終わりを迎えた老人がのんびりとあれこれ物色して感慨深い思いをいたすにはもってこいだ。
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