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古本屋日誌
今日は寒さも緩み、湯沸かし器は午前10時現在、問題ない。
ただ9時過ぎに近所の萱島郵便局から電話があった。
「すみません、雪の影響でゆうメールもクリックポストも引き受け出来ない状態です。いつ復旧するかもわかりません、申し訳ありません」とのことだった。
電話は出来ない話しか出なかったのだが、ホームページで確認してみたら、ゆうパック、ゆうメール、クリックポストはダメだが、レターパックとスマートレターは大丈夫だと判明した。
要するに荷物はダメだが、手紙ならいけるということなのだ。
クロネコヤマトも、昨日朝に届く予定の60サイズの宅急便があって、LINEでクロネコから朝届けますと連絡があったのだが、届かなかった。
その後晩の7時くらいにクロネコから電話があって「すみません、雪でまだ荷物が届かないんですわ。いつ届くかもわかりません。」との話だった。
これはもう仕方のないことで、郵便局の人たちにしてもクロネコのみなさんにしても災難としかいいようがないことだ。
今朝は大阪市内で氷点下4度だったそうで、田舎の萱島では湯沸かし器が凍りついて、11時過ぎまで使えなかったほか、1センチ程度の積雪があった。
先日自宅の留守電に「藤澤桓夫の本が欲しいんや、『薔薇はよみがえる』と『朝の歌』があるやろ。ホームページで見たわ」
とのことで携帯番号も録音されていた。さらに同じ人からもう一回留守電に吹き込みがあった。声の感じでは70絡みの男性という印象だった。
「せいてるんや、人に渡すゆうたあるさかいな、弱っとるんや」とのことだ。
ちょっと留守電に気づくのが遅れてしまい、どうかなとは思ったが、お急ぎのようなので晩の9時過ぎにお電話差し上げてみた。
すぐにお出になった。
「お電話ありがとうございます。マルス書房です。お客さんの探してはる本がなんですが、『朝の歌』の方は、うちにはありませんわ。どっか別の本屋さんのとまちごうてはるんちゃいますか❓
ただうちは『新雪』はおいてるんで、もしよろしかったらこっちと合わせてどうですか❓」
急いで探している本だと言いながら、持ってないうちに何度も電話してくるのはちょっとおかしな話だが、とりあえず藤澤桓夫の本で持ってるのをあげてみたのだ。
「あー、それでかまへんわ、その『新雪』は小説やな?エッセイちゃうやろな。」
「小説です、もちろん。文庫にもなっとります」
藤澤の『新雪』は珍しく文庫本にもなっている長編小説で、これを知らないというのは不思議だ。
また藤澤は小説よりエッセイの方がいいものが多い(『大阪自叙伝』とか「回想の大阪文学』とか)のも常識だ。
それをご存じないのか、それともかなり変わった審美眼の持ち主なのか、よくわからない。
「いやな、弟子に渡すゆうてあるよってな、無いと困るんや、助かったわ。
明日にでも振り込むさかい、口座教えてくれ❗️」とおっしゃるのでお伝えしておいた。
普通なら翌日から遅くても2、3日のうちに振り込みがあると思うでしょう。
ところがもう3ヶ月は経過してるけど、一向に振り込みはない。
通常のお客さんは自分が好きな本や作家については、古本屋なんかよりはるかに詳しい。(これは古本屋商売の不思議な特徴なのだ)
古本屋の方が詳しいようなお客さんは、実に怪しいというのも、真理だろう。
先日、本の雑誌社から出た向井透史の『早稲田古本劇場』があまりに面白かったので、だいぶ前に右文書院から出た「早稲田古本屋日録』も手に入れて読んでみた。
こっちの方はちょっと作り物めいていて、あんまり面白くなかったな。
お客さんのお宅に買取に行く話が載っていて、案内された2階の、本が詰まった部屋には、ふかふかのカーペットが敷いてあって、その感触のよさにつられて、向井は眠りこけてしまったのだそうだ。本の査定もせずに。
ふと気がついたら、毛布がかけてあったそうで向井はお客さんの配慮に汗顔の至りとなる話なのだ。
そんなことあるのかね。本当に。
未知のお客さんのところで、価値のよくわからない本を前にして、よく眠りこけてしまえるもんだよなあ。
俺だったらどう値段をつけようか、この安い値段でお客さんをどうやって納得させようかと脂汗が出るところだよ。
でも向井が工夫したいろんな比喩表現は楽しかったし、読みやすい文章だし、深夜ドラマで使えそうな話だった。
俺としてはわけのわからないお客さんの話を期待していたから、第1作は当てが外れた。
一般的に考えても対面販売よりネット通販の方が、非常識な客が出現しやすい。
面と向かってあれこれ言うのはさすがに憚られるけど、スマホで見ず知らずの商売人にあれこれ、ズケズケ言うのは抵抗ないからだ。
俺のところでは水木しげるの「カランコロン』を注文してきた長崎県の客がいた。
この本は水木のいろんなエッセイを網羅した大部のもので、なかなか人気がある。
太い本なのでレターパック赤(520円、速達扱いとなる)で発送したのだが、しばらくして「取置き期間内」に連絡が無かったとのことで返送されてきた。
住所は正しいし、当該の郵便局が不在通知を入れているにもかかわらず、連絡をおこたり、あげく戻ってきたわけだ。
仕方なく客のアドレスに連絡入れてみたら
「全額返金してくれ」としか戻ってこない。
普通に考えたら自分の不手際が原因で、俺もそうだけど、郵便局の人たちにも迷惑をかけてしまっているわけだ。
「すいません、ちょっとしばらく用事で家をあけてまして、こんなことになってしまいました」と詫びるのが筋だ。
ところが大の大人のくせにそんなことも出来ない。
「こちらとしては、ミスは全く無いので、送料の返金は出来ません」と返しても
「とにかく全額戻してくれ」としか返ってこない。
バカバカしいので、さっさと本代は返金したのだが、その後も
「送料の520円を返さないのはおかしいだろう」とひつこくメールをよこしてきたのにはあきれたな。
俺は府立天王寺高校の出身だが、進学校はどこでもそうなんだが、教師が自分の興味に従って授業をしていた。
大学受験に合わせて授業を展開することもないし、そもそも文部省検定済の教科書に基づいていない。
倫理社会の授業は高2の時なんだが、テキストは角川文庫の『ソクラテスの弁明』をまず使い、その後はベーコンの岩波文庫『ノヴムオルガヌム』だった。
これを全員に買わせて、教師が注目すべき箇所に線を引かせながら、解説していく。
面白かったのは『ソクラテスの弁明』の最後だ。
周知のようにソクラテスは若者を扇動したとして死刑を宣告されている。
弟子たちが師匠に逃げるよう勧めるのに、ソクラテスは死は恐れるようなものではないと、諄々に説くのだ。
ソクラテスによれば、死は例えていえば誰にも邪魔されない深い眠りみたいなものだという。
「お前たちはこれまで、とろけるようないい眠りについたこともあるだろうよ。それが死ぬことと同じだとしたらどうだろうよ」
確かに睡眠時間は意識もないし、何も覚えていない、人は毎日7時間は死んでいるわけだ。
あるいは本当に死んでしまう日に備えて、毎日練習しているのだ。
夜中に手洗いに行きたくなって起きてしまい、「眠たい、眠たい、眠たい❗️」と呟きながら床につく。
これは「早く死にたい、死にたい、死にたい❗️」ということだ。
猖獗を極めるポストモダンの悪弊に鉄鎚を下す一冊が現れた。
ヘレンブラックローズとジェームズリンゼイの『社会正義はいつも正しい』だ。(早川書房)
不正義や差別と戦う理屈がこのところ理解可能になっている。
障害者や極端に太った人はそのままの姿で素晴らしいから、医療技術などによって健常者に近づこうとするのはおかしいというのだ。(太ってる人はそれが素晴らしいのだ、痩せる意味などない)
確かに障害や体型を理由に雇用を断られるとか、街のシステムが健常者の利便性ばかりを考えて設計されているのは大きな問題だ。
だからといって障害者が自分の身体を変えていこうとするのも当然のことで、それを考えないのは理解に苦しむ。
フェミニズムにしても男女の科学的な差を認めようとしない、非科学的な悪弊がある。
女の子が赤やピンクの服を好んだりするのを、社会的な強制や慣習に染められているからだと否定しようとする。
この本はかかるポストモダンの訳の分からないへ理屈をひとつひとつ暴いて痛快だ。
ここからは俺の考えだが、国防は全国民に課せられた市民としての義務であるというのが、民主主義の根本にある。(これは政治学のイロハであって俺の考えではない)
だから女も当然兵役につかなければいけないし、戦争に赴く気構えが必要だ。
男女に差などありえないから、自衛隊は男女比を1対1にしなければならないのではないか。
そのためには女性自衛官の待遇を改善し、給料も男よりずっと多くしなければならないだろう。
ただそれで国が守れるのかというと、無理だろうな。
また外科医も、現状男性があまりにも多い。
長時間の手術に耐えうる体力が必要なんだが、女性が向いていないわけはないから、女の外科医には収入を10倍にするなどして男女の比率を1対1にしなければならないだろう。
しかしそういう外科医に治療してもらいたいとは誰も思わないだろうけどな。