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古本屋日誌
大島隆之の講談社現代新書「真珠湾攻撃」には、参加した空母六隻の搭乗員871名のその後が詳細に書いてある。
これまでの通説では1942年6月のミッドウェーで一挙に空母4隻を喪失し、ベテラン、歴戦の多数の搭乗員を失ったといわれてきた。
ところがこの本によればミッドウェーでの戦死者は84人であり、うち50名は空母飛龍の搭乗員なのだ。
飛龍はただ一隻、無傷で生き残った空母で、その後アメリカの空母部隊に攻撃をかけた。
見事、空母ヨークタウンを撃沈したが、その代償は大きく、「雷撃機5機、急降下爆撃機13機、零戦6機が未帰還となったのだった。」
つまり最初に沈められた赤城、加賀、蒼龍の搭乗員は34名戦死ということなのだ。
陸上攻撃用の爆弾を艦隊攻撃用に付け替えている最中に直撃弾を受けて、誘爆して沈んだわけだから、搭乗員は大多数が死んでしまったのではなかろうかと思っていたが、実はそうではなかったのだ。
これは何故なんだろう。
普通に考えれば、直撃弾による火災で爆弾が誘爆したといわれているが、その過程はかなりゆっくりしたものだったということだろう。
十分避難できる余裕があったということだ。
ミッドウェーについては、ずっと妄説が唱えられていた。
つまりアメリカの艦載機が急降下爆撃を行った時、空母の甲板には爆弾の装填をし終えて、今まさに飛び立とうとしていたといわれていた。
しかし、そんなことは全然なかったことが、今では明らかになっている。
森史朗の労作『ミッドウェー海戦』によれば、アメリカの艦載機が急降下爆撃を敢行した時、空母の甲板には飛行機は並んでおらず、まだ爆弾の装填中だった。
それなら、甲板の下には多数の攻撃機が爆弾や魚雷を抱えて並んでいたわけだから、直撃弾を受ければ直ちに大爆発を起こしそうなものだけどね。