Welcome
古本屋日誌
井上章一が新潮選書から、『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか』を出した。
井上先生は天才であり、これまで様々な学恩に預かってきた。
桂離宮を、タウト以来ありがたがる心性を論じたり、宮型霊柩車の研究、キリスト教と天守閣を論じた『南蛮幻想』、美人の研究、そして京都研究など、他の追随を許さない独創的な思想家だと思う。
しかしお年を召されたせいか、昨今はよくわからない本を出すようになられた。
バカな女との対談本、ヤマトタケルと男色を論じた本なんだが、まるで感心しない内容だ。
今回、どうなのか❓とさっそく一読。
まずタイトルと内容が合っていない。
日本人が室内で靴を脱ぐ理由は、全く書かれていないのだ。
ただフロイスの『日本文化とヨーロッパ文化』の日本人は靴を脱ぐことで敬意を表すが、ヨーロッパ人は帽子を取ることでそれを表す、というのが引用されているだけ。確かに貴人に土下座する際は靴を脱ぐのが作法だが、家で方を脱ぐのとは別の話だ。
徳川時代末期にわが国に通商を求めてやってきたロシア、アメリカ、イギリスなどの人たちが、靴を三和土で脱ぐ習慣に戸惑い、反発もし、妥協していった話が、イラストや絵巻物、回想録などを幅広く引用しながら延々と論じてある。
それはそうなんだろうが、これも室内で靴を脱ぐ理由とは関係ない。
今月、文春新書で三山秀昭の『ヒロシマ・ナガサキ隠された真実』が出た。
興味深い本なので購って早速一読。
興味深かったのは長崎への投下で、これまで第一目標の小倉が曇で、目標地点が目視できなかったので、晴れていた長崎に変更したとされてきた。
しかし事実は小倉も晴れていたにもかかわらず、なぜかモヤがかかっている上に、濃い煙まで立ち込めていた。
これは著者によれば前日の爆撃の余韻がモヤとなって残っていたのに加えて、八幡製鉄所を爆撃から守るために、組織的にコールタールに点火して煙を立ち上らせていたことによるものだという。
そうなのか、でも組織的にやっていたなら、すぐ真実が明らかになりそうなものなのに、今まで天候のせいだとされてきたのはなぜなんだろうか❓謎が残る。
また原爆投下の目標都市として京都が最後まで残っていたことは、吉田守夫の『京都に原爆を投下せよ』で明らかにされてきた。
吉田はこの本の中で、ウォーナ伝説、つまり京都にはたくさんの文化財があり日本人の心の故郷になっているから、これを破壊するのは問題がある、として目標から外させたというのは間違いだたと論じていた。
京都は最後まで目標であって、8月14日にポツダム宣言を受諾しなければ次なる投下地点の可能性があった。
ところが今回の三山の本では、またウォーナ伝説が復活していて、彼の強い進言で京都は目標から外されたことになっているのだが、本当のところはどうなんだろうか。
今月の河出新書に河田雅圭の『心はどこまで進化したのか』が入っている。
遺伝学の見地から、性格の違いや精神の病を考察したものだ。
生物は細胞分裂を繰り返す中で、突然変異つまり、エラーが発生して親とは異なる遺伝子配列になる。
著者によれば、突然変異は基本的に生存に不利もしくは中立であるといい、それらの形質は世代を経るにつれて、消し去られる。
その消え去る前の何世代か、不利な表現形が現れてしまう場合があるのだ。
例えばADHD、スペクトラム、うつ病、双極性などで、突然変異によって、遺伝子プール的には多様性が確保されるが、多様だからといって、生存に有利であったりするわけではない。
ここからは俺の感想だが、なにか遺伝的に多様な集団の方が有事の際に生き残る確率が増すような議論がこれまであったが、そうではないケースがたくさんあるわけで、びっくりした。
政治体制でも、確かに民主主義は多様な意見を取り入れやすい感じもするが、うるさいバカまでも相手にしなければならず、かえって混乱を生むケースも多々見られた。
昨日行った枡形商店街は、京都らしさがよく現れた場所だと思う。
昔ながらのやり方に固執する、変なところが京都の方々にはあるのだ。
枡形に河原町通から入ってすぐ左手にうどん屋があって、井戸水で出汁を取っていて、うどんと並んで鯖寿司が名物となっていて、時分どきには長い行列ができる人気店だ。
しかし、俺の考えだが、井戸水で出汁を取っても、沸騰さすわけだから味や旨みに違いがあるとは到底思えない。
また、鯖寿司は徳川時代なら若狭からやっと届いた魚で、タンパク源としても重宝されただろうが、令和のこのご時世、うまい食べ物とも思わない。それにもかかわらず京都の人たちがありがたがって並んででも食べたがる意味がわからないのだ。
また、そこから少し進むと小規模ながら映画館があって、懐かしの名画やあれこれを連日上映しているのだが、今時映画館までわざわざ出向いて見るだろうか。
Amazonプライムやサブスクでいくらでも観たい映画は、時間や場所に捉われることなく、自由に鑑賞できる。
自宅なら、横にいけすかない他人が居合わせて気分を削がれることもない。
小腹が空いてちょっと食べたい時も停止しておけば、また途切れることなく鑑賞できる。
それに映画館のスクリーンは異様にでかい。
俳優さんの顔も普通では考えられないほど拡大されて目に飛び込んでくるわけで、あんなもの不自然極まりないと思う。
それにもかかわらず、京都の人たちはありがたがって映画館に行くのだからよくわからない。
また最大の謎が3軒もある古本屋だ。
一番奥のぼあい書房は画集、図録、和本などが専門であり、上海ラヂオは廉価本、エルカミノは音楽本、京都本、旅行関係、マンガ、文学書、宗教書などをメインで扱っているようで、各店の本棚は充実していて他の追随を許さない。
ただ、どのお店も狭い。
地べたから本が積み上げてあることもあって、本棚をチェックするのも面倒だし、いろんなジャンルの本が欲しい時、古本屋のハシゴをしなければならずじゃまくさい。
俺は、普通に考えても、ブックオフみたいな古本屋が客にとっては一番だと思っている。
交通の便のいいところにあって、広いし、涼しい、いろんなジャンルの本が探しやすいように並んでいる。
枡形の近くのブックオフといえば、もちろん三条駅ビル店なんだが、何度も書いているとおり、この店の品揃えは大問題で、文庫本など大学の一回生が読む程度のものだ。枡形の古本屋の充実した本棚と比べて、その落差が不思議だと思うのだ。
今日は8時ごろ起きて、三連休の最終日、気合を入れてこれまで入ってきた注文分を本棚から見つけて積み上げた。
萱島、香里園で急行に乗り換えて、11時ごろ神宮丸太町。
酷暑の中丸太町通りを西にてくてく歩いて、久しぶりに誠光社。
ここは河原町丸太町を少し上がったところにある新刊書店だが、古本も少し置いてあって、以前一乗寺の恵文社にいた人が10年くらい前に起こした特色のある店だ。
暑い中たくさんのお客さんが詰めかけていて素晴らしい。
俺もじっくり見て、雑誌『SPIN』の宇崎純一特集号を1400円くらいで購入した。またてくてく歩いて駅まで戻って、出町柳。
駅すぐのステーションで、電動自転車を借って、百万遍に11時半ごろ着いたが、吉岡書店はまだ開いていない。
確か日曜祝日は1時オープンだったはずで、また今出川通を西に向かう。井上書店もまだ開いてないので、銀閣寺道近くの長浜ラーメンでお昼ご飯。(900円)
近くの竹岡書店はもう開いている。
また自転車で今度は白川通を南下して、久しぶりにホホホ座。
白川通から少し東に入ったところに北側に古本と雑貨の店、南側に新刊と雑貨の店がある。
新刊のお店のすぐ横に🚗一台分止めれる駐車スペースもあって便利だ。
入り口手前には左京区のミニコミ誌などがずらりと並んでいて、地域のコミュニティとして機能していることがわかる。
店は20坪くらいありそうな、四角い形で、右手の壁には表紙が見えるようにたくさんの絵本が並んでいて素晴らしい。
出たばかりの星野萌の『ねこのおしごと』(1980円)を購入。
また店内ではプロレスの回顧展のようなことが行われていて、その同好の人たちが楽しそうに会話しているが、俺はプロレスには全く関心がない。
さてまた自転車で白川通を今度は北上して、12時過ぎに善行堂。民家を改装した感じの、奥に長い店内にところ狭しと本が並んでいて壮観だ。
入ってすぐ左手の背の低い本棚の上に、加能作次郎の出たばかりの短編集が積んであって、なかなか素晴らしい作品なのでさっそく購入。(1800円くらい)
また自転車で、車もあまり通らない今出川通を滑走。ここは雪が積もったらゲレンデに出来る。
井上書店が開いているので、寄ってみた。
相変わらず素晴らしい本が並んでいて、講談社学術文庫の『第二次大戦に勝者なし』全2巻揃、(ただし赤い線引き多数あり)が2000円だった。この本は以前はきれいな状態で4000円くらいしていたが、このところはだいぶ安くなっている。
さらに下って、開いている吉岡を覗く。ここは隣り合った2つの建物が古本屋なのだが、向かって右手のお店は一階にたくさんの岩波文庫、趣味本、古地図などがあって、2階は理系の本だ。
岩波文庫を見ていると『耳嚢』全3巻揃が1500円、『大君の都』全3巻がもう少し高い値段で並んでいる。これは少し前まではすごく安かったが、品切れになって品薄のようだ。
また自転車で今出川通の一本北側の道を進んで、出町柳駅近くのステーションで返却。(1160円)
2時すぎなのだが、ものすごく暑い中、白い日傘を差したおばさんの大群が駅から高野川方面、下鴨方向にゾロゾロ歩いて行く。
俺は横目に殺して加茂川も渡って、枡形商店街に入る。この東西150メートルくらいの商店街に古本屋が3軒、映画館、こった新刊書店、たこ焼き屋、阿闍梨もち販売店なんかがあるのだ。
手前の和菓子屋、ふたばは今日もかなりの行列だ。
まず古本屋、上海ラヂオを覗く。
いつもながらいろんな単行本が店先の段ボールに無造作に放りこんであって、安い。だいぶ前に出た『特攻 空母バンカーヒルと二人のカミカゼ』や中公バックスの『日本の名著、頼山陽』『内村鑑三』なんかも300円だ。
さらに進んでぼあい書房。店先には200円均一で、河出文庫のデュラスのシリーズなんかもあった。
店内はたくさんの図録、美術書でいっぱい、素晴らしい。木村伊兵衛の全集も並んでいる。文庫本も床にみかん箱に入って、角川文庫の山田風太郎シリーズがいっばい置いてあるほか、本棚には珍しい岩波文庫や河出文庫が並んでいる。
引き返して古本屋エルカミノ。その横の映画館も覗く。
ここは一階の中央が長いバーカウンターのようになっていて、食事や飲み物をたのしむことができて、3時ごろなんだが、お客さんでいっぱいだ。
さらに向かって右手の壁面は全面本棚になっていて、いろんなジャンルの新刊がびっしり並んでいて素晴らしい。
入ったすぐ右手に向かい、数段階段を登って、一番手前の本棚は、京大本コーナー。吉田寮の本(ただ、写真集は置いていなかった)、小学館の例のマンガ『ヨシダ檸檬ドロップス』、最近出た1968年の大学闘争の本なんかもある。
というわけで、京都の古本屋は小さいお店がたくさんある状態で、涼しくて、広く明るい店内でゆっくり自分のペースで本を見たいお客さんにとっては、めんどくさいだろう。
全国的にはブックオフが古本屋の代表として君臨しているイメージが俺にはある。
実は京都も例外ではなく、普通の本の品揃えは明らかに数店舗のブックオフが優れている。
しかし、京都の古本屋は、ブックオフに対抗して、規模を拡大して、いろんな本を置いて、見やすい、過ごしやすい店づくりをしようというふうには全く考えていないようなのが、興味深い。