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古本屋日誌
1週間くらい前からスマホが不具合で、xがちゃんと見れない。
写真や画像の部分が表示されないし、数日前の投稿が表示されない。
それでもまあ、いいかなと放置していると、水曜日の夕方からはネットに繋がらない。
ずっとではなく、アンテナが0本の異常事態が10秒くらい続いて、突然3本に戻って接続出来るようになるが、またしばらくすると元に戻ってしまう。
それでも、まだ繋がるんだからと一縷の望みをつないでいたが、仕事の本を登録しようとするとその時に限って接続が切れる。
同じ作業を何度も強いられるので、さすがに嫌になった。
今のiPhoneは3年くらいつこてるのだが、一年くらい前に突然カードのタッチ決済が使えなくなって、SIMカード交換とか初期化してもダメ。
結局スマホ本体を交換してもらったが、それもすぐ故障してしまい、もう一回替えてもらった。補償で提供されるスマホは新品ではないそうなんだが、それにしても不良品を客に提供するんだからなあ。
そのスマホも一年で不具合とは残念としか言いようがない。
docomoの寝屋川店を5時に予約して、相談してみた。
店員さんの話では「とりあえずSIMカードの不具合かもしれないので、取り替えて改善するかみまひょう。
あかなんだら、機械の方の不具合ゆうことですわ。うちは機械の修繕はやってない店なんで、あれやったら、大東のほうにある店か心斎橋のAppleの方にいてもらわんなんことになりますね。」
早速SIMカードを交換してもらったが、症状に変わりはなく、仕事に差し障りがでたり、イライラさせられたりするのは困るので、結局機種変することにした。
ブックオフのことがネットニュースに上がっている。
何でも架空の買取をして不正経理が複数の店舗であったとのことだ。
そのため全国の店舗で棚卸しをするので、休みになる店が発生するのだという。上場企業だから決算はきちんとしないといけないんだろう。
俺は、あれだけいい本を揃えることができているのだから、店員ならバックヤードで自由に欲しい本を抜き取り客なんかに見せる前に買い取って、自ら販売したらいいのにと思うけどね。
客から商品を買い取ってないのに、買い取ったことにすると、モノがないのだから、早晩バレるだろう。
そんなことよりブックオフで不思議なのは、客から買取した本の置き場をどうしているのかな、ということだ。
店の本棚はスペースが限られているし、棚の下にあるストックスペースは大した収納できないだろう。
お客さんは、多い人なら3000冊とか5000冊とかを一気に売ろうとするから、時期によっては収納場所がすぐに満杯になってしまう。
普通の古本屋は倉庫をレンタルしていてそこに本を平積みしている。(平積みするとたくさん収納出来るけど、どこに何があるのかわからなくなって、大変なことになる場合もある)
ブックオフは日本一の古本屋だから集まる本の量も莫大だろうから、倉庫はどうしているのだろうか。
エリックバーガーの『残酷すぎる成功法則』(監訳が橘玲だ)は話題になった愉快な本だが、その中に「戦争のメタファー」の話がある。
「人間の脳には進化の過程で戦争のメタファーが組み込まれていて、他者との不一致を戦争という観点で理解し、行動する回路が備わっているから」
「ものごとがまずい方向へいくと、往々にして私たちの最初の反応は戦うことだ」という。
つまり紛争を戦争で解決するというのは進化的に正しい方策だということだ。
この分析通り、われわれは20世紀前半までその流れでやってきたわけだが、21世紀になりさすがに、発想の進化を遂げて、自分のこれまでの歩みを客観視できるようになった。
いつまでも戦争で紛争を解決するようではダメだと思うように変わってきたのだ。
核戦争にしてから、例の核抑止論はそれなりに意味のある考えで、戦後80年にわたって起こっていない。
また通常兵器の戦争にしても、スティーブンピンカーの言う通り、劇的に減少した。
それにもかかわらず、ロシアの連中がウクライナを侵略して人殺しをやめないのは奇異な現象だと思う。
欧米諸国がウクライナに武器弾薬を大量に援助しているのを憂慮してる人もいるけれど、ロシアの勝利などあってはならないと思う。
領土拡張の野望を侵略戦争で成し遂げようなどというバカげた国家とそれを肯定するロシア人などとんでもない話だ。
わが国の近所にこんないかれた連中がいて、しかも侵略戦争に勝利してしまうなど想像したらゾッとする。
沖縄戦終結の6月にあわせて、NHKが「戦い、そして死んで行く」と題した特番を放送した。
これは米軍の報道担当が30時間にわたって、作戦の現場の実況を録音したものをもとに作られていた。
読谷村への上陸時にはなんの抵抗も受けなかったこと、伊江島を攻めるために本島北部の半島を攻撃したが、ジャングルの中で帝国陸軍の待ち伏せ攻撃を受けて出血を強いられたこと、
那覇を攻撃するために、あの有名なシュガーローフの丘を攻めたが、迫撃砲やマシンガンを備えた強力な陸軍部隊に阻まれ、1週間で2600名を超える死傷者を出したこと、米兵は、次第に住民までも敵兵なのではないかと考えて殺害するようになったことなどが克明に伝えられている。
これはこれで興味深いが、帝国陸海軍の方には同様の取材をしないのが不思議だ。
沖縄戦では集団自決やひめゆり、そういうネタ一辺倒というのが解せない。
那覇攻防戦では陸軍の装備は米側を上回っていて、練度も高く、敵に大損害を与えている。
それなのに、(思い上がったアメ公を、この俺が皆殺しにしてやったけどな)という話は禁止されている。
これは歴史を捻じ曲げる行為だと思うな。
事実、集英社新書の『沖縄スパイ戦史』には多数の米兵を狙撃して殺害して嬉しかったとの体験談も載っている。
戦争なんだから当然のことだ。
この番組作成の偏向は、結局のところ歴史を全て今の価値観から判断しようとする子供じみた発想とアメリカ様への配慮からきているのだろう。
今日の沖縄戦終結の全戦没者追悼式でも、二度とこんな戦争はしないだとか、平和を希求するとか言ってるけど、死んだ兵隊や大衆はそもそもアメ公を皆殺しにして戦争に勝つことを願っていたわけだ。
その思いを踏み躙って良いものだろうか❓
平和などを声高に唱えることはそもそも慰霊にはならないと思う。
アメリカに12500を超える死者を強制して、英雄的に戦ったことを、讃える価値観も持たないといけない、と思っている。
確かに、沖縄戦は現在のわれわれの価値観からすれば訳のわからない行為だし、絶対に容認できないことだ。
しかし1945年当時、紛争はすべて戦争で解決するのが常道であったわけだから、今の価値観からあれこれゆうことは出来ない。
わが国は欧米列強のマネをしようとたくらんで、朝鮮を殖民地にし、さらにシナ全土を支配しようと試みた。
別に不思議なことでもないし、当時としては当たり前の行動だ。
その結果アメリカとの戦争に至ったのだが、これもよくあることで別に大騒ぎするほどのことではない。
そして戦争には勝ち負けが必ずあるということだ。負けることもあるわけだ。
大日本帝国は当時の国際的な価値観に基づいて国策を展開して、戦争に訴えた。
大衆はそこに身を投じて戦ったわけで、英雄的でもあり、仕方がないことでもあるわけで、本来尊敬されるべきなのだ。
そこを曖昧にして無闇に平和が大事だという連中は不快だ。
今日は、久しぶりに御堂筋線で新大阪に出向いて地下一階のイベントスペースで開催中の小規模な古本市を覗いてみた。
これで3日がかりで、開催中の3つの古本市全てを見たことになる。
さてここは、当然外国人客もたくさんいるので、木版画(役者絵、風景画)や鳥瞰図、図録、昔の広告デザイン、マンガ論、写真集、洋書などがたくさん出ていた。
また雑貨小物や絵本なんかも割合多かった。
それにしても、谷町の古本市ではいつも不思議に思うのだが、左翼文献が大量に並んでいる。
全共闘のやつ(日大や東大、全共闘白書)に加えて高橋和巳と赤軍の共著、新泉社から80年代に出た新左翼運動の歴史、理論史のたぐいなんかだ。
さらに中核派の元メンバーの回顧録や戦旗、蜂起派の内部文献なんかまで並んでいた。毎回出品されているわけだから買う人がいるわけだろう。
かつて自分が関わった運動へのノスタルジーみたいなものから手を伸ばすのかもしれない。
それ以外に、左翼運動の研究者もいるのかもしれないが、それならもっと系統的に集めようとしたり、ビラやチラシの類に興味を示すだろうから、やはり谷町に来るお客さんはノスタルジーに染まっている人なのだろう。