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古本屋日誌
山下清の画集『東海道五十三次』というのがある。
昭和40年代初めに、毎日新聞社から出たもので、箱入りの大判だ。
昔の東海道の、気に入った風景を写生したもので、絵には山下清自らのキャプションが添えてある。
モータリゼーションで、どこもかしこも車だらけで、てくてく歩いていた山下には不快だったようだ。
藁葺き屋根の家屋が、車の巻き上げる土煙のせいで埃だらけになってしまっているのに同情する言葉を書いている。
それはさておきキャプションで、食事は見ず知らずの家家に乞食して調達していたことが書いてあるのだ。
横浜のくだりには、横浜は洋館が多いので食べ物をくれるように頼みにくいとある。
頼みにくいというのは、もちろん、頼んでも断られてしまうということではなく、どこが家の入り口なのか、山下にはすぐには判別できず困ったということなのだ。
昭和40年代まではそういう見ず知らずの浮浪者風の人に施す習慣があったんだろうかね。
あるいは山下清の知名度が高く、「あーあの裸の大将やね。ほんまにそっくりやね‼️」てな感じで特別扱いされていたということなんだろうか。
店舗を構える古本屋で、客がたくさん来ているのにはどういう特徴があるのか。
ブックオフは日本一の古本屋だが、大きい、なんでも売っている(古文書、紙もの、古地図、古い本はない。しかし大半の人はそういうものに興味も関心もない)、繁華街にある、安い、もっと安売りしていた歴史がある、など人気があるのも頷ける。
大阪では天牛書店は、本店は二階建てで大きく、10万からの本を並べていて、しかも安い。
そういう突き抜けた本屋は当面考えないことにする。
普通に考えてみれば大学が集まっている所や出版社、マスコミがある所、金持ちが住んでいる所なんかが古本屋としては経営しやすいと考えられる。
例えば京都はまともな大学がかたまっていて、学生も多いから本の量も質も高い。しかし古本屋は専門店化されていて、各々顧客が決まっている。
しかしそういう場所は地代も高いし、すでに何軒も古本屋があって、お客さんも京都みたいに、取引する店を前々から決めていることが多い。
だから後発で新たに古本屋を開いても、なかなかいい本を集めづらい。
勢い、場末や、田舎、古本屋が他にないところなんかで店を構えざるを得なくなるわけだ。
そうなると、店主の営業力が問われてくるだろう。どんなサービスを客に提供するかだ。まず安いこと、店の前には50均や100均を並べるだけでなく、店内の本も均一本を多くする。時代小説やエロ、漫画、レディースもそれなりに置く必要がある。
さらに、例えばちょっとした本、文庫本にまで透明なカバーをつけて清潔感をアピールする手間も必要になろう。
ゆっくり座って本を吟味できるように店内にソファーやテーブルを用意する。
そして気さくに客に話しかけて、探している本を聞き出したり、話し相手になってあげるなどの営業努力が必要だろう。
もう閉店してしまった上本町の一色文庫の店主が「あのな、寝屋川の金箔書房でな、若い女が入ってきてあれこれいじくってるだけで、買う気配もないねん。えらい経ってから、また男が入ってきて『あんた、遅いやん、待ったで。ここ読みたい本もあれへんし』ゆうてなんも買わんと出ていこうとするところに、金箔さんは『ありがとうございました‼️』ゆうたて聞いたで‼️俺はそんなん、そんなもんでけへんわ」と色をなして捲し立てていたことがあったな。
彼は繊細な人で、バカな客の一つ一つの言動を気にしすぎるところがあった。
俺が思うにはいくら温厚な金箔さんでも、内心はむかついていただろうし、低い声で「ありがとう」を言うのは嫌味だと思うけどね。
先週の木曜日、仕事の後、甲子園に出向いて、ファイターズ戦を見た。
友人に頼んで7200円するグリーンシートを取ってもらい、3人で観戦した。
木曜日、しかも北海道がフランチャイズのファイターズとの試合で、甲子園はチケットソールドアウト、去年のリーグ優勝と日本一さまさまだな。
タイガースの先発は西で、このところいいピッチングが続いていて、期待はもてるが、ファイターズの方も先発は山﨑で、こいつは去年までバファローズにいて、タイガースも苦しめられていたのは記憶にある。
試合前の予想としては、両先発が踏ん張って、我慢のしあいみたいになって、耐えられなくなった方が負けるかなというものだった。
しかし、試合はお粗末なもので、先発の西が4回に連打をくい、4点を奪われてしまう。
新庄はどういう意図かわからないが、ピッチャーの山﨑を6番に起用していたのだが、そいつが先制のタイムリーヒットを放つというバカバカしさ。
これは別に新庄に先見の明があったということではない。
西がミスをしてやけに高めの球を投げてしまったのがヒットを打たれた原因だと思う。
ヒットを打たれる前に投げていたストレートには山﨑は振り遅れて、全然ダメだったからなあ。
対して、タイガースは振りが鈍く、森下が三塁線を破るツーベースを放ったのが見せ場くらいで、結局0ー6となって、8回で、球場から出て、近くにある福本豊が経営する『GROVE』というバーで飲んだ。
勝海舟は幕末の英傑だとして、ドラマにも取り上げられるし、『海舟座談』とか『氷川清話』は文庫にもなってよく売れている。
例の江戸城無血開城だが、『氷川清話』の中で、戦火を交えることになれば江戸に多大な惨禍が及ぶことを危惧して、慎重に戦争を避けようとしていたことがわかる。
勝は単独で江戸まで談判に足を運んだ西郷隆盛が終始礼儀正しく、談判中も膝に手を置いて姿勢を崩さず、自らが勝者であることをおくびにも出さず、自分を立ててくれたと称賛している。
幕閣の要職にある勝からしたら、西郷なぞ取るに足らない身分の輩に過ぎないだろう。
そういう連中が反抗して、江戸城を明け渡せだの、将軍を切腹させろなど要求しているわけなんだから、とんでもない話だろう。
インドのセポイの乱は宗主国のイギリスがカースト制度の差別を軍隊では認めず、下のカーストの人達とも一緒に戦闘行為をさせようとしたところから起こった。
身分の低い連中などの一緒に作業するなど、絶対に嫌だ‼️というのが上位カーストの人々の思いだったのだ。
ところが勝海舟の寛容ぶりはなんなんだろう。
国際政治学者の高坂正堯が新潮選書から去年出した『歴史としての二十世紀』が評判だ。
高坂は1996年に死んでいて、この本はその6年前の1990年に行われた講演を活字に起こしたものだ。
この中で高坂は大東亜戦争について、ルーズヴェルトがドイツや日本に無条件降伏をあくまで求めたので、戦争が長引いたこと、
イギリスはバルカン半島に進行してドイツと戦うことを主張したが、アメリカはそれに応じず、そのため東欧諸国がソ連の支配下に入る羽目になってしまったことなどを挙げて、
アメリカには戦後の見取り図がなかったことを指摘している。
これは歴史から支配者が教訓をえるということであって、これに懲りたアメリカは後、ベトナム戦争に極めて積極的に乗り出していくわけだ。
また高坂は近代の戦争での歩兵戦についても興味深いことを論じている。
敵兵とぶつかるフロントでは重砲は役に立たないので、当初は歩兵はきちんと隊列をくみ、臆して逃げることのできない形で突撃していた。
(隣の戦友から逃げない意味で、あの北朝鮮が繰り返している、整然と隊列を組んで大きく足を上げて行進するやつは意味があるのだと高坂は指摘している)
しかしやがてそれでは損害が大きいこともあって、いくつかのグループに分けて兵隊を散らばらせて攻撃するように戦術の変化があったという。