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古本屋日誌
このところ暑いので、2階の寝室のクーラーをつけ、さらに扇風機も回して寝ている。
クーラーは2年前にこうたばかりで、14畳用のものを6畳で回しているからすぐに冷えてくる。
頃合いを見て切るのだが、そうすると夜中の3時くらいに暑さで目が覚めてしまう。
今日は神戸に出向いていろんな古本屋を見て回った。
来月の下鴨の古本まつりには花森書林、口笛文庫、サンコウの3つの古本屋が神戸から参加するという。
とんでもなく暑い中、京都くんだりまで、重たい本を運搬して、本棚を組んで本を並べて1週間近くにわたって販売して、売れ残りは、ある程度は処分するはものの、またトラックに積んで持ち帰らなければならない、という過酷な労働だ。
話を聞いていると、会期中京都に泊まるわけでは無く、毎日高速を使って神戸まで戻り、また次の日の朝下鴨にやってくるというのだから大変なことだ。
往復のガソリン代や高速代がバカにならない上に、そもそも自分の労働時間が長すぎる感じがする。
神戸から下鴨までは高速で90分くらいのようだが、到着したら新しく本を出し、10時から店を開けて(2日目以降はもっと早く開けてる店もある)5時まで販売する。その後、片付けをしてから、また車で神戸に戻る(やはり1時間半かかる)
これですでに11時間労働になってしまう。
俺が得た情報では参加する古本屋にはある程度の什器が貸与されるが、それでは十分展示できないから、不足する分は自前で整えなければならないとのことだ。
例えば本を並べる机は3つしか貸与してもらえないそうで、それ以外に必要となれば自分で買うか、レンタルする必要があるそうだ。
そういう準備にかかる時間までバカにならないし入費はかなりのものだろう。
だから、下鴨古本まつりの参加店はどんどん減少している。
2010年は38店あったが、今年、2024年は22店しかない。京都の古本屋も減っているし、大阪からも同様だ。岡山の古本屋は一軒も出店しなくなった。
うちの猫は2014年の生まれで、万代の萱島店のゴミ捨て場に打ち捨てられていたのを、嫁が気の毒に思ってひらってきた。今年10になるのだ。(人間でいうと60は超えている)
しかし去年くらいからオス、メスともノミがついてしまい、去年などは毛からこぼれ落ちたノミが家の中を徘徊して、われわれを襲うようにもなった。
滴下する駆除薬をこうて、早速やってみたり、ノミ取り櫛で駆除したり、果ては「ノミ取りホイホイ」というのも設置したりした。
しかし結局根絶することはかなわず、冬になり気温が低下するまで猖獗を極めた。
今年も、相変わらずかなり発生していて、朝晩にノミ取り櫛で駆除しても、確かに数は減るはものの、全滅させられない。
これは卵は小さくて櫛では掬い取れないことに加えて、成虫も全ては、捕まえられないからだ。
このように、人間の方はなんとか絶滅させようと頑張っている一方、ねこさまの方はあまり気にもされておられない。
ただ、櫛を用意して、水を張った茶碗を持って行くと(ここに捕獲したノミを入れるのだ)ねこさま方は近づいてこられて、ゴロンと長くねそべられます。
「さあ、さっさと獲れよ‼️」との仰せだ。そして、ご奉仕中に、櫛が長い毛に引っかかって、ぬけたりすると、「にゃーん、にゃーん‼️」と金切り声をおあげになった上に、こちらを睨みつけられまする。
それでも、顎のところに櫛を持ってゆくと、首を上に持ち上げられて、顎の下に十分櫛の刃が届くようになさいます。
われわれは日々、ねこさま方にお支えする心持ちで頑張っております。
中公新書から南川文里の『アファーマティブアクション』が出た。
これはアメリカで1960年ごろから行われている、黒人差別をなくす政策のひとつで、大学入試や企業の採用時に黒人やヒスパニックに特別枠を保証するものだ。
例えばある大学の定員が100人とすると、そのうちの16人は黒人とするとなどと定めるのだ。
そうすると白人からは「自分の方が点数は上なのに落とされた、これは憲法違反ではないか」との訴訟も数多く起こされることになった。そのあたりの経緯が詳しく書いてある。
作者によれば近年は一部のエリート大学を除くと、この施策を実施するまでも無く、入学者の割合は黒人に不利なものではなくなっているとのことだ。
それにしてもこの本にはがっかりだ。
アファーマティブアクションに関する研究では、すでに1990年にでた『黒い憂鬱』でせっかくそれなりの人数を黒人に割り振ってポストを与えたにもかかわらず、成果が上がらないことが語られている。
つまり、大学や研究機関に黒人の学生や研究者は増えたのに、彼らは無能で、白人の同じ立場の人に比べて思うように貢献できていないというのだ。
確かにスポーツの分野では黒人選手の能力は他を圧していて、例えばマラソンで、日本人選手がケニアやエチオピアの選手を抜いて金メダルを獲得するとは、俺には思えない。
だから人種によって優れた分野、秀でた領域があることは間違いない。
このへんは、ある程度理解されているのに、こと頭脳の話になると、そう簡単に行かなくなるのは問題だと思う。
体力や筋力で人種間の優劣があるわけだから、頭脳の上でそれが見られても、別段不思議なことではない。これは科学的な真理の問題として取り扱われなければならない。
ところが、南川のこの本では、この肝心の点が全く触れられていないのは大いに不満だ。
南川は『黒い憂鬱』にも触れているが、この本で論じられている人種間の問題は取り扱わない。彼は同志社大学の先生なんだそうだが、この大学はこんなもんなんだろうか。がっかりさせられた。
ちくま新書から吉弘憲介の『検証 大阪維新の会』がでた。
猖獗を極める維新旋風についての実証的な研究書だ。
維新の会は大阪地区では圧倒的な強さを誇っていて、府議会でも市議会でも第一党だ。
しかし東京やその他の地区では大した勢力を持っていない。
ここから大阪の大衆はかなり変わった好みなのではないかとの推測が出てくる。
全国の普通の大衆とは選好が異なっている、大阪風の趣味、性格があるのではないかということだ。
これについて、吉弘は様々な資料を駆使して、大阪の連中もその政治的な好みは全国の人々と変わらないことを明らかにした。
ただ、生活困窮者や弱者へ傾斜的に予算を分配すべきだという考えに否定的な選好が、大阪の大衆に有意に多いこと、全体に幅広く予算を配分すること(これは例えば高校の授業料の無償化、所得制限の撤廃なんかを指しているのだ)への肯定的評価が有意に高いことが明らかになっているいう。
なるほど、生活困窮者に手厚く予算を回すことでは無く、全体に金を出すことを主張しているわけで、要するに弱者に冷たいのが大阪の大衆だということだ。
確かに大阪の生活保護受給世帯は、全国的に見て多い。これに関して「多すぎる」とか「税金で助ける必要はない」という考えもあるわけだ。
しかし厚生年金にせよ、国民年金にせよ3割以上は税金が投入されている。それを見ないふりをして、もしくは知りもしないで話を進めるのは間違いだ。
また予算の分配は、そもそも経済的な再分配機能を果たすことがその大きな目的であるのは、経済学の常識だ。
それにもかかわらず、困窮者に予算を振り向けることを主義主張として否定するのは無知蒙昧であり、認められることではないだろう。
寝屋川市駅近くの古本屋、金箔書房は店主の話では「9月末で店を閉める」とのことだ。この店は俺も以前はよく買取に来てもらっていた。
今は違うがこのお店の入り口は自動ドアになっていた。普通の古本屋で自動ドアは珍しい。
「ここで36年やってるし、その前15年勤めとったしな、もう十分や」
勤めていたというのは、もちろん古本屋にということだから、通算半世紀以上古本の世界に身をおいていたことになる。
金箔書房の店主は週一でブログを書いていて、ときどき俺も読んでいる。
というのも店を構えてたらいろんな、おかしなお客さんが来て困ることもあろうかと思うからだ。
でも、マスターは温厚な人のようで、ややこしい客に困り果てたという話は書いてない。
ただ、面白い客の話はあった。
ある時、レジに数冊の本を中年の男性客が差し出して「これ2200円になるけど、2000円に負からへんか❓」という。
そんなもんなるわけないんだけど、「そんなこと新刊の本屋さんでもゆうてはるんですか❓」と尋ねて、計算してみたら1900円なのだ。
「100円お釣りですわ」と返そうとすると「いや、これは受け取れん」「いや、そういうわけには…」と結局受け取らせたのだが、落語の『強情』みたいな話だ。
「新刊の本屋さんでもゆうてはるんですか❓」という返しはすごいね。俺なら直ちに出禁にするけどね。