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古本屋日誌
今日は糺の森で大規模な古本市、さっそく朝から行こうとしたが、京阪電車が事故のため7時過ぎから不通。
ただ萱島駅に特急が停車していて、これに9時くらいに乗り込むことができた。
結局電車は9時すぎには発車したので、10時5分くらいに会場に着いた。初日で、たくさんのお客さんがきていて素晴らしい。
糺の森には数年前に日本で初めてラグビーの試合が行われたことを記念して、球技全般の上達を願う社が新設され、初めてここでラグビーボールを蹴ったとかの石碑も建立された。
今回行ってみたら、社の横に新たに「授与所」なる建物が建てられている他、社の奥には石を敷き詰めた池が作られて、「有料」スペースなので立ち入りはできない旨の表示がされていた。
以前は大型観光バスの駐車スペースだった糺の森は、たくましい京都人の観光業にかかる意気込みを感じさせる場所になってるね。
今日は朝から薄曇りで、珍しく強烈な日差しはなく、またある程度風も吹いていて納涼と言えないこともない。
北の端に三密堂書店があって、専門は仏教書や占いの本だが、1冊150円でいつものようにたくさん文庫を出していた。
其中堂も仏教書が専門だがわりとたくさん文庫を出していた、これは相場の値段だった。
ぼあい書房はたくさんの面白い文庫本を並べていて目を引いた。
小亀屋は亀岡の古本屋だそうだが、普段は一乗寺にある『アリバイブックス』で本を売っているとのことで、やはり面白い文庫本を並べていた。
赤尾照文堂は古典籍や版画を扱う店で、錦絵が入った豪華な団扇や講談社文芸文庫をたくさん並べていた。広重の江戸百景の団扇など見ているだけで楽しく、目の保養になる。
京都スターブックスは映画のポスターをたくさん並べていた。
小町書店はいつものようにたくさんの文庫や雑誌、単行本を5冊800円で売っていた。中には珍しい本もある。
梁山泊が参加している、前にもらったリーフレットには記載がなかったから急遽決まったのだろう。
花森書林は今回神戸から参加していて、様々なジャンルの本を並べていて、値段が表紙カバーに貼ってあるのでわかりやすい。
汎書店はマンガやいろんな文庫をたくさん並べていて、店主と息子さんでレジをしていた。
今は夏休み中なのでこの本屋に限らず小さい子どもがレジで本を包んだり、お釣りを渡したりしていて微笑ましい。
石川古本店もたくさん均一本を持ってきている。ただいつもあった文庫本の、背の高い本棚は今回はなし。
竹岡書店も3冊500円で大量の単行本を出しているのはいつも通り。それにしてもこれだけたくさんの、重たい単行本を並べる苦労は並大抵のものではないだろう。
(承前)
1999年の12月、日能研関西(中学受験の進学塾)の講習打合会後の出来事を振り返っている。
算数課のマネージャー(課長にあたる)の1人だった酒井が「それは東さんの方から言ってもらわないと」と電話でゆうたのは「灘クラスの担当者の宴会に出なくていい旨を、東さんの方から自分に指示してもらわないと困る」ということなのだ。
だから電話を引き継いだ東も「そうか、それならわかった」とごく冷静に対応したわけだ。
社内の立場の違いがあるから、宴会とゆうはものの、実際には会議であり、灘中学を受験する生徒の情報交換の場である以上、欠席は上司の許可を得ないといけないという判断は妥当だろう。
ただ2人は友人であり、5月と8月の連休は俺も加わるのだが、毎回沖縄に旅行に行っている仲なのだ。
つまり特別親しい関係であるから、社内の上下関係を杓子定規に守る水臭さを嫌う考えもある。
だから課長である酒井が、部長の東に例えば「俺は出ないから、適当にゆうといてよ」と言ったらそれで済むことも確かなのだ。
でも酒井はそれをしなかった。
これは彼のきちんとした性格ゆえもあるのだろうが、俺はある程度東への揶揄の気持ちが含まれていると思うのだ。
(承前)
去るものは日々に疎しということなんだが、所詮は一般論で、時間が経っても思い出したくないことや、考えたくないこといくらもある。
日能研関西(中学受験の進学塾だ)での、1回目の過労死事件は、その際たるものだった。
しかしさすがに四半世紀近い年月をけみしてみると、ようやく一つの歴史として考えてみたい気分になった。
1999年の12月の、灘中クラスの合同授業、冬期講習打合会、そして灘クラス担当者の宴会のことだ。
俺も、初めの頃は打合会の後で開かれる宴会に出ることがあった。
中之島や新神戸のホテルで開催されることもあったのだが、宴会と言っても、別に気の合う人と飲んでいるわけでもないし、かなりの部分は、次の会議の日程調整や、クラスの雰囲気についての担当者同士の意見交換に費やされる。
要するにかなり仕事の要素が入っているということなのだ。
俺はそもそもマイペースな人間だから、これが気に食わないので、すぐに出なくなったのだ。
算数課のマネージャーだった酒井の発言に関して、俺はこの当たり前のことをすっかり忘れていた。
灘中を受ける子どもの現状とか、親からの要望とか、今後の方針とかあれこれが酒を酌み交わしながら、ああでもない、こうでもないと論じる場なんだろうと思うのだ。
だから酒井が電話で俺に「東さんの方から言ってもらわないと」といった言葉は、「東さんの方から自分に、この宴会は会議みたいなものだが、あなたは出なくていいと指示を出してもらわない」という意味だったのだ。
東は部長待遇だったから、酒井の上司なので、いくら大学時代からの友人とはいえ、社内ではデュープロセスが優先されるという考えなのだろう。
これは筋が通っている。
では本当にそれだけの意味だったのかというと、俺はそうとも言えないと今は考えている。
1999年の12月に日能研関西(神戸に本部がある中学受験の進学塾だ)では冬期講習に向けた打合会が開かれた。
俺はこの塾で国語を教える非常勤講師であり、打ち合わせも終わり、同じ非常勤講師で算数を教えていた古田、正社員で算数を担当していて、部長の地位にある東と集まって飲みに行く相談をしていた。
東と私は大学時代からの友人であり、初めに日能研に入った彼の推輓で1995年から国語の教師になった経緯がある。
その翌年1996年に、やはり大学時代の友人である酒井も日能研に社員として入り、1999年時点で算数課のマネージャーの1人(課長待遇)になっていた。
いつも酒井を入れて3人で飲んでいたものだから、彼にも電話を入れてみたのだが『いま家に帰って洗濯している」というのだ。
なんでもこの日は、冬期打ち合わせの前に、灘中学を受ける予定の生徒を一箇所に集めて、合同授業を酒井もやり、忙しくて洗濯も出来ていなかったので家に戻ってやっているというのだ。
「それやったら待っとくよって、東と古田もおるし、こっち(摂津本山)にきてや」と言うと
「いや、このあと担当者で集まって宴会もあるし」
「そんなもん、行かいでええやん。そないな宴会なんかおもろないし、こっちで飲んだ方がええやん」と言うと
「そしたら東先生の方からゆうてもらわないと」と酒井は言ったのだ。
俺はその時この発言にショックを受けた。
京都大学農学部自治会や闘争委員会(A自、A闘)のメンバーであり、また熊野寮自治会の書記長までしていた彼がそんなことを言うのかというショックだ。
つまり俺は「宴会に出ないことを上司の東先生の方から会社に言ってもらいたい」と発言したと解釈したのだ。
それで横にいた東に「SKは東先生からゆうてくれゆうてるでー」と携帯を渡したら「ふん、そうなんか、それやったらな、仕方ないな」と話している。
俺は、あの酒井ともあろう男が、こんな情けないことをゆうてるで、お前もどない思う、ショックなんちゃうか❓という思いだったんだが、東はまったくそんな感じはなく、何事もなかったかのように電話で話しているのだ。
8月1日から今日までさんちかホールで古本市。
3日目の昼過ぎに行ってみた。
さんちかホールはJR、阪神、阪急のターミナルに位置していて、梅田や難波の中心部といえる場所だ。
そこで定期的に古本市が開催できるわけだから、大したものだ。
神戸では花隈近くの古書会館でも定期的に古本市が催されている。ただ古書会館のは、店舗がなくて、通販でやっているお店の方が多いように思う。
それに対してさんちかホールの古本市は店舗も構えて商売している店が多い。
店の方に来てくれるお客さんもたくさんいて、十分潤っているわけだが、それでもこの暑い最中、労をいとわず、さんちかホールに本を運び込みお客さんを喜ばせようとするのはすごいね。
でも俺の邪推だけど、少しは古本屋の見栄っ張りなところもそこにはあるのかなと思っている。
古本屋はつまりはゴミ屋だから、お客さんの手放した不用品を扱う商売だ。
ゴミ屋に徹してみなさんに喜んでいただくのが本懐なんだが、それでも少しは日の当たるところに出てみたい欲求もあるのでは無いのか、と思うのだ。
三ノ宮は梅田や心斎橋筋に相当する中心地だ、「そこで手広く商売できるようになったとは、俺も少しは認められたワイ」という感じではないのだろうか。誠に結構なことだと思う。