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古本屋日誌
ちくま新書から歯黒猛夫の『大阪がすごい』が出た。
大阪の魅力をいろんな人に紹介する本で、それなりに学ぶべき点もあった。
大阪府の面積は以前は日本で一番狭かったが、今は香川が最下位になっているが、これは関空が出来たためではないとか、環状線の天王寺駅が阿部野橋の下にある理由とか、船場センタービルが西に向かって低くなる地形に従って建ててあるとか、なかなか興味深い。
また、なかなかよく調べていると思うのは新快速の話だ。
大阪京都間(距離は42.8キロ)を新快速なら29分、時速は89キロ、最高時速は130キロなんだが、JR東日本の東京八王子は、距離が47.4キロで、中央線の中央特快だと時速57キロ、時間は最速で55分かかるとある。
なるほど首都圏は真っ直ぐに線路が引けないからなのか、高速運転には限界があるのだな。
以上、良いところがある本なんだが、不満もある。
俺が大阪の魅力だと感じるのはくだらない阿倍野の再開発地区(単に伝統的な街並みを破壊しただけ)だとか、うめきた地区(どこにでもある繁華街)なんかではない。
街中から郊外電車で手軽に京都、奈良、神戸、和歌山に行けることだ。
東京地区にはない文化財に短時間で接することができるし、岩湧山、生駒や六甲の雄大な自然にもすぐに行くことができる。
琵琶湖で泳ぐのだって短時間で行けるし、有馬温泉もちかい。
野球だって甲子園は、東京のどこの球場であれ、比べることがバカらしくなるくらい素晴らしいものだ。このあたりを強調してもらいたかったよ。
大阪駅前第一ビルの一階にはかつて浪速書林(今もここはあるが通販だけ)とか高尾書店とか植村書店といった古本屋が並んでいたが、時代の流れでなくなってしまった。
植村書店は漫画もおかないし、文庫本も気に入らないとのことで置いていないへんこな店だった。
そういうごりがんなところが、これまた古本好きの学生の心を捉えて、よく相談に来ているのを目にした。
就活なんか面倒だ、好きな本人囲まれて生活していきたいから、古本屋をやりたいというのだが、
「本屋だけはやめときや」「しーたいんやったら、定年になってからやったらええやん」と言われていた。
寝屋川市駅近くに店を構える金箔書房は来月いっぱいで店を閉じるという。
ここの店主は元は上六の天地書房で働いていたと聞いた。
上六の天地書房は今は閉店してしまったが、もとは上町筋に面して、隣がお肉屋さんの細長い店舗とハイハイタウンの一階と二つあった。
そのうちの細長い店の方を任されていて、特徴ある字で、値段を書き込んでいた。
彼は天地書房で10年以上勤めていて、満を持して独立して、成功したのだが、天地書房に勤めていて独立した人は他にもいたけど、今はどうなっているのだろうか。
梅田の東通を抜けたところでも、もと天地書房の番頭みたいな人が独立してやっていたが、今はもう店はない。
集英社から橘玲の『DD論』が出た。
この本によれば、今日、世界が直面するほとんどの課題はどっちもどっちとしかいえない面がある。
かつてのように「正義はこっち‼️」などとおいそれとは言えないという。
ロシアのウクライナ侵略戦争にしても、イスラエルとハマスの戦争もそうだ。
ハマスは、パレスチナ住民を犠牲にしても、イスラエル人抹殺を目標としていて、その戦いを「聖戦」と位置付けている。
もし今後ハマスが、核兵器やら高度なIT兵器を入手したならば、間違いなくイスラエルに向けて使用するだろうから、現在の軍事作戦もやりすぎ感はあるはものの、理解できないとまでは言えないのだ。
なるほど、もっともな話だよな。
それはさておき、この本で改めて学んだのは男女のパートナー選択の戦略の違いだ。
欧米で流行っている出会い系アプリは、近くに住んでいる対象者を画面に表示できるようになっていて、興味をそそられた相手には「いいね」をすることで返事を待てるそうだ。
そこで明らかになったのは、男はとにかくどんどん「いいね」をしていくのだが、女の方は自分に送られた「いいね」を徹底的に吟味してようやく、お眼鏡にかなった男にだけ返すのだということだ。
これはもちろん男は、精子をいくらでも作れるが、女は卵子の数は限られているし、妊娠、出産は長期に渡って、肉体、精神両面に大きな負担となるという男女の遺伝的な違いによるものだ。
今のリベラルな社会では、自分らしく生きることが最優先となっていて、そこに便利な出会い系アプリが現れたわけだから、女が男をはじめの段階で吟味する傾向はますます拍車がかかるのだ。
昨日はは朝方1時間ほど強い雨が降って、いっときは気温が下がった。
しかしまもなく晴れてきてまた、暑くなった。
ジンネマンの『真昼の決闘』をBSで、久しぶりに見た。
1952年のハリウッド映画だが、民主主義の問題点が浮き彫りにされた傑作との呼び声も高い。
ゲーリークーパー演じる保安官ケインがならず者のミラーとその仲間の4人と戦う話だ。
ケインは街の大衆に助力を求めるが悉く拒絶される。(但し、14の少年とヨボヨボの爺さんは求めに応じたが、これはケインの方で引き取ってもらった)
その理由が興味深い。
「自分を新しい保安官にして欲しい、できないなら協力できない」
「指が潰れていて力になれない」
「この街で銃撃戦が起きたと、北部に知れたら、怖がって投資が来なくなる」
「ミラーがいた時は、このホテルも儲かっていた、保安官に怨みを抱く人間はたくさんいる」
「前にミラーを捕まえた時は助手が手だれの助手が6人いたのに、今は誰もいない」
「保安官と助手にこれまでたくさん金を払ってきた、それなのにいざとなると、われわれの助力を願うようでは、今までの出費はなんだったんだ」
「ケインはもう保安官ではないから(結婚を期に保安官は辞任している)これは街全体の問題ではなく、彼等の私闘でしかない」
「ミラーとやり合ったらこっちが殺される」
「紀元前5世紀のアテネでは追放された僭主が帰って来て復讐を始めたら市民は誰も止めなかった、そういうものだ」
この中で注目すべきは金で保安官を雇ったのだから、保安官はならず者をたおす義務がある、という意見だ。
これは大なり小なりわれわれの全てが抱えている問題だよな。
日常でもトラックの運転手とか、福祉の仕事をしている労働者、その他割の合わない仕事を割り振られている人たちはたくさんいるし、逆に遊んで金を儲けたり、博打ばっかりして(株式投資は博打に他ならない)遊んでいるバカもたくさんいる。
それはさておくとしても、どうしても避けられない緊急事態が起こってしまった際はどうなるのか。
2011年の福島第一原発のメルトダウンの時、全電源が喪失してしまい、なんとか原子炉の冷却を進めようと電源車を手配しようとした。
しかし原発周辺の道路は、避難しようとする大衆で溢れて、渋滞して緊急車両の通行もままならない事態に陥ってしまった。
結局原子炉が続けざまにメルトダウンしてしまったわけだよ。
こういう時に大衆の権利を制限できないならば、国家は滅亡の危機に瀕するだろう。
中公新書から藪本勝治の『吾妻鏡』が出た。シンプルなタイトルだが、われわれが幼い頃抱いていた源平合戦のイメージを大きく変える最新研究を踏まえた啓蒙書だ。
『吾妻鏡』そのものは1300年ごろに成立した鎌倉幕府の正史であり、執権である北条氏の立場を擁護するスタンスで書かれているというのはよくいわれてきた。
その上で、例えば、一の谷合戦は、後白河法皇が和平のとりもちをしている最中に、源氏方が平家を騙し討ちにしたものだとか、例の鵯越の逆落としは義経ではなく、多田行綱のやったことだとか、なかなか興味深い話が書いてある。
著者の薮本は灘中、高の教師だとある。神戸大の院を出ている。
学者ではないものの、最新の研究に目を通してわかりやすく伝えようとする姿勢は大したものだ。
それにしても灘とか西大和(ここは社会科に浮世博史がいて、興味深い日本史の概説書を何冊も出している)といった進学校の授業はどうなってるんだろう。
こういった、普通の教師のレベルをはるかに超える知的な連中に教わるのは、それなりに好奇心を満足させてもらえるだろうけど、大学入試とは全く関係ないよなあ。
生徒の間から「いくらなんでも、あの授業は問題です、入試とも関係ないどころか、そもそも教科書とも全然関係ないことをずっとやってるわけだから」てな不満が出て、授業ボイコットとかならないんだろうか。
俺は、1980年ごろ大阪府立天王寺高校に通っていたが、北野をはじめ大阪のトップ校もやはりテキストとは全く関係のない授業が続いていた覚えがある。
とくに国語、社会はその傾向が強かった。
古文、漢文はずっと教師の手作りの『論語』プリントをやっていたし、倫社は岩波文庫の『方法序説』や『ノヴムオルガヌム』角川文庫の『ソクラテスの弁明』をテキストにしていた。
英語もシェークスピアを教材にするのだが、その英語は16世紀のもので、今の英語とは単語がかなり違っていて、それを読ませるのだ。
天王寺高校では、一部の生徒は授業をボイコットして出席せず、公然と教師を批判する行動に打って出ていたが、俺はなかなか面白い学校だと思っていた。