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古本屋日誌
京都は学生の街なので、昔からたくさん古本屋があった。
今も、それは変わらないのだが、店の規模は物足りない。
どこもせいぜい10坪程度しかない。さらに問題なのが専門店化されていて、ある特定の分野の本しか置いていない。
もちろんブックオフは巨大で三条や河原町、国際会議場の店なんかは圧倒的だ。
それは結構なことなんだが、ブックオフは扱っている本の種類が限られてしまう。古い本がないし、紙もの(古い雑誌や付録、チラシ、パンフレット)なんかは全くない。
赤尾照文堂は、元は文学書を中心に幅広いジャンルの本を河原町通で販売していたが、今は移転して、扱うものは浮世絵や和本が中心だ。俺はこの分野にはまったく興味はない。客層は金のある趣味人と外国人だろう。
キクオは歴史書や古文書を中心にしていて、これは俺が学生だった40年前から変わっていない。確かに興味深いが、客層としては大学の文系の先生や金持ちの趣味人そして外人の大学教員だろう。
寺町通には何軒か古本屋があるのだが、仏教書が専門で、それ以外の本はほとんどない。客層はもちろん坊主だよなあ。
京大の門前にある吉岡は大学の教科書を中心にしていて、客は京大生や教授なんだろう。
やはり俺としてはいろんなジャンルが揃っていて、それなりの規模がある古本屋が所望だ。
まず文学書、洋の東西を問わず並べて欲しい。帯も大事にしてほしいし、できることならカバーの上から保護紙もつけて並べて欲しい。
次に美術書、写真集、図録。洋書と洋書絵本も欲しい。
特に洋書絵本は絵が面白いし、いろんな工夫がされていて楽しいのだ。
漫画、建築書、建築の本は昔の銀座の姿なんかがわかって、見ていて飽きない。
芸能本、絵本、文庫本。郷土の本、そして紙もの(古地図、チラシや引き札、古い雑誌)こういうのが大集合して、一箇所で見られたら実に楽しい。
現状、京都の古本屋にはそういうのはない。
大阪や神戸の古本屋にはそういういいタイプの店が何軒かあるのにもかかわらずだ。学生がたくさんいて、いい本が集めやすいという極めて有利なコンディション下にある京都が、一番ダメというのは不思議だ。
これは売る時も不便だ。
本を売りに来た客に、「文学書ならアスタルテさんに持って行ってください。浮世絵は赤尾さん、図録は二条城の近くの古本屋さんがいいです。
仏教の本は寺町通の古本屋、占いの本は三密堂さんがよろしで、レコードは市役所よこの古本屋さん」とか言われても客は当惑するだけだ。
そんなもん、客が持ち込んでくるモノは全部自分の店でこうてしもたらええと思うんやけどね。
値付けは、確かに自分の専門以外のは出来ないんだけど、別にそれで構わないのではないか。
お客さんは処分したいわけだし、古本屋としても相場なんか気にしないで、「この辺は全部100円」とか「300円で」とかやっとけばいい。
そうして仕入れた本を店に並べて、(ほな、100円でこうたやつは、適当に全部300円。300円のは1000円にしまほか)でいいわけだ。買いにくるお客さんは「みんな安いなあ」と喜んでくれるだろう。
しかし、京都の古本屋は「よそさんの扱こうていやはる本は、こうてしもたらあけしまへん。よそはよそ、うっとこはこの占いの本で代々食べてきましたんやで。その分、守らなあけしめんで」てな感じでやっているのではなかろうか。
なんかよくわからない縄張り意識が強くて、どうなのかなと思う。
先日大丸の京都店で町田尚子の原画展「隙あらばねこ」が開催された。
6階のギャラリーでの展示なのだが、規模が大変なもので、これでもか、これでもかとたくさんの面白い絵があった。
童話の販売も行われていて、嫁は『ねこはるすばん』をこうていた。
これはにんげんが家を留守にした時に、留守番のねこはどうしているかを描いたものだ。
どうしたことか、とらねこは家を抜け出して、喫茶店に行ってのどを潤すわ、本屋に出向いて、たまらん本の角を顔にすりつけるわ、散髪屋ではねこの理容師に舐めてもらって、おしゃれするわ、とやりたい放題なのだ。
さらに映画館で面白い映画を鑑賞して、釣り堀に出向いて、マグロを釣り上げようとして、果たせないとなると、すぐに気を取り直して鮨屋に行って、トロを握ってもらう。
更にバッティングセンターで汗をかいたら、風呂屋で汗をながすのだ。
仕上げに公園でぼんやりしてから家に戻り、にんげんが帰ってくると、キラキラした瞳でお帰りなさいをするのだ。
そうだったのか、ぜんぜん知らなかったよ。
中公文庫で『武田百合子 対談集』が出た。
深沢七郎とのロングラン対談や「富士日記』についてのインタビューなどが収録されている。
面白かったのは、百合子が夫の泰淳を乗せて富士山麓の別荘に向かっていた時のエピソードだ。
なんでも普段はクルマがほとんど通らない道なので、自衛隊の車列が右側にはみ出て通行していた。
百合子は激昂して、窓から首を突き出して「このバカッ、バカ野郎‼️」と言ったのだが、泰淳はそれを聞いて「大の大人に向かってバカというやつがあるか」と叱ったというのだ。
どう考えても百合子の言い分が正しいよね。
それにしても自衛隊員らに富士山中で「バカ野郎‼️」と咄嗟に言えるとは、やはり百合子は野蛮な魅力をもつ女だよな。
吉田満は東京帝大の法学部を出て、予備学生となり、戦艦大和に電探担当で特攻の際も乗り組んでいた。
九死に一生をえて、例の『戦艦大和ノ最期』を著した。講談社文芸文庫に収録されていてロングセラーだ。
この作品ははじめは一晩で一気呵成にノートに書き上げられたのだが、GHQに発売禁止とされてしまった。
文庫所収のものは、のちに「決定稿」としてかなり増補されたものだ。
では元のノート稿はというと1981年に江藤淳が文藝春秋からだした『落ち葉の掃き寄せ』に載っているのだ。
今回その本を手に入れたので早速読んでみた。
気になっていたのは例の日本刀による手首切り事件のことだ。
文庫本には、大和が撃沈された後、駆逐艦初霜が救助艇を出して、洋上に漂う乗組員を収容したのだが、すでにボートは満員なのに、なおもたくさんの将兵が助かろうと舷側に縋りつき、転覆する危険があったので、乗員が刀を抜いて縋る手首を切り落としたとある。
この話はノート稿ではどうなっているかというと、話そのものがない。
むしろ駆逐艦は、洋上に漂う兵隊が見えなくなるまで捜索を続けていたとあるのだ。
この他にも、吉田満が沈没する大和の大渦の中で苦闘している際に、ノートではただ音楽が聞こえたとあるのが、決定稿ではバッハをきいたことになっていたり、出撃前の論戦が増補されていたりしている。
やはり決定稿はかなりフィクションも混ぜた文学作品なんだろう。
有名な、夜食が汁粉のところ(出撃して、昼前になって吉田のところに伝令の兵隊が来て「夜食は汁粉ですよ‼️」と大喜びで伝えたいというエピソード)もかなり増補されている。
ノートでは伝令が「嬉々として」情報を伝えてきたとあるだけだが、決定稿にはこの伝令が少年兵であり、糸切歯をのぞかせて、手柄顔だったとある。
また汁粉は、夜食として圧倒的に人気があるメニューであるとか、少年兵はそれに心奪われて、近くに苦悶の表情を浮かべている老兵がいるのに眼中にないともある。
要するに決定稿はかなり文学的脚色が加えてあって、それはそれとして価値のあるものだが、ドキュメンタリーとして読むことはむつかしいということだ。
葦津珍彦は大日本帝国の戦争に関して、学ぶべき論考を残した思想家だ。
もともと地元福岡の葦書房から『永遠の維新者』を出して、その後選集が出て、これは今も入手できる。
大日本帝国は満州にせよシナ本土にせよ、侵略して植民地化するにあたっては、帝国主義的な野望をあからさまにしなかった。
「五族共栄」だとか、「アジア主義」だとか、いちおう侵略される側の立場を考慮した物言いをしている。
満洲国は実質植民地なんだが、建前としては独立国で、日本とは同盟関係にあるとされていた。
大東亜戦争に際してもフィリピンや蘭領インドに対しては、欧米の卑劣極まりない苛斂誅求を糾弾して、自らを解放者だと位置付けた。
大日本帝国と西欧列強のスタンスの違いという点でこれは押さえておかなければならないところだろう。
もちろん、わが国は彼らの真似をして、シナなどを植民地化しようと目論んでいたことは間違いない。
しかし、そのことはいいも悪いもなく、その時代では選択の余地などはなく、文字通りの1択であったことも間違いない。つまり当たり前のことをしたということだ。