Welcome
古本屋日誌
昨日は阪急で西宮北口に行ってみた。
ここには南西に、ブックオフがあり、少し北の門戸厄神には古本市場があり、駅に隣接するアクタという商業施設には「二階洞」という古本屋がある。
春の移動期が終わり、古本屋には様々ないい本が集まっている。
西宮は金持ちがたくさん住んでいる場所でもあるし、関西学院大学や神戸女学院というちゃんとした大学もある。
だから、とりわけ目を引くような本があるのではないかと思ったわけだ。
西宮北口は、以前駅前にパチンコ屋が出来ようとした時、反対運動が起こって中止に追い込まれたことがあった。そこは今はコンビニになっている。
同じ西宮でも今津にはパチンコ屋があって、要するに自分の住んでいるところにはそういうギャンブルは持ち込ませたくない、でも別の場所なら楽しみたいというわけだ。
実に戦後のわが国の価値観を体現したみたいな街だよなあ。
そんなことはさておき、3つの古本屋の力量も見極めたいと思うのだ。
ブックオフが質、量ともに他を凌駕して独占しているのか、いや古本市場もそれなりにいい本を集めているのか、また古くからある二階洞も意外も、かなりいい線行っているかもしれない。
駅前で電動自転車をかって、早速古本市場から順に巡ってみた。(初めに二階洞に出向いたのだが、午後2時なのに、開けていなかったので、後回しにした)
さて古本市場はイオンのすぐ北側にあって、立地もいいのだが、普通の古本屋だったな。
本の量はかなりあるのだが、質的には俺の住んでいる門真にある古本市場と全然変わらない。
ただ集英社文庫の『Dr.スランプ 第4巻』があった。
これには、なぜだがよくわからないがいまだに重版されない、ジャンプコミックスの第7巻の大半が収録されているのだ。(あと2話は文庫の第3巻に収められている。)
次にブックオフに出向いた。
ここは量も大したものだが、質的にも非常に高いものを感じたな。
市井の古本屋が束になっても叶わない感じだな。
本だけでなくゲーム、家電、レコード、カード、楽器、ブランド品なんかも扱っていて、客にしてみたら「こうてくれはるやも知れんから、持っていてみよかな」と思うんだろう。
アクタにある二階洞にも4時くらいにいってみたら、今度は開いていて、たくさんの文庫本、いくらかな詩歌の本、マンガなんかが所狭しと置いてあるが、質的には普通の感じだった。
円安で外国人客が増加して、観光業者のみならず、様々な業種で売り上げが増えて結構なことだ。
先日友人の古本屋から、店に中国人の客が来た話を聞いた。
向こうの大学の先生で、武道関係の本や雑誌が欲しいということなのだが、日本語はペラペラで、こっちがスマホの翻訳アプリを使う必要はなかった。
その50がらみの先生はスマホを三台持っていて、一つは連絡用、もう一つは在庫を調べる用、最後の一つは値段をチェックする用なんだそうだ。
「ようさんこうてもうて、こんなことたんねますんは、失礼かと存じまっけど、別にシナでかて、この手の本はなんぼでも買える思いまんねやが…」
「いやね、それね、うちの国では日本のある手の本は買えないんです。まだ日本を敵視する考えがあるんです」
とのことだったそうだ。
いずれにせよ、現在の中国は繁栄を極めており、大学の研究室で使える費用は日本円で1000万にもなるとのことだから、素晴らしいことだな。
不思議なことに、「Dr.スランプ」には下品な大阪弁がかなり出てくる。
第7巻だけでも、次のようになっている。
「やかまし やかまし やかましわー」(センベエ)
「じゃかあしいっ」(センベエ)
「かっこええで そこでみとれ」(鳥山明)
「なにが よろしおまんねん」(山吹先生風の店員)
「そういうこっちゃから」(センベエ)
「ほんまもんや ほんまもんのアホや」(コピーくん)
「えらいこっちゃ」(センベエ)(山吹先生)
「でけたっ‼️」(センベエ)
「なにしとるんじゃ」(アラレ)
「いってこましたれ‼️」(エイリアン)
「おまえのなんかほしないわ」(センベエ)
「ハヨセンカーイ」(タロウの父親)
「ソレ ナンヤネン」(タロウ)
「おんどれら またんかいーっ」(センベイ風のシンデレラ)
「キザなやっちゃな なにしとんねん 」「あほな」(ウルトラマン)
「ハラにアナあいとるんとちゃうけ」(犬)
「あたりまえやんけ なにかんがえとんねん」(犬)
「またんかい」(ヤーさん風の犬)
「どこに目ェつけてあるいとんねん!」(ヤーさん風の犬)
「ええどきょうしとるやんけ いまごろびびってもおそいで なかしたろかいっ‼️」(ヤーさん風の犬)
鳥山明は名古屋の出身だから、不思議だな。単行本に挟み込んである、幼い頃のエピソードでも、自分のセリフに大阪弁を使っていることがある。また「こます」という補助動詞の使い方など、今ではあまり使わない用法にも長けていて、驚かされる。
両親が大阪の出なのか、それとも下品な言葉遣いの時は大阪弁にするという、例の役割語みたいな感じなのだろうか。
先日亡くなった鳥山明の『Dr.スランプ』(ジャンプコミックス)は第7巻をのぞいて重版されて書店に並んでいる。
なぜ7巻だけ除外されているのか、わからない。というのもその巻は読んだことがないからだ。
幸い嫁がAmazonで全巻セット(レンタル落ちなので、天と地にスタンプがあるし、焼けもきつい)を購入したので、ようやく読むことができた。
このシリーズで、初版の絵が改変されたのは、ウルトラマンやウルトラセブンを登場させたシーンがある。著作権絡みで違う絵に変わっている。
また黒人やその子どもが出てくるシーンも、黒猫や宇宙人に変わっている。
これはなぜなのかわからない。
言葉狩り、つまり言論弾圧の結果のようだ。論理的思考が出来ないバカのせいで、絵を改変させられた鳥山はさぞかし無念だったろう。
さて、7巻なんだが、黒人やその子どもが出てくる話はないし、ウルトラマンは出てくるがこれは絵を改変する処理でクリアできるはずだ。
バキュームカーでババを汲み取る話やセンベイが赤ん坊になって、山吹先生のスカートを覗いたり、お風呂に入ったりする話もあるが、取り立てて問題があるようには思えないな。
少し気になったのは最終話で、宮本武蔵風の孤高の剣士の話なんだが、この主人公は、肩まであろうかという長髪で、これにウルトラマンが「とこやにいけ」とか「なにしとんねん」「あほな」と大阪弁でつっこむシーンがかなりあるのだ。
ウルトラマンに大阪弁をしゃべらせるのはダメだという横槍が入ったのだろうか❓
昨日で、大阪と京都の大規模な古本市が終わった。
京都のみやこメッセのものは、骨董市みたいな感じがした。
一点もの、文学書、掛け軸、浮世絵、錦絵、版画、明治物、映画ポスター、鉄道の同人誌などがたくさん即売されているからだ。
この会場の利用料金もかなり高そうだし、普通の本は通販で売る方が利益が出るため、古本市にはあまり持ち込まないのだろうと思っている。
天王寺さんの古本市は、庶民的で、時代小説や、ごく普通の文庫本、少し古めの、古書価は全然ついていない本がたくさん販売されている。
でもこういう普通の本は、本来は地域の古本屋で売られるべきものだと思う。
一冊100円とか50円なんだから。
わざわざ倉庫から出して、クリーニングして、高いガソリン代がかかるトラックを用意して、天王寺さんに運び込み、さらに業者に頼んでテントを設営してもらい、本を並べて販売して、終了後はまたトラックを使い撤収するという大変な手間をかける意味はない。
でも地域地域の古本屋はどんどん潰れていっている。
本以上に面白い娯楽はたくさんある上に、本で得られる情報はネットでも、SNSでも、より安価で手に入るからだ。
また地価や賃料の上昇で、店舗を構える古本屋の営業が成り立ちにくくなっているのも理由の一つだ。
それで古本屋がタッグを組んで、おそらく使用料が安かろう、天王寺さんや天神さんで古本市を開くことになる。
でもそれに必要な労働は、もっぱら古本屋の主人一人の肩やその家族によってになわれており、時給に換算したら500円くらいだろう。
これは大阪府の最低時給の半額にもみたない、異常なものだ。
しかし自営業者あるあるで、やってる本人は無自覚なのだ。
大阪の古本市は、古本屋の「利益は一応出てる」とか「そのうちボナンザを見つけられる」とか「昔からやっている催しだから」とか「仕事は額に汗してやるもんだ」という幻想や職業倫理に支えられている。
お客さんの方は「俺の好きな時代小説を100円で読みたいし、読めるものだ」と思っているようだが、それは大間違いだ。
本当はそんな値段であるわけがない。
21世紀の今日、どう考えてもありえない仕事が、たくさんある。
紙の新聞の作成、その配達(ネットで新聞は見れるし、拡大もできて便利だ。それに早朝、夕方の配達など人的資源の無駄づかいだろう)。
ATMの現銀引き出しとそのために並んでる人(現銀決済など紙資源や鉱物資源の無駄だし、ATMに並ぶなど人生の無駄遣いだ)。
そして何より、大半のトラックドライバーの仕事。
わが国経済の根幹を支えている、基幹労働者であるにもかかわらず、労働条件が悪すぎる。18時間くらいハンドルを握っていることもあるのだ。