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古本屋日誌
新田均が、PHPからだいぶ前に『現人神 国家神道という幻想』を出した。
大東亜戦争中のファナチックな天皇🟰現人神論や神国思想は、せいぜい満州事変以降のもので、明治からずっとそれはなかったと主張している。
神社の参拝にしても、強制はしていなかったし、例の内村鑑三がパージされた事件についても、政府は干渉していないという。
新田によれば、ああいう神がかった思想は変革期や危機状況の中で繰り返し現れる典型的なもので、現にアメリカも戦争中は黄禍論やファナチックなキリスト教原理主義で国民の戦意を煽っていたというのだ。
なるほど説得力のある論考だな。
帝国主義の時代は難局を切り開く手段として戦争一択であったし、植民地を獲得して経済圏を形成することこそが繁栄のみなものと考えられていた。
しかし、大正デモクラシーの洗礼もあって、大衆にはデモクラシーが根付いており、己の命を差し出すことに、強い抵抗があった。
それで各国とも復古的、宗教的、神話的なイデオロギーを大衆に植え付けようとシャカリキになっていたわけだ。
天皇機関説への攻撃ももちろんその一環だ。
かつて久野収が、戦前の天皇のあり方を顕教と密教と表現していた。
大衆には天神降臨の神話的な世界観を教育したが、帝大に進む支配層には天皇機関説に基づく立憲君主制の天皇観を開示して、ダブルスタンダードだったということだ。
しかし新田のこの論考によれば、それは正しくないことになる。
大衆に対しても天皇機関説に基づいて教えていて、それが転換したのが満州事変の時だったということなのだ。
こういった論考を読むと、ファナチックな、神話的な現人神の世界観もごく当たり前の話だと納得させられる。
戦争の時代に直面すると、われわれ人類は皆等しく、こういう思想に行き着くということなのだ。
翻って、今日では戦争で事態を打開しようという考えは、頭のいかれたバカとその国民だけのもので、前世紀の遺物となっている。
過去の価値観を正しく学ぶことは大切であるし、今日の価値観で歴史をみようとするくらいバカげた話もない。
タイガースはスワローズを破り、首位となっている。
去年の優勝、日本一で目標を達成して、今年はだれてしまうかと思っていたが、大したものだ。
ピッチャーにせよ、野手にせよ、悪いパフォーマンスが少し続いたら、2軍に落として再調整させ、逆に2軍から調子の上がっている選手を呼んでくる岡田のやり方がうまくいっている。
開幕投手の青柳や二桁勝った伊藤は今は2軍だし、優勝を決める試合でホームランを放った佐藤もそうだ。
代わって上がってきたビーズリーは5回無失点で初勝利をあげたし、井上も活躍している。これは以前のタイガースにはなかったことで、驚かされる。
昨日の試合はCSの放送を見たけど、解説がOBの上田二朗だった。
上田は1973年のジャイアンツとの最終戦に先発した。勝つか引き分けるかで優勝だったが、惨敗してしまった。
最後は木枯し紋次郎みたいなスタイルの外国人が打席に立っていて、面白かったけどね。
その上田の解説はよろしくない。
「今の選手は皆軽々と150キロのボールを投げますね。僕らの頃は130.140でしたからね。スペードガンの違いなんでしょうけど。昔のと今のスピードガンは違いますね」という。
そんなことはない。昔の投手はたいしたことなかっただけのことだ。
世の中には物持ちのいい人がいる。
先日も畑正憲の角川文庫『われら動物みな兄弟』の初版、帯を見た。この本は昭和47年の発売だから、半世紀以上けみしているわけだよ。
それにもかかわらず、カバーも焼けておらないし、何より帯(エッセイスト クラブ賞のもの)が、美しく地の黄色が鮮やかだ。
中身も東大理学部の夏合宿の鬼のようなしごきの話があって面白い。
内容も楽しいし、外見だって50年の歴史などまるっきりなかったかのように美しい。
でも古書価は出ない。安いんだよなあ。
大阪の西成公園で野宿している人たちがいて、それを支援しているグループに私の先輩がいる。
なんでも野宿の人が、猫をこうていたのだが、その人が病気で亡くなってしまい、猫が残された。
仕方なく、その公園で「かりかり」(このところ値段が高騰している)をやって世話しているのだというのだから、すごいよな。
俺が「そんなもん、動物を飼う責任もようもたんバカのことまで気にかけてやるんかいな」
というと
「それはぜんぜんわかってない。亡くなる前にあとは頼むと言われていたしな」
「でも、普通はもう自分は歳だから、動物はよう飼われへんと考えるもんやで。そんなこともでけへんのはダメなやつや」と言うと
「何ゆうてんねん‼️生きてる猫がいてるんやで‼️誰か世話したらなあかんやろ‼️」
そうまでおっしゃるのなら、もうなにももうしあげることはないです。
でも本当に大したもんやね。俺なんか、そういういい加減なやつの世話をするのは嫌だし、やるにしてもイライラすることは間違いない。
今日から谷町4丁目の古書会館で古本市。さっそく朝から行ってみた。
天気もよく、暑くもないという不思議なコンディションだった。いつもの年なら、すでに30℃近い気温になって、汗だくだろう。
文学書の矢野書房、洋書の寸心堂、SFのディック、均一本のシルヴァン書房、古地図などのアジア号のほか、真木、汎、古本横丁などがいつも通り参加していた。
驚いたのはシルヴァン書房の店主が朝から会場にいたことで、俺の記憶ではこれまでなかったことだ。80を超えてもお元気そうで「このへん、半額やで〜」と宣伝しておられた。
ありがたいことだ。
でも、8月の下鴨の古本市には参加しないそうで、さすがにあの暑さは身体に応えるのだろう。
こないだ亡くなった唐十郎の著作が、目立つところに置いてあったが、やはりこないだ死んでしまったキダタローの本はなかったな。
キダは保育社のカラーブックスから『コーヒーの店 大阪』を出していて、5000円くらいするのだが、キダが在命のころAmazonの出品数を見ると25となっていて、今日また確認したら23だったな。
普通は訃報が伝えられると、注目が集まり、どの通販サイトでも在庫がなくなっていくのだが、そうならない。
ちなみに日本な古本屋サイトの在庫は1冊だけ、ヤフオクも1冊しかない。
つまりAmazonが圧倒的にたくさんの本を独占して出品しているというわけだ。
それにしても20冊以上も在庫が積み上がっては、5000円では売れないだろう。
キダがこの本を書いたのはずいぶん前だから、現在では潰れてしまった喫茶店もたくさんある。
だからガイドブックとしては意味を持たない。
30年とか40年前の大阪の喫茶店事情に興味をもつ中高年しか購買層はいないだろう。