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古本屋日誌
先月末で北野天満宮近くにあった町屋の古本屋「はんのき」が閉店した。2009年のオープンなので15年くらいやっていたわけだから立派なものだ。
築100年以上けみしていそうな古民家を改装し、土間だけでなく、畳敷の部屋にも押し入れにも本棚を並べて壮観だった。
メインは文学書なんだが、マンガ、食の本、人文書なんかも置いてあった。
閉店の理由はわからないが、屋根の補修だとか、瓦のズレだとか、湯沸かし器の取り替えとか、そういうメンテナンス面の負担が大きくなってきたからではないかと勝手に推測している。
木造建築の耐用年数は長いが、当然ちょこちょこ手を入れていかなければならない。
補修していけば、まだまだ現役なんだが、屋根の補修にしても50万からの入費となるから、大変だと思う。
金曜日の晩遅くから体調がすぐれない。下痢と吐き気があって、寝付けない。
土曜は昼くらいまで布団の中にいて、ようやく少しましになり、仕事に出向いた。
金曜に低温殺菌牛乳の飲み残し(おこたの上に出しっぱなしにしていた)のを飲んだのが原因のようで、土曜も身体にだるさが残った。
3月となって、いよいよ古本屋の繁忙期となった。
しかしこれまではほぼ1月から3月と年末だけが忙しくて、あとはお呼びがかからなかったのだが、この1、2年は年中買取依頼がある。
これはもちろん亡くなる老人が増えたからでもあるし、定年を迎えて大学を退官する人が増えているのも原因だ。
また図書館も定期的に蔵書を処分している。
うちの近所には古本屋は5分くらいのところに古本市場、自転車で10分くらいのところにブックオフがあるだけで、街の古本屋はない。
商店街も、かなり前は萱島駅からすぐのところに市場があって賑わっていたようだが、われわれが宿替えしてきた2013年にはほとんど閉まってシャッター商店街になっていた。
代わりに万代やトップワールドなどのスーパーといくつかのコンビニがある。
これが21世紀の市井の姿だと思う。
天神橋筋商店街とか、千林みたいな、今も小さな小売店がそれなりに儲かっているのは過去の遺物が残っているようなもので、いずれは萱島のようになるのではないかな。
今は大都市部はそれなりに人がいて、消費者の好みも分かれているから、小さな店も経営が成り立つのだろうが、どんどん人は少なくなっていくから、いつまでもこれまでのようにはいかないだろうと思う。
古本屋もやがてブックオフと古本市場に集約される可能性が高いと思うのだ。
だって、客からすればなんでも引き取ってくれる古本屋がありがたいわけで、「雑誌は買い取れません」「エロ本は扱いません」「ゲームとかゲーム機はいりません」とか言って断ってくる街の古本屋は使いにくいだけだろう。
それに古本屋の経営者は、すぐに稀覯本とかお宝本とかを手に入れたくなる人たちが多いのだ。
そんなものは手に入らない。
また大多数のお客さんはそもそも骨董品を求めてはいない。
素晴らしい作品は、初版で読もうが、100円の文庫本で読もうが感動のレベルはなんら変わるわけもない。
京都、大阪、神戸の三大都市では、神戸が1番ブックオフへの集約が進んでいるように感じる。
京都はなんだかんだ言っても、大学の数が多い。学生は4年で卒業するから、その際に本も処分して全国に散らばって行くから、古本屋も近所にあった方が好都合なので、ブックオフに集約されにくいと思う。
大阪はどうなんだろうか、よくわからんな。
2000年1月に起きた、中学受験の進学塾の日能研関西の過労死事件のことだ。
今回は酒井の仕事について考える。神戸地裁に提出した訴状には次のようにある。
「…日々の授業及びそれに向けた準備だけでなく、算数チームとして、算数入試問題の分析、日能研関西が算数の授業で使用するプリント・テスト類の作成業務、新たな生徒獲得のための父母説明会のスピーカー等の業務を行っていた。」
まず酒井の授業スタイルだが、あまり説明することはせず、自分でやらせないといけないと言っていた。これはそれなりに出来る子には必要だろう。
算数で難しいのは空間図形だ。
円柱、円錐なんかを切断してその断面図の面積や、切ってできた図形の体積を求めさせる。
俺なんかどういう図形になるのか、想像もつかない。
酒井は四角い消しゴムを用意させて鉛筆で切断面を書き込ませるところから、話を始めるという。以前は消しゴムをハサミなどで切り取らせて、イメージをつかませる授業をしていたと言っていた。
そういう工夫をあれこれやっていたわけだ。
1999年の上本町校の6年の1番上のクラスは、前年5年の前期に俺が国語を担当していたのだが、きちんと話を聞けない子どももいた。
進学塾の授業なので、入試で要求されるレベルの問題の説明をして、自分で解決できるようにしないといけないのだが、きちんと机に座れずに騒ぐわけだ。
俺はイライラして、怒鳴りつけたりしていたが、酒井はそのあたりも如才なくこなしていた。
彼のように長時間勤務が続き、おまけに休みも取れないとなると、授業がどうしても疎かになってくると思うのだが、彼に限ってはそれもなかった。
その年に星光に入った生徒の中には、四半世紀をけみしたいまも、毎年静岡県掛川にある酒井の墓に詣でている子がいる。
新幹線の掛川駅からお墓まで、てくてく歩いて行く(1時間半くらいかかる)こともあるというからびっくりする。
遺族に連絡したら、車で駅まで迎えに来てもらうことになって負担になると気を遣っているのだ。
去年の12月に、息苦しさで目が覚めたことがあり、萱島の内田内科を受診した。
折から寒波が襲来中で、待合室は満員で10時くらいに受け付けてもらったが、診察室に通されたのはお昼近くになっていた。
触診、レントゲン、血圧、血中酸素濃度、脈拍数などを調べて、気管支喘息だと診断があり、毎日2種類の錠剤と湿布のような、気管支を広げる貼り薬を使っている。
「とりあえず1ヶ月分出します」とのことで、服用すると息苦しさは全くなくなり現代文明の恩恵を実感したな。
さて1月経過して1月末になり、薬も底を付いたが、特段しんどさもないのでそのままにしていたら、また朝方少し息苦しい。
慌てて内田内科に10時くらいに行ってみたが、今回は1人待合室にいるだけですぐ診てもらえた。
結局「もうしばらく薬を飲みなさい」とのことでまた1ヶ月分処方してもらった。
そして、今回2月末にまた薬が切れて、そのままにしておいたら、息苦しくて目が覚めた。体を起こして座る姿勢にすると楽になるのだが、横臥するとダメ。
仕方なく三たび内田内科を受診して、今回は再びレントゲンを撮り、前回と比べてみたのだが「特に変化はないな。後一カ月薬を使ってみて様子をみよう」となった。薬を飲むとピタリと症状は治るので不思議なくらいだ。