Welcome

古本屋日誌

2025-02-26 12:39:00

2000年の1月に起きた、中学受験の進学塾の日能研関西での過労死事件だ。算数課の課長だった酒井の事件だ。

 

今回は彼の大学時代の考え方をみてみたい。

 

静岡の掛川西高校の出身で、水泳部に所属していて、バタフライなんかもうまかった。

 

また理系の勉強もよくできて、掛川西は進学校ではなく、京都大学の合格者はそれまでほぼいなかったのに、合格したわけだ。

 

しかし、寡黙で勉学に励むタイプではなく、高校時代も校門前で学校の姿勢を批判するビラを撒いたりしていたと本人は言っていたから、ちょっと普通にはみられないような高校生だった。

 

 

大学に進学して熊野寮に入り、書記長になったり、農学部自治会、闘争委員会でも活動していた。

 

この書記長という地位はスターリンを見ても分かる通り実際は委員長みたいなものなのだ。

 

 

1982年の秋に、その当時教養部の自治会を握っていた共産党系の団体(教養部自治会、C自を名乗っていた)が、代議員大会を開催しようとしたことがあった。

 

 

ところが開催予定のA号館の教室に、対立する黒ヘルや緑ヘルのメンバーが押し寄せて、自治会の中心メンバーだった法学部の伊藤君を監禁してしまい、大会はお流れになったという出来事があった。

 

 

この件について、共産党系の団体は被害届を出したので、翌年早々に犯人として1人逮捕者が出た。

 

 

すると熊野寮や農学部自治会のメンバーが朝早くから、教養部正門を入ってすぐ左手にあった尚賢館の前で、角材などを手に、ヘルメットをかぶり抗議集会を催した。人数は10数人くらい。

 

 

その足で隊列を組み、A号館とグラウンドに挟まれた通路を駆け足で行進してきて、グラウンドの南西隅に並んでいたボックス群の中にある教養部自治会(共産党系の団体)の部屋の鍵を破壊して乱入して、中の資材をぶちまけたりして壊す事件が起きた。

 

この襲撃メンバーの中に酒井がいた。

 

 

彼は1979年の入学だから、この年は5回生なわけで、それでもこういった面白い面があったのだ。

 

つまり何か正しくないことが行なわれようとしていたら、我慢ならない、力づくでもやめさせたい、激昂するという一面だ。

 

翌年、酒井に連れられて北白川の彼の友人の下宿を訪れたこともあった。

 

その主は酒井の同じ学科の友人で、このほどめでたく卒業が決まり毎日新聞社に入社することになった、そのお祝いで訪ねたのだ。

 

 

なんでも所属はすでに鹿児島支局に決まっているそうで、なんにせよめでたいことは間違いない。

 

しかし、俺は初対面の相手なので、話すこともなく、とりあえず「あたまがこのところ禿げてきて弱っとりますのや。」と言いかけると「それはね、洗い方がよろしないねん。まずしっかり湯ぅかけて、皮膚をしっとりさすんや。………」から始まって懇切丁寧に洗い方をレクチャーしてくれた。

 

 

そういう世話焼きの一面がある人なのだ。

 

しかし話がやがて三里塚に及び、酒も入っていて「いや、もうあそこはどうでもいいわ。興味もない」と言い出したところ、酒井は激昂して胸ぐらを掴んで「お前に三里塚農民の何が分かるんや‼️」と怒鳴りつけたのには驚いた。

 

これも酒井の面白い一面なのだ。

 

この友人とはその後も付き合いはあって「あの〇〇な、鹿児島支局で、いきなり地元の取材を命じられて記事書いてるゆうてたわ」と酒井は俺に話した。そういう気遣いももちろんあるわけだ。

 

日能研関西に入社して、やがて課長に昇進して管理職となり、部下の仕事をチェックして指示を出す立場になった。

 

ところが、これはどの会社でもよくあることなんだが、仕事もできない部下、締切を守らない課員、言い訳する部下なんかがいて、酒井としてはイライラしていたことは間違いない。

 

(もちろん上に対しての怒りもあったことは間違いない、行事や説明会を設定しすぎる、仕事の負担を考えていないとかだろう)

 

 

しかし約束を守らないからといって、激昂して手を上げるわけにもいかないから、ずいぶんストレスが溜まったのではないか。

 

 

 


2025-02-25 15:15:00

昨日、久しぶりにブックオフ三条駅ビル店に寄ってみた。

 

ここは1階がマンガ、2階はDVD、雑誌、3階に単行本、文庫、新書、絵本などを並べている。

 

3階の売り場はエスカレーターを登ってすぐ右にワゴンが置いてあって、これは訳あり本で、コンディションが悪いがその分安くしてある。

 

その左側には絵本が並んでいて、その近くには最近出た単行本コーナーがあった。

 

 

また絵本コーナーの向こうにはNHKブックス、朝日選書、講談社メチエなどの、新書より大きい選書コーナーも設けてあった。

 

 

ところが昨日見てみたら、訳ありワゴンはそのままだったが、今まで選書が並んでいたところは、全て絵本に変更されていた。

 

 

また、最近出た本コーナーも特価本コーナーに変更されている。なんでも今までの売値の半額にしてあるという。

 

文庫本のコーナーはあんまり変わらないラインアップで、同じタイトルの本がたくさん並んでいる。

 

講談社学術文庫の『現代語訳、日本書紀』、岩波文庫の『ブッダのことば』や新島襄の本。中公文庫の『レイテ戦記』なんかはそれぞれ10冊くらいある。

 

また、売れずに長らく本棚にささっている本も、岩波文庫の『南総里見八犬伝』シリーズ、中公文庫の『フロイス日本史』シリーズ、河出文庫の『新歳時記』シリーズなど。

 

2月に入り、人の移動が頻繁になって、古本屋はどこも買取で忙しい。それにもかかわらず新しい本が仕入れられていないように見えるのはどうしてなんだろうか。


2025-02-23 11:36:00

2000年に起きた、中学受験の進学塾の日能研関西の過労死事件のことだ。

 

 

今回はやりがいについてだ。

 

亡くなった酒井は上本町校で、1番上のクラスを担当していて、灘中や星光、東大寺学園を狙うクラスだ。

 

 

どこの塾でもそうなのだが、その年の合格者数の目標が定められていて、2000年の入試では星光の目標は10人だった。

 

 

蓋を開けてみたら合格者は9人で、目標に僅かに届いていない。(最終的には繰り上げ合格が出て、目標の10名に達した)

 

 

酒井はこれをかなり気にしていた。「あと1人だったんだけどな」と残念がる言葉を覚えている。

 

 

それでも合格した子や僅かなところで涙を飲んだ子のことは気にかけていて、発表の後谷町筋と千日前通りが交わる南側にあった(今はコンビニになっている)「劉邦」という中華料理屋に子どもを集めてご馳走していた。(名前がいいよね、高祖なんだから)

 

 

彼はその当時の上本町校での授業には、自信を持っていて、授業が終わってから、教室内で開かれた、恒例の宴会(当時の上本町校では毎日のように深夜まで宴会が開催されていた)で次のようなことを言った。

 

 

「国語、今枝、理科、高宮、社会、阿部が担当しているのだから、力がつくよ。」それだけ自分の授業に自負を感じているということで、微笑ましい感じがする。

 

 

東もその当時「灘のクラスとかを担当している先生は、そのことをずっと考えているくらいやないと務まらないのかもしれない。」

 

「仕事によって自己実現を考えている人がいることは間違いない」ということを言っていた。確かにそういう面はあるだろう。

 

 

ただ、問題は本人がやりがいを感じて長時間労働も厭わない状態の時は、身体にかかっているストレスや疲労が一時的に感じられないようになってしまっているということだ。

 

 

脳から分泌されるドーパミンなどの作用で、疲労感が麻痺してしまって、逆に高揚感を感じるケースがあることはよく知られている通りだ。

 

 

また、会社組織なんだから、その中の誰が抜けてしまったとしても、別段会社は困ることなんかない。

 

たとえ酒井が灘クラスから抜けたとしても、直ちに別の人が担当するだけの話で、その人がいないと回らないなどということはない。

 

そういう事実と本人の気持ちは、相容れない部分もあるのだが、やはりすり合わせは必要だと思う。


2025-02-22 00:12:00

昨日から谷町四丁目の古書会館で古本市、少し寝坊して10時半くらいに着いた。

 

今回も文学書の「矢野書房」が参加しているほか、SFの「ディック」、和本の「横丁」、西洋文学の「寸心堂」に加えて「真木」「厚生」「アジア号」「杉本」「汎」「唯」などが参加していた。

 

丁度転勤、進学などで、宿替が多くなる時期で、興味深い本も出ていた。

 

 

弘文堂の『写真で見る 日本生活図引』全9巻は、箱はなくて、コンディションが悪いものの、今は失われてしまった街中の風景を切り取って、詳細なキャプションと解説をつけた須藤功の労作で、いつ見ても飽きない。

 

 

昭和21年の銀座の写真では妙齢の女の服装を「少し着物が着崩れているが、着物はけっして悪いものではない」とか

 

やはり東京の松坂屋前を行く買い出しの親子の姿を細かく説明した後「はたして無事に家にたどり着くことができたかどうか」と記すなど、面白い。

 

かなり前に出ていた雑誌『堺 泉州』も揃ではないものの、ある程度まとまって売っていた。

 

「アジア号」は古い写真やらパンフレットなんかを1枚500円で売っていた。

 

「横丁」は和本を一冊400円でいつも通り大量に販売していた。また筑摩書房が出した『日本まんが』全3巻、大量の『本の雑誌』実業之日本社の『アクション』なんかもあった。


2025-02-21 00:05:00

中学受験の進学塾の日能研関西で起こった過労死事件のことだ。

 

6つ目の注目点は日能研関西のゆるゆるのシステムのことだ。

 

酒井は1996年に入社したのだが、その際社長の小松原景久氏から「引越し代とか、家の敷金、礼金なんかは出すから」と申し出があった。

 

これはその当時、日能研ではこれはと見込んだ人には行われていたことなのだ。

 

酒井はその当時、京都進学教室の社員で、長浜校の教室長だったから、住まいは滋賀県だった。

 

日能研に入社することになり、基本的な勤務スタイルは、昼過ぎに三ノ宮の本部に出勤するので、阪急沿線で家を決めたいとなって、初めに武庫之荘駅でハイツかマンションを探したのだが、周旋屋に出向いても、条件が高すぎて折り合わなかった。

 

 

それで西宮北口の周旋屋を訪ねて、門戸厄神ねきのハイツに決まったのだ。

 

 

しばらくして総務から、「酒井さん、お金が出ましたから取りに来てください」と連絡があったので、酒井はいそいそと受け取りに出向いたら、引越し業者にかかった金しか出ておらず、「代表は敷金とかもだすゆうてましたけど」と言うと「あーそうでしたか〜ケラケラケラ」と大笑いされたと聞いた。

 

 

もちろん後で足りなかった分は支給されたが、当時の日能研はそういうふわふわしたところがあった。

 

 

また同じ頃、俺はすでに社員は辞めて、非常勤講師になっていたが、新年度2月分の給料が3月10日に振り込まれる約束になっていたが、10日にチェックしても振り込まれていない。

 

 

電話して聞いてみたら「講師の先生の新しい時間給がまだ決まってないんです、それで、振り込みが遅れているんです」との返事だった。

 

給与の振り込みが約束の日に行われないことは、他の会社でもあったのだが、それは倒産して支払えなくなったからで、きわめて異常な事態だ。

 

 

そういうことをやらかしてしまうゆるゆるなところが日能研関西にはその当時はあったのだ。

 

この締まりのなさが社員で、講師のストレスとなっていたのではないかと俺は思っている。