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古本屋日誌
2000年1月に起きた、中学受験の進学塾、日能研関西の過労死事件。
当時算数課の課長だった酒井の授業のことを考えている。
現在の日能研は生徒からアンケートを取っているのだが、この頃は行われていなかった。
その理由について噂として「生徒からの人気取りではなく、きちんとした学力をつけさせてほしいから」というのは聞いたことがある。
しかし酒井の場合50日以上も休みを取れていなかったわけで、俺が思うには高いレベルの授業や業務ができるとは到底思えないな。
酒井が亡くなって、勤務時間や、休日を調査したのだが、その当時の日能研関西はきちんとタイムカードで出退勤時間を管理しておらず、調べるのが大変だった。
本部に出勤すると判子をついて、勤務開始を示すだけで、何時間仕事をしたかが皆目わからないのだ。まあ完全なブラック企業だよな。
仮にも京都大学やら、大阪市立大学やら、同志社大学やらそれなりの学歴を持つ社員がいるのに、そういう非常識かつ、法令を遵守する気もない企業に愛想を尽かすとか、反抗する気概がなく、ズルズルと仕事を続けるというのは謎だな。
俺自身は予備校の仕事はずっと忙しかったのだが、1998年に大学時代の友人が新大阪に本屋をオープンさせる予定なので、一緒にやらないか❓と言われて、その気になったことがある。
酒井はその話を聞いて呆れたような顔をして「人間、そんな大儲けとか、社長になるとかじゃなく、コツコツやっていくのが正しいだろう」と呆れたように言う。
これには全く賛成できなかった。自分で金儲けした方が儲かるに決まっているからだ。
酒井は日能研関西に入る前は京都進学教室の社員で、近江八幡校、長浜校の教室長だった。
しかし、京進に入る前に、友人の東から「日能研に入らないか」と誘われていた。
酒井もその気になっていたのだが、東が「エスケー(酒井のあだ名)は日能研に入るに決まってる思てたわ」と言われて、腹をたてて、京進に入社したのだ。
東はこの発言を忘れているのだが、酒井本人は悔しかったのか、いつまでも覚えていて、俺にも話してきた。
だから、京進を人間関係のごちゃごちゃで辞めることになって、日能研に入社した時、相当な覚悟を持っていたことは間違いない。
東と酒井、俺は熊野寮に住んでいたので、そこにボックスを構えていた中核派の連中ともずいぶん付き合いがあった。
1998年の夏頃に中核派のKが俺のところにやってきて「実はな、ゲリラをやっていたメンバーを匿わないといけなくなったんだけど、そのアジトを用意することが難しいんや。お前の関係で社会的な立場がある人はおらんのか❓名前を貸してもらってマンションをレンタルしたいんや」というのだ。
こいつは東のところにも話を持っていったのだが、断られた。
東が言うには「迷惑だよな。間違いなく迷惑」。
全くその通りなのだが、酒井に東が迷惑そうにしていたと話したら「そうか、東さんはそう言うてたか」とニコニコしている。
酒井はもちろん中核派の連中にいい印象なんかぜんぜんもっていない。
でも東は時折「革命には前衛党(中核派のことらしい)が必要だと思う」などと意味不明な、いってみればシンパシーめいたことを言うので、酒井からしたら言ってることとやってることが違うだろうという思いがあったのだ。
さて、この顛末だが、「絶対バレることはない」とKはいうのだが、この連中のゆうことは全てデタラメだから、間違いなくバレると思った。
しかし昔のよしみから、同志社大学の知り合いの先生を紹介して、俺とそのバカのKと先生と3人で話をして、先生に周旋屋に行っていただいき、なんとかマンションの賃貸契約は出来たのだ。
ところが予想通り警察にバレてしまい、1998年の12月初旬に早朝からその先生のところに警察のガサが入った。
夕方に先生から俺のところに電話があって「警察が来たよ、もうあなたとは絶交だから」と言われた。
誠に申し訳ないことで平謝りするほかなかった。
もちろん数日して俺のところにも京都府警がやってきて家宅捜索が行われたことは言うまでもない。